今年の造幣局「桜の通り抜け」は、先週の4月5日(金)から昨日4月10日(木)まで。しかし、桜の開花が想定より遅かったために、開始日にはほとんど咲いていない状態で、終了日頃になってやっと満開近くに。
ということで、終了翌日の今日、造幣博物館を見学するという「名目」で桜の通り抜けも見てきた。
(前回、造幣博物館&通り抜けを訪れたのは2022年4月9日『造幣局本局の桜の通り抜けと造幣博物館』)
自宅より自転車で、堂島川・大川沿いの遊歩道を20分ほど走り、銀橋(桜宮橋)のところに自転車を停める。
銀橋から見ると、手前の桜之宮公園のソメイヨシノは散り始めて緑の葉っぱが見えつつある状態。それに対して奥の造幣局の敷地に植えられているサトザクラは満開だ。
9時、正門に並んだ観光客は10人ほど。最近は通り抜け期間を外してその前後に来ているが、常に空いている。
造幣局本局の建物配置平面図と、今回歩いた「通り抜け」の経路を赤紫色で着色
正門を入ってすぐ、本館の角に「今年の花」の大手鞠が植えられている。周囲の桜も満開で、まさしく今が見頃。
桜の通り抜け
本館の北東角には鉄製の欽明門があり、その先が通り抜けのメイン通路。
欽明門
明治5年(1872年)、明治天皇が近畿・中国地方に行幸される際、造幣局をご視察されることになり、京都御所を出発し、造幣局の桟橋に到着され、上陸された場所にあったのがこの「欽明門」です。
先頭で入場したので、桜並木が続く園路には誰もおらず、写真撮り放題状態。
旧正門
ウォートルスが設計・監督して、明治4年(1871年)に建てられました。「菊花」と「大」の字を交互に配置した門柱で、正門に付随する八角形の建物は、衛兵の詰所として使用されました。昭和42年(1967年)に大阪市顕彰史跡、平成27年(2015年)に国の史跡に指定されました。
前にも後ろにも、誰も歩いておらず気持ちいいものです。
博物館前の「通り抜けの園路」を振り返りますが、まだ誰も後ろから歩いてきません
造幣博物館前にはカラーコーンのバリケードで区切られ、ここより南の「通り抜けの園路」には入れない。
サトザクラの代表品種「関山」(かんざん)。通り抜けにも多数植えられている。
関山
日本を原産とするサトザクラ及びヤエザクラの代表種。欧米文化圏をはじめとして世界各地に植栽される。花弁は塩と梅酢に漬け込んで桜湯(桜茶)やパン、スイーツに用いるため、それを目的とした業務用の栽培もある。
造幣博物館
前回までに見ていなかった視点で...
造幣博物館の展示室入口にある「硫酸銅(II)」結晶、苛性ソーダ製造設備模型、創業当時のガス灯
なお、解説文は公式資料『造幣博物館のご案内』から転載している。
硫酸銅の塊
創業当時、硫酸銀から銀を還元する過程において産出した巨大な硫酸銅の塊
高校レベルの化学で学習する銅精錬は次の3段階で行われる
(1)溶鉱炉で、黄銅鉱CuFeS2にシリカSiO2(とコークス)を加え加熱すると、硫化銅Cu2Sが溶融生成される
2CuFeS2 + 4O₂ + 2SiO2 → Cu2S + FeSiO3 + SO2
(2)転炉で、酸素を吹き込み更に加熱すると純度99%程度の粗銅Cuが生成される
Cu2S + O2 → 2Cu + SO2
(3)硫酸銅CuSO4溶液に粗銅Cu電極(+)と純銅Cu電極(ー)を入れて電解精錬を行うと、溶液中に溶け出したCu2+、Fe2+、Zn2+のうち最もイオン化傾向の低いCu2+が陰極側から電子を受け取り、陰極(純銅Cu電極)に銅Cuが析出される(Fe2+、Zn2+はイオンのまま溶液中に残留)。また、銀Agや金Auはイオン化傾向がとても小さいので、イオンになれずに電極の下に沈殿する(陽極泥)
陽極側の反応:Cu → Cu2+ + 2e- ... 粗銅が銅イオンに
陰極側の反応:Cu2+ + 2e- → Cu ... 純銅の析出
このうち、(3)の電解精錬において、ごく一部の銀Agは硫酸銅水溶液中の硫酸イオンSo4 2-と結びついて硫酸銀Ag2SO4となり溶液中に溶けるのではないか。と考察してみた。
そうすると、その硫酸銀水溶液から銀を回収するために再び電気分解すると、イオン化傾向の大きな銅Cu電極が溶け、陰極に銀Agが析出する。このときの硫酸銅(II) CuSO4が、博物館に展示されている巨大な硫酸銅の結晶なのだろう(と考察した)
2Ag2SO4 + 2Cu → 4Ag + 2CuSO4
陰極側の反応:Ag+ + e- → Ag ... 純銀の析出
30年近く前に受けた共通一次試験の化学100点(自己採点)のレベルでは、考察が正しいのかどうかわからない。大学は無機化学系じゃないんで...
苛性ソーダ製造設備模型
1881(明治14)年にわが国初のソーダ製造所を開設し、炭酸ソーダ、硫酸ソーダ、苛性ソーダ等の化学薬品を製造しました。この模型は、当時化学の大家と仰がれた宇都宮三郎の設計・監督により工部省で製作されたものです。
苛性ソーダ(水酸化ナトリウムNaOH)は、銅や銀の精錬には関係なさそうだが、一体何に使うのだろう...。展示室にいた学芸員に聞いてみたところ「金属の洗浄に使う」そうだ。
金属加工時に付着した油脂分を、アルカリ洗浄するときの薬剤ということだ。 金属加工で「酸洗浄」というのはよく聞くが、これは表面の酸化皮膜を除去するためのもの。アルカリ洗浄は油脂汚れを除去する。
ガス燈
1871(明治4)年創業当時、構内や付近の街路に建てられた65基あった屋外照明用のガス燈の一つ
石膏型から種印へ、ピンク色の矢印を書き入れてみた。
縮彫機
この機械は、図案などの平面拡大に用いるパンタグラフの原理を応用して、図案をもとにして作られた石膏型から鋼鉄に精巧に模様を写し取った種印と呼ばれるものを作り、この種印をもとに極印を造ります。これは1925(大正14)年に購入した機械です
お雇い外国人
創業当時、貨幣製造に必要な大型機械や製造設備の技術指導に延べ31人の外国人技術者(お雇い外国人)を雇い入れ、その指導のもと、日本人職員は先進技術を吸収しました。
文書の「職掌」欄を見てみると、硬貨製造に必要な多くの分野をガイジンから教えてもらっていた(任せていた?)ことがわかる。
試験分析方、化学及冶金師、銀試験分析方、金試験分析方、極印彫刻方、機械方、秤量方、伸金方、硫酸製造方、計算方 ...
これは、ポルトガル人が作成した英文の帳簿で、「借方」(debtor: Dr.)、「貸方」(creditor: Cr.)を時系列で記した貸借対照表と思われる。
それにしても、欧米先進国に日本の貨幣を「認めてもらう」には、帳簿まで英語で記載しなければならなかったのだろう。
バイカラー・クラッド
2種類の金属板をサンドイッチ状に挟み込む「クラッド技術」でできた円板を、別の種類の金属でできたリングの中にはめ合わせる「バイカラー技術」を組み合わせた技術です。
下の写真では、コア側の金属板は2種類の金属を張り合わせた複合板材なのだろう。それを、プレス機で打ち抜いて「コア」部分を作り出す。
中心部の導電率は、単一金属の場合に比べて、間に別の金属を挟むことで中間抵抗値を出すことができるので、より高い判定精度が得られるのだろう。
偽造防止技術「バイカラー・クラッド硬貨」
新しい500円硬貨は中心部と周辺部で導電率が異なるため、より精度の高い真貨の判定に役立つ。