梅雨入り寸前の五月晴れ、京都一周トレイルの大原から鞍馬寺までを歩いてきた。
ヤマレコの記事 『 京都一周トレイル : 大原 → 薬王坂・竜王山 → 鞍馬寺 』
GPSログとコースタイム
大原 野村別れバス停 〜 江文峠 : 2.6km 37分
■ 京阪本線 淀屋橋駅 06:49発 → 出町柳駅 07:48着 (運賃 480円)
06:58発の特急に乗ろうと急いで淀屋橋駅まで歩いたら、プラットホームに出発寸前の06:48発の特急が停まっていた。かろうじてクロスシートの窓側の席が空いていたので、この列車に乗車。
淀屋橋駅を出た時点では窓際の席が埋まっている程度だったのが、京橋駅から先は通路側も含めて全席が埋まり、通路まで立っている人が居るくらいの混雑度。 こんな早朝で、すでに通勤ラッシュ。
■ 京都バス16系 出町柳駅前 08:13発 → 野村別れ 08:43着 (運賃 420円)
出町柳のバス停には大学生が主体の長い行列が出来ていたが、ほぼ全てが市バス1系統 西加茂車庫行に乗車していった。途中にある佛教大学の学生たちなのだろうか
バス停付近から川を見下ろすと、飛び石渡りがある。近道となっているようで、通勤するリーマンや通学する女子高生たちが次々と渡っていた。
16系統 大原行のバスは、座席に少し空きがある程度の乗車率。インバウンド公害が消滅しているのは今日までなので、明日以降は著名な観光地へ向かうバスは地獄絵になるか...
去年の10月に比叡山から下山したとき(「比叡山から大原へ」)、このバス停からバスに乗ったので、周囲の景色には見覚えがある。
野村別れバス停前のコンビニ駐車場からの眺め(金毘羅山 572.5mと翠黛山 577m。金毘羅山の左側が、これから向かう江文峠)
バス停から250mほど西へ向かうと、「道の駅」ならぬ「里の駅」がある。地元農産物の直売所だ。
東方向をふり返ると、比叡山から北へ連なる山々が見えている。
大原から見た横高山(手前, 標高767m)と比叡山(奥, 標高848m)
バス停より1.5kmほどは道路上を西へ。
江文峠へ向かう旧道に入る(江文神社の石刻があり、この旧道は江文神社の参道でもある)
杉林の中、真っ直ぐに延びる旧道を400mほど行くと、ひっそりと神社がある。
説明板には次のように書かれている
江文神社
古くは江文山とも称した金毘羅山の頂上で朝日の一番早く当たるところに祀られていた神々を平安時代末期に山麓に社を建造し、鎮座願った。この神々は大原八郷の産土社で、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を主祭神とし、両脇殿に級長津彦命、軻遇突智命ほかを祀る。
金毘羅山は古来神体山として崇められており、当社はその麓社として創祀されたと考えられる。「山州名跡志」(1711刊)によれば、山頂に火壺・雨壺・風壺と称する自然の三穴があり、請雨の霊場であったという。
鳥居をくぐり抜け、苔むした石段を登ると本殿がある。
訪れる人もめったに無い山間部の神社だからか、本殿は覆屋に完全に覆われていて、その正面には賽銭箱すら見当たらない。
本殿のすぐ目の前に、巨大な杉が1本ある。銘板には「大原の里 10名木 江文の大杉」と書かれている。
ここまで通ってきた旧道を200mほど戻り、江文峠に向かう山道に入る。
緩やかな谷間に通された道は、湧水が流れて泥濘もあって歩きにくい。
江文峠に続く山道(東海自然歩道の標識が短い間隔で立てられている)
江文峠のすぐ手前で、府道40号に出る
峠には京都バスのバス停(土日のみ3本運行)と、三体不動明王 金毘羅大権現の鳥居がある。
江文峠の金毘羅大権現
鳥居の向こうには「建物などの人工物は何もなく」、御神体は背後の金毘羅山(こんぴらやま)そのものなのだろう。あるいは、山頂付近にある江文寺跡・金毘羅大権現へ向かう登山道(参道)の入口としての鳥居なのか...
金毘羅山は、平安時代末期の保元の乱で後白河天皇に破れ讃岐に流されて没した崇徳天皇(上皇)を祀っている場所だと言われている。(同じく崇徳天皇を祀っている香川県の金比羅山と同名である)
平安時代末期つながりで言えば、金毘羅山の東麓にある寂光院には、平清盛の娘で高倉天皇の妃である建礼門院徳子の墓がある。
どちらも、平家物語でおなじみの登場人物だ。
江文峠 〜 静原 〜 薬王坂 : 4.3km 64分
金毘羅大権現を挟んだ府道40号の向かい側が、静原へ向かう登山道の入口。車が往来する狭い道路を歩かずに済むのはありがたい。
時折走る車の音を聞きながら、杉林の中を歩いていくと
山間の狭い平地に水田が広がる静原地区に出た。
ここから先は、集落の中心まで府道40号の歩道を歩く。
府道40号沿いは、田植えから間もない水田が広がっている
分岐点には、周辺のハイキングマップと自販機、ベンチがある。 最も紫外線の強いこの時期、屋根もないベンチで休憩しようとは思わない。
静原地区の集落に入る。大きな一戸建てが旧道の両側に並んでいる
静原地区の集落の中を歩き、集落の中心にある静原神社までやって来た
児童公園の入口左側には「静原の大銀杏」で有名なイチョウの巨木がある。
舞殿の奥(北隣)に、拝殿、本殿と続いている
拝殿横の説明板によれば
静原神社由緒
社伝によれば、成務天12年3月午日に山城国愛宕郡志津原に鎮座す。伊弉諾尊が高天原に坐し。瓊瓊杵尊が日向の高千穂に天降り、はじめは静原楢小川の上流「河合谷意美和良川」鎮まられた。
古来、御本社に伊弉諾尊、奥御前に瓊瓊杵尊をまつったが、そのため合わせて「二宮社」と呼ばれる。
また、天武天皇が逆賊に襲われ此所に臨幸され、玉体安らかに御心も静にあそばされた為、静原と称す。そして、刀・弓・矛等を奉納されたため江川浅井郡の地330石をご寄付され、和銅4年3月3日より祭祀を始める。
静原は、天武天皇の御由緒がある地域だとのこと。
集落内には、いろいろな園芸植物の花が植えられている
静原集落の西端に、薬王坂へ向かう旧道(山道)の入口がある。
この旧道はまっすぐ谷間に向けて続いているが、薬王坂に向かうためには100mほど行ったところの1本目の分岐で左折する必要がある。
しかし、その場所には標識などが無く、あるいは気づかないほど目立たなかったのか分からないが、とにかく左折すべきところで直進してしまった...
なだらかな谷底の道を、足取りも軽やかに450mほど歩いたところで、スマホのGPS地図を見て気づく。
鞍馬とは谷筋一つ違う側を、ほぼ平行に北に向かっているではないか...
300mほど引き返し、本来の正しい道に戻る
クマの目撃日は、1ヶ月ほど前だ。
峠に向かう坂道の登り口付近には、崩れそうなログハウスが幾つかある。中には、細い支柱だけで支えられた山道にせり出した建物もあり、あと10年もしたら木が腐って道に向けて倒壊してきそうだ。
静原の登り口から20分弱で、標高377mの薬王坂(やっこうざか)に到着。
薬王坂 〜 竜王岳 〜 鞍馬寺 : 3.3km 1時間
峠を少し行き過ぎたところに、稜線上を少し南に行った所にある竜王岳への分岐点がある。
稜線上の道をのんびり登っていくと、何処が山頂かわからない竜王岳に到着。 山頂と思われる場所には「元禄十四年 辛巳 三月十日」と彫られた経塚がある。
標高はぴったし500mだという。
鞍馬寺側の木々が刈り払われ、鞍馬山中腹の鞍馬寺の建物が見えている。
薬王坂の分岐点まで引き返し、鞍馬方向に下山する。
狭い府道に路線バスが走っている鞍馬の集落を歩き、鞍馬寺へ
鞍馬寺を訪れるのは8年ぶりのことだ。前回の訪問は2014年5月「(京都 その2) 貴船 〜 鞍馬寺」に掲載している。
仁王門を入ったところで、入場料300円を払う。坂道を少し登った所に、魔王の滝の横に「魔王の碑」がある。
魔王とは護法魔王尊のことで、鞍馬寺公式Webには "鞍馬山の信仰は、宇宙の大霊であり大光明・大活動体である 「尊天」を本尊と仰いで信じ... (中略) 月に代表される水の氣、太陽から放たれる氣、母なる大地 、地球の氣の三つの「氣(エネルギー)」にあらわし、それぞれを『月輪の精霊―愛=千手観世音菩薩』『太陽の精霊―光=毘沙門天王』『大地の霊王―力=護法魔王尊』のお姿であらわして、この三身を一体として「尊天」と称します" という説明にあるように、鞍馬寺が祀っているご本尊そのものということのようだ。
魔王の滝の付近には、ダイモンジソウが咲き乱れている
更に少し登ると、由岐神社
鞍馬といえば、源義経がまだ牛若丸と呼ばれていた子供の頃、出家するために預けられたのが鞍馬寺。そのときに住まいとした東光坊の跡地に建てられているのが、義経公供養塔だ。
本殿金堂横のベンチで昼食。15分ほど休憩する
鞍馬寺の本殿金堂付近からは、さきほど登ってきた竜王岳が真正面に見える。
階段、坂道を下り、仁王門前まで引き返す。鞍馬駅は、仁王門前からすぐの場所にある。
鞍馬といえば、天狗。天狗のハリボテが駅舎の右側に鎮座している。
■ 叡山電鉄 鞍馬駅 12:19発 → 出町柳駅 12:50着 (運賃 430円)
■ 京阪本線 出町柳駅 → 天満橋駅 → 中之島駅 13:59着 (運賃 550円)