07 March 2024

青春18きっぷで犬山・名古屋 (3)関ケ原古戦場

学生の春休みが始まり、青春18きっぷを使った旅行者が激増する前に、尾張・美濃方面へ日帰り旅行をしてきた。

もくじ

(1)犬山城、犬山頭首工
(2)名古屋城、大須観音
(3)関ケ原古戦場

名古屋から関ケ原へ

大須観音を出て、名古屋駅へ向かう。 国道22号の伏見通りを少し北に行くと、100m道路の若宮大通に出る。私の記憶にある「最も昔の」この通りには高速道路の高架はまだなく、キョウチクトウなどの街路樹が植えられた公園のような中央分離帯と、片側8車線くらいの広い道路だった。

名古屋市内の100m道路 久屋大通と若宮大通は、戦後復興の時代に作られたものだそうだ。広い道路はその後、高速道路の新規路線の用地にもなり、先見の明のあるものだったと思う。

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名古屋高速の高架が中央に走る、100m道路 若宮大通

若宮大通を西へ、堀川のところで名駅に向かう斜め北西方向の道に入る。

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名古屋駅前のビル群が見えてきた。手前のビルはスパイラルタワー(36階 高さ170m)

大須観音から2.3kmを30分ほどかけて歩き、新快速列車の出発寸前に名古屋駅に到着。

■ JR東海道線 新快速 名古屋駅 14:45発 → 大垣駅 15:17着

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JR大垣駅に到着した新快速列車

米原行の普通列車に乗り継ぐまで20分の余裕があるので、駅に隣接するディスカウント スーパー ラ・ムーに行って弁当を購入する。

昼食弁当の時間帯が終わり、夕食弁当の時間帯には少し早すぎるため、弁当売り場に最安値の198円弁当の在庫は殆どなかった。

かろうじて数個残っていたメンチカツ丼とバヤリース缶を購入。

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大垣駅前のラ・ムー

■ JR東海道線 大垣駅 15:37発 → 関ヶ原駅 15:51着

米原行き普通列車に接続する15:32着の快速列車がやってくる前に、プラットホームに停車している車両に乗り込む。座席はほとんど空いている状態で、快速列車からの乗り継ぎ客が乗車してきた後も、私の横の席は空いたままだった。

関ヶ原駅まで15分ほど掛かるので、車内で弁当を食べる。

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ラ・ムーで購入した びっくりジャンボ メンチカツ丼(198円)とバヤリース缶(59円)

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JR関ヶ原駅に到着

無人駅のため、インターホン カメラ付き券売機で青春18きっぷの確認を受けて駅を出る。

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無人駅のJR関ヶ原駅

ここは誰もが知る「古戦場のまち」だ。

駅前から町役場方向へ向かう県道236号の跨線橋の愛称が、「関ヶ原古戦橋」。跨線橋のフェンスには関ヶ原の戦いの主な武将【 徳川家康、石田三成、大谷吉継、黒田長政、福島正則、小早川秀明、島津義弘 】の劇画風イラストに、ゆかりの地をめぐる地図が掲示されている。

今回は駅から一番遠い「決戦地」を目指す。距離は1.4km、徒歩で往復すれば42分というのがGoogleマップがはじき出した値だ。

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関ヶ原 古戦場観光マップ (古戦場記念館Webより

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関ヶ原合戦図屏風に、観光スポットを書き込んでみた

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跨線橋を渡ると、町役場や博物館などの建物が見えてくる

周辺から明らかに浮いた雰囲気の、ガラス張り最新の建物群。まちの面積のかなりの部分を、大きな工場や物流倉庫が占めているので、法人住民税などで儲かってるのかもしれない。

観光客の姿を全く見かけない博物館の前を通過し、こぢんまりした住宅街に分け入る。

道は緩やかに登り続けていて、はるか向こうの山の中腹に石田三成の陣跡を示す白い旗竿が見えている。

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関ヶ原 決戦の地を指し示す巨大標識

三成の陣跡がある山の方向から、猛烈に冷たい「伊吹おろし」が吹いている。誰も歩いていない、棚田の中の一本道を緩やかに登っていく。

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緩やかなのぼり坂と、決戦の地、三成の陣跡がわかりやすいカット

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関ヶ原古戦場 決戦の地 石碑。左奥の丘の中腹に石田三成の陣跡の旗竿あり

決戦地 (古戦場記念館Webより
小早川秀秋の寝返りにより西軍が総崩れしたころ、石田隊や島津隊に攻め込む東軍諸隊で、この地は埋め尽くされたといわれています。天下分け目の戦いの勝敗は、わずか半日程度で決しました。

駅に戻る途中、跨線橋を渡る手前に松平忠吉・井伊直政の陣跡がある。

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関ヶ原古戦場 松平忠吉・井伊直政の陣跡

松平忠吉・井伊直政陣跡 (古戦場記念館Webより
関ケ原合戦当日は、現在のJR関ヶ原駅付近に布陣しました。東軍の先鋒は、福島正則でしたが、徳川家が先陣を切ることが重要だと考えた井伊直政は、松平忠吉とともに抜け駆けし、宇喜多隊に発砲し、合戦の火ぶたが切られました。

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関ヶ原古戦場 東首塚

松平忠吉・井伊直政の陣跡の奥に、玉垣に囲まれた大木がある。ここが、東首塚だそうだ。

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関ヶ原古戦場 東首塚の石碑

東首塚 (古戦場記念館Webより
戦いの翌日、勝者となった徳川家康は、戦いで破壊された神社の修復や、首実検に供されたり、戦場に残された戦死者の処理を竹中重門に命じました。重門は、遺体を埋葬し、東西2か所に首塚を造営しました。朱色の門を抜けた敷地内にはスダジイの古木のみが残っています。

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跨線橋から見下ろした関ヶ原駅。30分に1本走る米原行き列車が停まっている

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関ヶ原駅にやってきた米原行き普通列車

■ JR東海道線 関ヶ原駅 16:51発 → 米原駅 17:12着

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米原行きの普通列車の車内

4両編成の普通列車は、座席が7割ほど埋まった状態で、それほど混雑していない。

■ JR琵琶湖線・京都線 新快速 米原駅 17:17発 → 大阪駅 18:43着

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新快速列車の車窓から見た「新幹線高速試験車両保存場」

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大阪駅に到着した新快速列車

大阪駅は、名古屋では見かけなかった「ひどいインバウンド公害」だった。

■ JR大阪環状線 大阪駅 18:49発 → 福島駅 18:50着