9月も残り1週間。猛暑と雨模様の天気が続いてきた中、珍しく乾燥した晴れとなる天気予報だったので、丸亀・高松の1日旅行に行ってきた。
その旅での、讃岐国分寺・国分寺遺跡見学と、高松市街地散策し大阪に戻るまで
もくじ
・丸亀・高松の旅 : 大阪から飯野山登山口へ
・丸亀・高松の旅 : 飯野山(讃岐富士)の登山
・丸亀・高松の旅 : 丸亀平野サイクリングと丸亀城・金毘羅街道
・丸亀・高松の旅 : 讃岐国分寺から高松
・ヤマレコの記事 飯野山(讃岐富士)
丸亀から讃岐国分寺へ
JR丸亀駅前でレンタルサイクルを返却し、駅へ。 出発案内表示を見ると、高松方面への電車は出発したばかりのようだ。
高松方面へは1時間に1本の快速、1本の普通のみ。JR四国で最も乗客数が多い区間で、1時間に2本…。 JR四国が経営努力にさじを投げたのもわかるような気がする。 (「四国における鉄道ネットワークのあり方に関する懇談会 資料」では、丸亀と高松の間は、平均通過人員24,769人/日。特急を除くと20,898人)
時間帯による乗客数の偏りや、ラッシュ時間帯を無視して昼間のパターンダイヤのときで計算すると
・JR四国 丸亀・高松間 20,898人に対して1時間に2本(2両編成) → 5224人/1両・日
・JR西日本 東西線 124,545人に対して1時間に8本(7両編成) → 2224人/1両・日
計算上は、JR四国の丸亀・高松間の乗客数には問題ないように感じるのだが…
20分ほど待って、快速高松行きに乗車
■ JR丸亀駅 13:07発 → 13:15着 坂出駅 13:26発 → 国分駅 13:38着 (運賃 360円)
坂出駅で普通列車に乗り換える。 普通列車は2両編成だが、乗客数が少ないため前の1両のみが開放されている。
讃岐国分駅は無人駅なので、切符を運転手に渡して下車する。
讃岐国分寺
讃岐国分寺は、国分駅から歩いて300m。
奈良時代に建てられた讃岐国分寺の敷地のうち、金堂などがあった中心部分のみが現在の讃岐国分寺の寺有地。
現地看板に、現 讃岐国分寺の範囲を薄い赤色で着色したのが下の地図
かつて、この位置には「中門」があったとされる
この写真の左奥に本堂(かつての講堂跡)、その講堂の手前に礎石のみが残る金堂跡、右側に鐘楼があり、鐘楼に吊るされている銅鐘は(かつての讃岐国分寺のあった)奈良時代に鋳造されたものだそうだ。
Wikipediaによれば、『現在建立中の大日如来を祀る予定なので、大日如来堂となる予定』だそうだ
建物の入口には『大日如来像 原寸大完成イメージ図 展示中』とあり、イメージ図がお祀りされているようだ (笑
現 讃岐国分寺 本堂 (鎌倉中期に、かつての讃岐国分寺の講堂礎石を利用して建てられているそうだ)
お遍路さんが何人かお参りされている
特別史跡 讃岐国分寺跡
讃岐国分寺跡の入り口は、一旦、現 讃岐国分寺の仁王門を出て、道路を府中駅に戻った隣にある。全国の国分寺跡で、特別史跡に指定されているのは「讃岐国分寺跡」のほかに、静岡県の「遠江国分寺」、茨城県の「常陸国分寺」の計3箇所だけ。 それほど残存状況が素晴らしいということなのだろう。
ちなみに、私の居住地の大阪にある「河内国分寺」は史跡にすら登録されていない…
このような築地塀が、敷地外周(東西220m×南北240m)を取り囲んでいたとされる。 塀の厚さ(1.5m〜1.8m)は、寺院のものではなく、外敵の攻撃を少しくらいは防げるくらいはある。 (塀の高さは3.93m と解説されているが、基礎部分しかわからないのに、どうして高さがわかるのだろうか…)
東西84m×南北12mの僧坊跡は、西半分がこの写真のように野ざらし、東半分が覆屋根で囲われている。
僧坊は、“東西21間を3間ずつ計7単位に壁で区切り、中央の3間×3間を食堂的な共同利用空間とする。残り6単位(房)では柱の間を区切って小さな部屋を設け、各単位に4室ずつ計24部屋をそなえていた” と説明板には書かれている。
また、“聖武天皇の詔勅では、僧寺に20人の僧、尼寺に10人の尼を置くように指示” とも解説されているので、1人1部屋は確保されていたのだろう。
僧坊の東隣には、鐘楼跡がある。 この鐘楼には、現 讃岐国分寺の『奈良時代に鋳された銅鐘』が取り付けられていたのだろうか…
讃岐国分寺跡の北東部分には、10分の1スケールで造られた精巧な石刻模型が展示されている。 接近して撮影すると、まるで本物
国分寺跡の敷地に隣接して、讃岐国分寺跡資料館がある。入場料は100円
資料館には1部屋の展示室があり、彩色された金堂の20分の1スケール復元模型が中央に置かれ、出土品が部屋の片面に圧縮展示されている。
遺跡の所々に植えられている草花、木々には万葉集の歌碑が添えられている
路のべの 壱師の花の いちしろく
人皆知りぬ わが恋妻は
万葉集 巻11 - 2480, 柿本人麻呂歌集より採られた歌。「壱師の花」 = 彼岸花
高松歴史資料館へ
讃岐国分寺と国分寺跡を1時間堪能した後、高松行きの列車に乗る。 国分駅は無人駅だが、自動券売機だけはちゃんと置かれている。
■ JR讃岐国分寺駅 14:38発 → 高松駅 14:52着 (運賃 260円)
高松駅前広場の地下にある市営駐輪場で、レンタルサイクルを借りる。 去年の春に発行してもらった利用カードはまだ有効だった。
自転車に乗って向かったのは、高松駅から2km南西にある歴史資料館。 香川大学の隣りにある、ガラス張りの中央図書館に同居している博物館だ。
図書館の駐輪場に自転車を停め、4階の歴史資料館へ。入場料は200円。 この街の考古学博物館は分散しているけれど、1館あたりの入場料は激安ですね
弥生時代より造られ、800~900度という低温で焼かれた土師器。写真では右側の赤茶色の焼き物。 その後、古墳時代に朝鮮半島からもたらされた技術により、1100度以上の高温で焼かれたのが須恵器。 写真では左側の青灰色の焼き物。
資料数が少ないので、なんとわかりやすい展示…
まさに、今日の午後、丸亀都国分寺で見てきた内容の展示が「古代条里と古代寺院」
去年の春の高松旅行は、この「屋島」だった
高松歴史資料館 高松藩飛龍丸の5分の1スケール模型と、高松城下図屏風(右奥の屏風)
高松中央商店街のうどん屋
今日の最後の目的地は、うどん屋。夕方にオープンしているセルフうどん店を探して、高松中央商店街の南新町へ。「さか枝うどん 南新町店」に入る。
商店街というより、ヨーロッパのショッピングモールという雰囲気だ。 泥臭く、外人による観光公害で近寄りたくもない大阪なんばの商店街とは、雲泥の差だ。 このまま、インバウンドに毒されずに美しさを保ってほしいものだ
この丸亀町商店街の1本東側は、飲食店などが軒を連ねるライオン通り商店街。
庶民的な雰囲気だが、やはり整然としている。
市内中心をレンタルサイクルで色々回ってみる
漫画喫茶で時間つぶし
ことでん瓦町駅前の快活clubで、深夜のフェリー出発時間まで時間つぶしする
ことでん瓦町駅ターミナルビル(瓦町FLAG)の隣のビル4階にある快活clubへ
シャワー無料(タオル付き)だったので、一日の汗を流すことができた。 食料持ち込み可能なので、レンタルサイクルで最寄りのマルナカ田町店(マルナカの創業1号店)へ行き、野菜の煮物パックやおにぎりなどを購入し持ち込む。
ジャンボフェリーに乗り神戸・大阪へ
■ 連絡バス JR高松駅前 23:30発 → 高松東港フェリーターミナル 23:45着 (運賃 無料)
■ ジャンボフェリー 高松東港 01:10発 → 神戸三宮 05:15着
昨日の往路より乗客数は少なく、徒歩客は20人ほどだった。 和室もスカスカ状態。
車両積み込みが多すぎて、今回も10分遅れて出発するくらいだった。 しかし、三宮到着は定刻なので、余裕持ったダイヤ編成しているのだろう。
■ 阪神 神戸三宮駅 05:59発 → 尼崎 → 野田 06:38着 (運賃 300円)