紅葉の最終盤、二尊院で紅葉鑑賞し、鳥居本・試峠を経て清滝・保津峡まで11km歩いた。
ヤマレコの記事 『 嵐山紅葉刈り周遊(二尊院・鳥居本・試峠・金鈴渓・保津峡)』
GPSログ
阪急嵐山駅から渡月橋を経て清涼寺へ
■ 阪急京都線 大阪梅田駅 07:21発 → 桂駅 → 嵐山駅 08:11着 (運賃 400円)
通勤・通学時間帯のため、京都河原町行の快速急行は十三駅から満員。桂駅で乗り換えた嵐山線は、観光客がほとんど乗っておらず空いていた。
コロナ前までの紅葉の季節には、平日でも老人ハイカー集団がたくさん乗っていた。コロナ後もこのまま、集団でハイキングという価値観は消滅してほしいものだ。
嵐山駅から800mほど歩いて渡月橋の北詰へ。ここは嵐山を背景にした渡月橋を撮影する定点ポイントだ。1ヶ月前、愛宕山に登る時に見た嵐山は、まだ紅葉が始まったばかりだったが、今日は紅葉も最終盤となり、カエデ類も赤から茶色に変わりつつある。
報道では、京都には首都圏を中心に全国から観光客が詰めかけているそうだが、8時過ぎの段階で嵐電嵐山駅前の"バス道"に観光客の姿は殆ど無い。
このまま、観光客に遭遇せずに二尊院を経て清滝まで行ければ、なんて幸せだろうか。
阪急嵐山駅から22分、約2.0kmのところにある清涼寺に差し掛かる。
清涼寺 仁王門に続く門前通り (通りの突き当りに仁王門が見える)
清涼寺仁王門に掲げられた扁額には「五台山」とある。
愛宕山を、清涼寺の開祖である奝然が修行のため巡礼した中国の五台山に見立てたことから、山号となったそうだ。
本堂の横には、豊臣秀頼の首塚がある。この塚は、1980年に大坂城跡から発掘された秀頼公の首と思われるものを埋葬したものだそうだ。
何故ここに秀頼公を...。 江戸時代に火災消失した1代前の本堂(釈迦堂)が、豊臣秀頼が寄進したものだからだろうか。
多宝塔の両側にあるカエデは、赤から茶色に変わりつつあるギリギリ干渉に耐える状態。以前は、紅葉の時期には多宝塔の横に茶店が開いていたが、インバウンドが消失したら茶店も消滅していた。
清涼寺 聖徳太子殿の手前に建てられた石碑 (石碑の右奥に、法隆寺夢殿を模した八角円堂がある)
清涼寺は、平安時代の貴族 左大臣源融(みなもとの とおる:光源氏のモデルといわれる)の邸宅があり、死後に彼を祀る阿弥陀堂のあった場所に建てられている。
清涼寺 源融の墓所と石碑 (木々に少し隠れているが、宝篋印塔がある)
二尊院
阪急嵐山駅から35分、約2.8km地点の二尊院の総門前に到着。開門15分前だが、すでに10人弱が行列している。
9時5分前、開門。総門を入ったところの受付で500円払って中へ。この時間に並ぶ人は写真撮影が目的なので、撮影ポイントの紅葉の馬場で互いに譲り合いながらの撮影タイムとなる。
もしインバウンドが存在していたら... 悪夢である。 ひたすらカエデの前に陣取り自撮りにうつつを抜かす "譲り合いも空気読むこともしない奴ら" が居ないに越したことはない。
本堂は室町時代の1521年に再建されたものだそうだ。
江戸時代に保津川・大堰川・高瀬川などを開削し、水運の父と呼ばれた角倉了以(すみのくら りょうい)の像がある。
角倉了以の目線の先には、小倉餡発祥の地碑。 平安時代初期に、日本で初めて砂糖と小豆を炊いた小倉餡が初めてこの地で作られたそうだ。
弁財天堂と角倉了以像の間にある、標高差30mほどの石段を登ると法然上人廟があり、そこから山道を少し行くと時雨亭跡がある。
時雨亭は、藤原定家の小倉山荘「時雨亭」跡とされる場所で、ここで小倉百人一首が編纂されたとされる。
そういえば常寂光寺にも、時雨亭跡 と言われる場所 があったな...
後亀山天皇陵、鳥居本地区を経て試峠・展望台へ
二尊院を後にし、試峠へ向かう。途中、後亀山天皇陵に立ち寄って行くことにする。
(南朝は負けて足利氏側の北朝に吸収されたが、忠義の臣 小楠公こと楠木正行が支えたので、明治時代に皇国史観が作られる過程で南朝側が正当な王朝とされた。当時は負けたのに、今では正統な天皇陵というわけだ)
鳥居本の街道を歩いていくと、向こうから団体ツアー客が道いっぱいに広がって歩いてくる。
コロナで「団体で旅行するというスタイル」は滅んだわけではなく、残念ながら政府のバラマキで旅行会社が延命してしまったので、この迷惑な団体形式がまた出現したというわけだ。
阪急嵐山駅から1時間33分、約5.2km地点、鳥居本が愛宕神社の「門前町」であることを示す巨大な鳥居が見えてきた。
鳥居の横には、旅行番組などでしょっちゅう取り上げられる高級老舗茶店の平野屋がある。ちょうど、高級車レクサスが来て店の前の駐車スペースに停車した。つまり、登山者やハイカー向けではないということだ。外観を撮影するだけにしよう。
集落が途切れた先、300mほど緩やかに登っていったところに愛宕念仏寺(おたぎねんぶつでら)がある。
ずっと手前、鳥居本の集落内にある化野念仏寺と似た名前でややこしい。
阪急嵐山駅を出発してから1時間40分、約5.7km地点。愛宕念仏寺前の愛宕隧道入り口までやって来た。
ここで清滝隧道に向かう府道137号と、試峠に向かう旧愛宕街道が分岐する。今回は、峠を越える旧街道を進む。
愛宕神社の参詣道に立てられているのと同種の解説板がここにもあり、"愛宕山に登れるかどうかまず試みる峠である。昭和4年に愛宕山鉄道が敷設され、現清滝トンネルが完成すると、この峠を越えなくても清滝に行けるようになった"と書かれている。
トンネルとの分岐点、標高130m地点から愛宕山登山道を登る勢いで、気合を入れて登り始めるが、峠まで標高差はたったの40mほど、5分で登りきる。
「試峠」とは、大仰な命名をしたものだ...。
峠のすぐ手前で、更に山の尾根に向けて登っていく道が分岐している。道の入り口には「梅津山清滝不動院」と彫られた石柱が立っている。
舗装道路をしばらく登っていくと、土建会社の作業ヤードがある。更に上に登っていく石段が続いているので、そちらに進む。
試峠から標高差90mほど登ると、小ぢんまりした新しいお堂がある。
道はさらに尾根上をゆるやかに登って行き、とうとう高雄パークウェイに出る。その先には、小さな駐車場を併設した愛宕前展望台。
鋼製デッキがあり、展望台の名前の通り清滝と愛宕山が一望できる。愛宕山の表参道が通る稜線も含めて一望できる、良い展望台だ。
愛宕前展望台から見た愛宕山(右奥の一番高い山)と表参道のある稜線
次の写真で、試峠は写真中央の下方。清滝は右側の谷底を向こうに向かって流れている。左奥の一番高い山は、嵐山連山いちばん北端にある山上ヶ峰。
展望台・試峠から清滝へ
もと来た道を戻り、試峠から清滝に降りる。ここから先の道路は、清滝から市内方向に戻る一方通行になっている。
清滝隧道からの道と合流し、清滝バス停の前を通り過ぎて、川の横まで降りていく。
標高80mの渡猿橋のところまでやって来た。橋を渡ると愛宕山方面で、今回は橋は渡らずにここから清滝川に沿って下っていく。
渡猿橋の左側に見える鄙びた建物は、旅館「ますや」。寛永3年から続く老舗で、 "田宮虎彦、織田作之助、山口誓子、梶井基次郎、三好達治、湯川秀樹など、多くの文化人や財界人が訪れ、往時には、与謝野晶子が鉄幹とともに歌会を開いたり、徳富蘆花が読書にふけったりもしていた" 旅館だったそうだが、今は廃墟となっている。
清滝から保津峡駅へ
渡猿橋から100mほど行った所で、清滝橋を渡り川の右岸側に出る。橋の袂に、京都一周トレイルの「西山2」標識がある。
ここから保津峡に合流するまでの区間は、金鈴渓(きんれいけい)と呼ばれている。清滝の集落付近はイロハカエデの紅葉が綺麗だが、保津峡までの区間には紅葉する木はほとんど生えていない。普通の渓谷だ。
清滝の集落から950m、10分ほど歩いた地点に、明神谷が清滝川に合流する部分に架かる橋があり、橋の袂に無線機を持った男性が居る。
この先で映画のロケハンしているから、撮影が中断するタイミングで通行してほしいとのこと。記者発表前なので、映画のタイトルは公に出来ないそうだ。太秦の撮影所(松竹なのか、東映なのか...)から来ているそうだ。
数分待って、撮影が中断したことが無線連絡あり、先へ進む。
さすが大手の配給会社が関わっている撮影だけあって、監督、俳優やカメラマンのほか、たくさんのスタッフが狭い渓谷に大集結している。50人以上は居るようだ。ちょっと下流にはカヌーを待機させている人まで居る。激流下りするのかな...
撮影現場付近は、ハイカーを通すための専属スタッフが居て、機材や荷物の間の何処を通っていけばよいか先導してくれる。
今日は暖かいから、よい撮影日和だと思う。いい映画が出来るといいね...
清滝の集落から1.4kmほど歩いた地点の沈下橋を渡り、川の左岸側へ。 渓流が大きくターンしている部分をこえると、すぐに保津峡(大堰川・桂川)との合流地点の落合だ。
この地点で落合橋を渡ると保津峡駅や水尾集落方向、逆向きに坂を登っていくと六丁峠を越えて嵯峨野方向。今回は、保津峡駅方向に向かう。
落合橋(GoogleMapでは、愛宕橋と表記されている)を渡るとすぐに落合隧道がある。トンネルを抜けると、ここにも映画ロケハンの車が停車している。
この辺り車を止める場所が少ないので、分散駐車しているのだろう。
トンネルを抜けたところには、京都一周トレイルの道標もある。掲示されている地図は、落合橋を渡らずに引き返せと言う内容だ。
眼下には大堰川が流れていて、保津川下りの小舟に乗った修学旅行生の騒ぎ超えが聞こえてくる。
大堰川の対岸にあるトロッコ保津峡駅から、数人の観光客がこちら側に渡ってくる。ここで降りて、いったい何処に行くんですかね...。一般人には、六丁峠を越えて嵯峨野に戻る行動力はないと思う。
落合橋から1.5km、2つ目のトンネルを抜けると眼下にJR保津峡駅が見える。駅は保津峡(大堰川)に架かる橋の上にあり、ちょうど真下の川を保津川下りの小舟が波にもまれている。
府道50号は、壁岩の岸壁に穿たれた道をトラバースして下っていく。岩壁が崩落するのを防ぐためのロックボルトが突き出していて、「突起に注意」の看板が立てられている。
水尾方向の道が分岐し、保津峡橋を渡るとすぐにJR保津峡駅に到着。阪急嵐山駅を出てからちょうど3時間、総移動距離は11.9kmだ。
■ JR山陰線 保津峡駅 11:23発 → 二条駅 11:36着 (運賃 240円)
二条で下車し、三条通商店街の食品店「元気や」で豚しょうが焼き弁当(322円)を購入し、四条大宮の快活クラブの飲み放題喫茶(30分 230円)で食べる。