先週、伏見稲荷大社から清水山までの「京都一周トレイル」を歩いたが、今日はその続きで蹴上までの東山縦走を行う。
・『稲荷山(伏見稲荷大社)から清水山(清水寺) : その1』
・『稲荷山(伏見稲荷大社)から清水山(清水寺) : その2』
・『阿弥陀ヶ峰と清水山から将軍塚への東山縦走 : その1』 (この記事)
・『阿弥陀ヶ峰と清水山から将軍塚への東山縦走 : その2』
・ヤマレコの記事 『阿弥陀ヶ峰と清水山から将軍塚へ』
自宅から阿弥陀ヶ峰の麓の京都女子大学まで
■ 京阪本線 淀屋橋駅 07:40発 → 七条駅 08:26着 (運賃 420円)
先週の土曜と同じく、今回の京阪特急も着席率50%ほどと、コロナ禍で許容できるくらいの乗車率だ。 これ以上混雑して、クロスシートの隣にコロナかもしれない人が座るならば、観光に行こうなどという気分にはなれない。
駅を出て、七条大橋からまっすぐ東へ。
1913年に架けられた鉄筋コンクリート製の七条大橋は、鴨川に架かる橋の中で最も古いそうだ。 ちなみに三条大橋のほうが木造風で古そうに見えるが、実は1950年に架けられた鋼製の橋だ。
今日、登山する1つ目の山は「阿弥陀ヶ峰」で、頂上に豊臣秀吉の墓(豊国廟)がある。 この山頂の墓と共に築かれた神社が麓にあり、それが国立博物館の横の豊国神社だ。
朝早い時間帯、もろに逆光で写真撮影には最悪の条件だ。 この写真に写っている唐門は、伏見城にあったものを江戸時代に移築したものだそうだ。 途中、二条城、南禅寺に移築されていたときもあり、最終的にここにやって来た流浪の門だ。
国立博物館の七条通を挟んで向かい側に、三十三間堂がある。 入場口には、コロナウイルス予防のため閉鎖中と貼り出されている。
丹塗りの柱と、緑青の連子窓という華やかな色彩
七条駅から550m、七条通の東端にある智積院のところで、道が少し南北にずれている。 古地図では、七条通は現在の三十三間堂辺りが東端で、阿弥陀ヶ峰に向かう豊国廟参道はそれ自体が独立した道だったようだ。
智積院の横から始まるこの坂は、西へ延長すると方広寺の境内を接収した国立博物館にぶち当たっている。
七条通と豊国廟参道がまっすぐ接続せずに「ずれている」のではなく、そもそも全く別の道だということだろう。
豊国廟参道の緩やかな坂道を登ること、約450m。京都女子大学の門の前に到着。
女子大学の敷地なのか、そうでないのかわからないが、阿弥陀ヶ峰に向かう豊国廟参道はさらに東に続いている。
七条通でもよく見かける、真っ赤な「プリンセス・ライン」の路線バス。 女子大学の前が起点のようだ。 女子専用でプリンセス・ラインとは、うまく命名したものだ…。
Wikipediaによれば、女子大生以外でも乗車して良い「普通の路線バス」だそうだが、男はかなり勇気出さないと無理でしょ…。 女性専用車両に乗るくらい、度胸が要りそうだ
阿弥陀ヶ峰 (豊国廟)
女子大学の校舎横から、何十段かの石段を登ると山麓の境内がある。
阿弥陀ヶ峰の西麓にある豊国廟の鳥居と門
100円払って、長大な階段に挑む。
下から見上げると、頂上までかなり遠そうだ。石段は、なんと565段。 香川県の金刀比羅宮の石段が785段なので、565段の破壊力をお分かりいただけただろうか
踊り場の門から先を見上げると、ここまで登ってきたのと同じくらいの段数が、更に先にあるではないか
麓から10分ほどで山頂の到達。目の前には、秀吉の墓の五輪石塔がある。
この付近は「鳥辺野」と呼ばれる葬送の地で、山の斜面にはいくつもの天皇陵や貴族の墓が並んでいる。 その殆どが「斜面」を利用していて、山頂に墓を建てている天皇や貴族の例は記憶の限りでは「無い」。
秀吉が、前例のない「山頂」に墓を建てるよう遺言を残したのは、驕り高ぶっていたからなのか、それとも別の意味があったのだろうか。
阿弥陀ヶ峰から京都一周トレイルを通って清閑寺へ
阿弥陀ヶ峰から、すぐ東側を通っている京都一周トレイルに抜ける山道は設定されていない。しかし、ヤマレコの地図では、道がないはずの場所にいくつものGPS軌跡が描かれている。 多くの人が道なき道を下山しているのか…
頂上の五輪塔の南西角に、登山者の踏み跡が分岐する道を発見。 この踏み跡を追って下山してみる。
非公認ルートの踏み跡は、山頂からジグザグに東へ向かって続いている
非公認ルートなので分岐の標識はないが、わざとらしく森林全体の地図を掲示した看板がある。
道標12で、京都一周トレイルに合流する。
ここからは、先週と同じ道なので楽ちんだ。
接続道を数分歩くと、国道1号線(渋谷街道)に出る。そこには京都大仏が存在した当時の石碑が建っている。
秀吉が造った「京の大仏」は、方広寺の大仏殿に置かれていたが、何度も消失しては再建されている。
しかし、1973年に消失した後は再建されず、京都には大仏がない状態が続いている。
この大仏石碑から少し京都方向へ行くと、道路下をくぐり抜ける歩行者用トンネルがある。 先週は、このトンネルを見つけるのにだいぶ迷ったが、一度経験していれば二度目は迷わずに済む。
トンネルを抜けた所に自販機があり、今回は100円のミネラル水を購入。
清閑寺
清水山に登る取り付け道の入口の脇に、六条天皇陵と高倉天皇陵がある。
どちらの天皇も平安時代末期の人で、10歳台・20歳台という年齢で死去している。 平清盛が皇室に取り入り権勢を伸ばそうとしていた策略の渦中で、若くして崩御せざるを得なかった不遇の天皇たちだ。
六条天皇陵は、この写真の右奥の山の中にあり、見ることができない。 宮内庁の立札は、両天皇の名前が併記されているので、観光客が入れるのはここまでだ。
高倉天皇陵の正面を右へ、階段を登っていくと清閑寺の山門がある。入口には、100円の拝観料を払う箱がある。
高倉天皇陵や清閑寺では、3〜4人ほどの観光客を見かけたくらいで、今日は東山トレイルを縦走するハイカーを見かけることもなかった。 自粛が暫定解除されても、この辺りまで観光客が増えてくるのはまだ先なのだろう
平安時代末期、高倉天皇の愛人だった小督が出家させられたと伝わるのが、ここ清閑寺だそうだ。 高倉天皇の正室の建礼門院(平清盛の娘 徳子)は愛人を認めていたが、父 清盛が認めず逆鱗に触れた… という逸話がある。
清閑寺 ここから扇を開いたように京都市街が眺望できる、扇の要の位置「要石」
清水寺
清閑寺から、歌中山(歌の中山)を通って清水寺へ。 ここは先週も歩いた清水寺へ向かう登山道が分岐する道だ。 相変わらず、違法駐車する車でカオス状態。 地域をまたいだ移動は自粛にもかかわらず、名古屋ナンバーの巨大なワンボックスカーが我が物顔に車道を占拠。
警察が取り締まらないのなら、有志の自粛警察の活動を合法化すべきだろう。
清水寺の防火活動門から境内に入り、すぐ左側に子安の塔がある。聖武天皇・光明皇后が安産祈願した観音様が祀られている塔だ。
錦雲渓を隔てた向こうに清水寺の本堂が見えている。
写真は、左から三重塔・経蔵・開山堂・蟲門・朝倉堂・本堂 となっていて、清水山の中腹に人口地盤を造って見事に水平に達ち並んでいるように見える。
本堂の方へ向かうと、徐々にすれ違う観光客が増えてくる。
先週と違い、観光客の数が激増している。 子供連れが特に増えている。 かなり危険な状態で、ウイルスやら細菌が飛び散りまくりである。
地主神社と閉鎖されている清水山登山口
地主は「じしゅ」と読む。 明治時代の神仏分離令で清水寺から分離し、独立した神社になっている。
本殿の正面には奉納金を払った人の出身地と名前が貼り出されている。
なんと、半分近くがガイジンで、そのほとんどが中国と台湾・香港だ。 他国の宗教施設に堂々と名前を出してアピールするとは、「宗教施設のターゲットは自国民のみという暗黙の了解」を無視するとんでもない行動だ。 奉納金を払って祈祷は受けても、名前は出さないという忖度が出来ない観光公害ガイジンはどうにかならんものか。
地主神社から見る清水山と、麓にある清水寺 釈迦堂・阿弥陀堂・奥の院
『阿弥陀ヶ峰と清水山から将軍塚への東山縦走 : その2』に続く