天気予報によれば、暖かく晴天が続いた天気も今日まで。明日の夜に寒冷前線が通過後は、一気に秋が深まるそうな。
今年最後のうららかな陽気に、比叡山を歩いてきた。
ヤマレコの記事 『 比叡山(ケーブル比叡〜仰木峠〜大原) 』
主要ポイント間の所要時間
区間 | 通過時刻 | 所要時間 | 標準コースタイム |
---|---|---|---|
ケーブル比叡駅 〜 延暦寺山王院 | 09:15 〜 09:38 | 23分 | 40分 |
延暦寺山王院 〜 延暦寺釈迦堂 | 09:38 〜 09:55 | 17分 | |
延暦寺釈迦堂 〜 玉体杉 | 09:55 〜 10:30 | 35分 | |
玉体杉 〜 横高山 | 10:30 〜 10:42 | 12分 | |
横高山 〜 水井山 | 10:42 〜 10:56 | 14分 | |
水井山 〜 仰木峠 | 10:56 〜 11:27 | 31分 | |
仰木峠 〜 大原野村分れ | 11:27 〜 12:10 | 43分 | 40分 |
(合計) | 2時間55分 |
登山口のケーブル比叡駅(標高690m)へ
■ 京阪本線 淀屋橋駅 07:11発 → 出町柳駅 08:09着 (運賃480円)
■ 叡山電鉄 出町柳駅 08:18発 → 八瀬比叡山口駅 08:32着 (運賃270円)
大阪より1時間20分掛かって、比叡山の麓、八瀬比叡山口駅に到着した。平日なので観光客は少なめで、この駅で下車したのは10人ほど。
レトロな終着駅の駅舎は、1925年の開業時のものだ。切り妻部のバージボードに、旧字体で「八瀬驛」と掲出されている。
高野川に架かる木造橋を渡って対岸へ。向こう岸に渡った所で、ふと川の左岸側を見ると...
旧高野水力発電所の李余水吐(すもも よすいばき)の上部構造が道路脇にある。
1900年に京都電燈が開設した水力発電所(1966年廃止)の放水路に設けられた水門が、この李余水吐だそうだ。 貴重な文化遺産が、こんなところに無造作に存在している。
さて、木造橋の左岸側の坂道を少し登ると、叡山ケーブルの八瀬駅がある。駅舎手前のケヤキが、ほんの少し紅葉している。
8時40分の第1便(試運転)がゆっくりと駅を出発していくのを眺める。9時の始発便の改札が始まる頃には、改札口に20人ほどが行列を作っていた。
■ 叡山ケーブル 八瀬駅 09:00発 → 比叡駅 09:09着 (運賃 550円)
叡山ケーブルが結んでいる高低差561mは、日本で最大だそうだ。車内放送では、「軌道がカーブしているので、建設の難易度が高かった」のだそうだ。
叡山ケーブルの中間点で、すれ違ったもう一台の車両が下山していく
9分で7合目の比叡駅に到着。多くの乗客は、そのまま叡山ロープウェイに乗り継いでいくようだ。私を含めて4人ほどが、その流れから脱出して山道を登ってきた。
ロープウェイの駅とは反対側に、標高690mから京都市内を眺める展望台があり、そこに「HIEIZAN」の立体文字(箱文字)モニュメントが置かれている。
ケーブル比叡駅(標高690m) 〜 延暦寺 西塔地区 転法輪堂(標高660m)
9時15分、京都一周トレイルの北山コースNo.1道標があるケーブル比叡駅前を出発。
作業道を300m(標高差50m)ほど行くと、比叡山人工スキー場跡に差し掛かる。
2001年に廃止されたのちもレストハウスやリフトの廃墟が残っていて、なかなかいい雰囲気だった。廃墟は2015年に根こそぎ撤去されて、いまは短く刈られた草原の斜面になっている。
展望台からは、これから稜線を辿って向かう横高山と水井山、その麓の大原が見えている。
ここから登山道は、なだらかに下って行く。
鎮護国家の碑を通り過ぎて、さらに200mほどなだらかな坂道を下っていくと、掘割に通された道路の脇に出る。
比叡山ドライブウェイに架かる橋(標高710m)。渡った向こう側が延暦寺の敷地
橋を渡ると、京都一周トレイルの北山No.7道標がある。すぐ目の前には、山王院堂。
ドライブウェイに架かる橋を渡り延暦寺の境内に入った所にある京都一周トレイルNo.7道標
延暦寺は拝観料1000円だが、登山道を通り抜ける人は無料という仕組みだ。京都一周トレイルの道標を見失わないよう歩かないと、料金所(拝観入口)に行き当たってしまう。
境内の案内地図に、登山道を点線で、道標Noも描きこんだのが次の地図。道標No.8を見失うと、すぐその先に拝観入口があるので1000円徴収されてしまう。
京都一周トレイル・東海自然歩道の延暦寺西塔地区の通り抜け地図
ここから先、道標No.8が出現するまでは、沿道の伽藍を見ながら歩く。
山王院堂前の説明板より
第六祖智証大師(延暦寺 第五代座主)圓珍の住房で後唐院(最澄・空海などと同じく唐で修行した入唐八家のひとりのため)ともいった。圓珍座主の滅後百年、圓珍派と慈覚大師圓仁派の学僧の間で紛争が起こり(993年 山門寺門の抗争)、圓珍派はここから智証大師圓珍の木造を背負うて大津三井寺(園城寺)へ移住したと言われる。
斜体部は私が追記した部分
山王院堂から石段をひたすら降りる。
標高差40mほど降りた所に、浄土院がある。
浄土院前の説明板より
ここは比叡山の開祖、伝教大師最澄上人のご廟所で、比叡山中で最も清浄な聖域です。
最澄は822年6月4日 中道院に於て、五十六歳で入寂されました。弟子の慈覚大師円仁が、854年この地に中国五合山竹林院を模してご廟所を建立し、大師のご遺骸を祀り、以来ご廟を守る僧侶を侍真といい、一生山を降りない覚悟で昼夜を分かたず、厳しい戒律のもとに心身を清浄にして、生身の大師に仕えるように、今も霊前のお給仕に明け暮れしています。
この説明板の最終段には、"侍真は、十二年間山を降りない籠山修行の内規に従って、生活しています" と書いてあるので、"一生山を降りない覚悟"の「一生」とは十二年間なのだろう。
比較対象としてはよくないかもしれないが、日本の刑事法では無期刑での仮釈放は最短で10年経過後に判断される、という規則がある。
この場合の「無期」も10年程度。
世の中の「一生」の定義とは案外軽いものだ。
延暦寺 浄土院から椿堂に向かう参道では他の参拝客を全く見かけない
駐車場からの参道が合流する少し手前、右手の杉の木に寄り添うように京都一周トレイル 北山No.8道標がある。
この道標は見落としてはいけない。
この地点で、写真の中央の参道を直進してはならず、右側の道標・杉の巨木と参道の間にある急傾斜の階段に降りなければいけない。この急傾斜の階段の奥には椿堂がある。
椿堂前の説明板より
昔、聖徳太子が比叡山に登られた時に使われた椿の杖を此の地にさして置かれたところ、その椿が芽を出して大きく育ったという延々から、このお堂が椿道と名付けられた。
椿道の右側に、獣道程度にまで細くなった山道が奥に続いている。一般の参拝客が「無料コース」に侵入しないよう、草刈りに手加減を加えているのだろう。
法華堂・常行堂を通らない形でワープした登山道は、転法輪堂(釈迦堂)のトイレ脇に接続されている。
きれいに改修されたトイレは、おそらく参拝者向けなのだろうが、登山者も使っていいんだよね...
延暦寺 釈迦堂トイレ横にある京都一周トレイルNO.9-1道標
転法輪堂(釈迦堂)前に到着。叡山ケーブル比叡駅を出発して43分、約4.0km歩いてきた。
転法輪堂(釈迦堂)前の説明板より
転法輪堂は現在の西塔の中心をなす大堂で、御本尊に釈迦如来を祀ることから、釈迦堂の名で親しまれています。
延暦寺に現存する最古のお堂で、元は大津の園城寺(三井寺)の金堂であったものを豊臣秀吉の命により、1596年に山上に移築したもので、造営年代は園城寺の記録から南北朝の1347年と認められます。
織田信長の比叡山焼き討ちから伽藍を復旧するため、手っ取り早く麓の有力寺社の金堂を移築させるとは、秀吉の寺社に対する影響力は相当大きかったのだろう。
皮肉なのは、秀吉が園城寺から移築した延暦寺の釈迦堂が「重要文化財」、金堂を取られた園城寺に高台院が寄進した新たな金堂が「国宝」に指定されているのだ。
延暦寺 西塔地区 転法輪堂(標高660m)〜回峰行道〜 横高山(標高767m)
釈迦堂の右手、居士林研修道場に向かう砂利道に、東海自然歩道と京都一周トレイルの道標が立っている。
これいにょれば、これから向かう仰木峠まで5.6kmとのことだ。(東海自然歩道と京都一周トレイルの経路が一部違うため、厳密には距離が少し違うはずだ)
延暦寺 釈迦堂横の東海自然歩道と京都一周トレイルNo.9-2道標
あまり一般の参拝客がやって来なさそうな、釈迦堂より北に向かう道の脇に、若山牧水の歌碑が立っている。
延暦寺 若山牧水歌碑 「比叡山の 古りぬる寺の 木がくれの 庭の筧を 聞きつつ眠る」
延暦寺 西塔地区北端の境界線、ドライブウェイの下をトンネルで通り抜ける
ここから先は、尾根上の山道となる。ドライブウェイをまっすぐ通すためなのか、山道はその脇を結構アップダウンを繰り返している。
中年おばちゃん2人を追い抜く。今日追い抜いた初めての登山者だ。 いっぽう、すれ違った登山者はまだ一人もいない。
所々で、山道から分岐して奥比叡ドライブウェイに接続する場所があるが、ドライブウェイは歩行者禁止なのでそちらに行くことはない。
京都一周トレイルNo.11-1道標付近の道 (山道は左の階段、砂利道はドライブウェイに接続している)
稜線を北上する東海自然歩道・京都一周トレイルの山道には、所々に「元三大師道」の石碑も立てられている。
元三大師とは、第18代天台座主で、比叡山延暦寺の中興の祖とされる良源のこと。
稜線上の道は、ヒノキの植林地のなかを北上している。 景色は単調で、展望はゼロ。
この季節、咲いている花は全く見かけず、時折きれいな苔に目を奪われる程度。
延暦寺 転法輪堂(釈迦堂)から歩くこと30分、約2.1kmの小さなピーク上の巨大な杉「玉体杉」のところに到着。
説明板より
ここは西塔から横川まで尾根づたいに通る峰道のほぼ中間の地点です。回峰行者はここで止まって、御所に向かい、玉体加持(天皇のご安泰をお祈りする)をします。
西塔からここまで歩いてきて、初めて眺望があるのがここだ。確かに、"御所に向かい玉体加持する"には絶好の場所だろう。
玉体杉から300mほど行くと、峰辻と呼ばれる十字路の峠に出る。ここで横川方向に向かう東海自然歩道と、まっすぐ北上する京都一周トレイルに分岐する。
修験者が道を間違えないようにということなのか、ここにはひときわ大きな元三大師道の石碑がある。
ここに掲示されていた地図は、とてもわかり易い。
横川のほうから登山者2人がやって来てすれ違う。今日見かけた登山者は、これで計4人。平日だからなのか、それともこのコースを歩く人は余り居ないのか...
ここから横高山までは、急傾斜の斜面に木の根がむき出しになっている木の根道。ここまでの東海自然歩道と違い、あまり整備されていない悪路かもしれない。
200m進み70mほど登る。登山者がそれぞれ登りやすいところを登っているのか、踏み跡が至るところにあり、その全てが崩れやすい土の急傾斜地だ。
10時41分、延暦寺釈迦堂から42分(2.5km)で標高767mの横高山の山頂に到着。眺望はゼロ。
山頂部分だけは、ヒノキやスギの植林がなされずに、広葉樹が茂っている。
横高山(標高767m)〜 仰木峠(標高573m)
峰辻に掲示されていた地図に表記されていたとおり、横高山は登りが「急登」表示のとおりだった。そして、何も表記がない降りはヒノキ植林の中のなだらかな道。
標高差40mほどなだらかに降り、今度は標高差70ほどの急登。これも地図のとおりだ。
横高山のときと同じく、何処が登山道か分かりにくい急登だ。
横高山から15分。標高793.9mの水井山に到着。今日の登山ルートの中で、最も標高が高い地点だ。ここも眺望はまったくない。
水井山から北へ、あまり整備されていない京都一周トレイルを歩く。ところどころ、よく整備された林道に接しているが、踏み跡の少ない登山道が分岐していくのを見逃しがちになる。(京都一周トレイルが林道上に設定されていることはないので、この区間では林道に出てはダメだ)
水井山から24分、横川方向から来た東海自然歩道に合流する。
水井山からの京都一周トレイルが、横川からの東海自然歩道に合流する。道標No.17地点(標高600m)
ここから仰木峠までは、再び整備された歩きやすい道となる。さすが、国が整備した山道だ...
横高山から46分(2.32km)、仰木峠に到着。滋賀県の方に降りていく道が分岐している。
説明板より引用
大原の里(京都)と仰木の里(滋賀)を結ぶ峠。かつて仰木から江州米や藁工品(俵、筵など)の物資が牛や人力で運ばれた。縁組のあった時には花嫁も山を越えたという。
また比叡山への信仰の道、義経(遮那王)伝説の道でもある。
仰木峠(標高573m)〜 大原 野村別れバス停(標高215m)
スギが植林された斜面をなだらかに下っていく。
仰木峠から降ること7分、京都一周トレイルと東海自然歩道の分岐点。道標No.19がある。
峰辻に掲示されていた地図では、横高山の登り・水井山の登り、ここから大原戸寺に降る3箇所に「急登」と書かれていた。分岐点から下を見下ろすと、案の定、ほとんど整備されていない踏み跡だけの木の根道が、尾根上をずっと下まで続いているようだ。
今回は「急登」3箇所目はスキップして、整備された東海自然歩道を選択する。
最近は久しく雨が降っていないので、谷筋といっても少し湿っている程度。快調に下っていくと、標高420m付近で右側の谷からやっていた小さな沢に合流。
道は沢の右岸側にしっかりと整備され、右側の尾根側より流れ下ってくる細い流れが、登山道を至る所で横切っている。砂や小石で水はけが良い、ちょっとした湿原のようになっている場所もあり、サワガニがすばしっこく動き回っていた。
仰木峠から30分(2.1km)、大原の集落に到達。道の出口には、獣害防止フェンスがあり、小さな扉を開けて村に入る。
借り入れが終わったばかりの水田が広がり、少し向こうに住宅が建ち並んでいる。
のどかな日本の田園風景だ。
ケーブル叡山駅から歩くこと2時間57分、距離10.6km、大原の野村分れバス停に到着。
■ 京都バス 17系統 野村分れ 12:18発 → 出町柳駅前 12:51着 (運賃 400円)
■ 京阪 鴨東線・本線 出町柳駅 12:57発 → 淀屋橋駅 13:50着 (運賃 480円)