高野山へ、登りはケーブルカーとバスでさっと移動し、下りは徒歩で。 平日だったので、ものすごく空いていた。
・ヤマレコの記事 『高野山(奥の院・弁天岳・不動坂・極楽橋・紀伊神谷駅)』
■ 南海高野線 急行 難波駅 06:29発 → 橋本駅 07:18着 07:22発 → 極楽橋駅 08:06着 (運賃890円)
■ 高野山ケーブル 極楽橋駅 08:11発 → 高野山駅 08:16着 (運賃 500円)
なんば駅を、始発から2本めの急行に乗車。 早朝にもかかわらず、全ての席が緩やかに埋まる程度の乗客が乗っている。
都心から郊外へ、早朝に始まる事業所に勤める人たちなのだろう。
橋本駅で極楽橋行きの列車に乗り換え (2300系電車)
橋本駅でトイレを探したが見つからず、帰りにプラットホームの端(高野山側)にあるのを発見。 乗り換え時にトイレに行く人が多いから、こういう場所にトイレを作ったのだろう。
標高92mの橋本駅から標高535mの極楽橋駅までの19.8kmの路線は、最大勾配50パーミルの山岳鉄道。 急勾配と急カーブの連続する路線のため、通常より短い17mの車両が使われている。
高野下駅までは、停車駅ごとにたくさんの学生が乗っている上り列車とすれ違うが、それより先は列車本数もめっきり少なく、乗客も少なくなる。
極楽橋駅でケーブルカーに乗り換え
ここまでやって来た乗客は15人ほど。 会話している人の話が漏れ聞こえてくるが、高野山の観光施設などに通勤する人たちがほとんどのようだ。
2019年に導入されたばかりの新車N10・20形に乗って、一気に標高860m地点まで登る。
1928年(昭和3年)に建てられた木造駅舎は、登録有形文化財だそうだ。
高野山駅前より、バスに乗車。すべて列車のダイヤと連携しているので、待ち時間無しで移動できるのが嬉しい。
■ 南海りんかんバス 高野山駅前 08:21発 → 奥の院前 08:37着 (運賃 420円)
バスは通勤客が数人、観光客が数人の乗客を乗せて出発。 駅を出て女人堂までの間は、バス専用道を走る。 バス以外の車両はもちろん、自転車も登山者も通行できない道で、女人堂のすぐ近くに警備員の詰め所まである。
ケーブルカーとバスは「セット品」のようだ。
GPSログ
奥の院
奥の院前でバスを下車。 奥の院の弘法大師廟までの参道は、「中の橋参道」と呼ばれるそうだ。 もう一つの表参道的なものは「一の橋参道」といい、今日は復路にそこを通って金剛峰寺・伽藍の方へ向かおうと思う。
この参道沿いには、いろいろな企業の供養塔が並んでいる。
新明和工業のロケット型の慰霊碑、“しろあり”とデカデカと彫られた日本しろあり対策協会の供養塔、コーヒーカップ型したUCCの慰霊碑など、現代芸術と見間違えるようなものもある。
英霊殿への分岐点のところで、“見どころ”が多そうな一の橋参道に経路を変える。
明るく開けた通りだった中の橋参道と違い、一の橋参道は鬱蒼としげる杉林の間を抜けていく道だ。
この杉林は “奥の院の大杉林 (和歌山県天然記念物) ” だそうで、説明看板によれば “一の橋から奥の院御廟までの参道約1.6kmの両側にそびえ立つ樹齢約200〜600年の大杉林は、和歌山県の天然記念物として指定されています。 大杉の総数は1300本を数え、樹高50メートル級の巨木も見られます。” ということだ。
樹高50メートル…。 そんなに高くなるものなのか。
一の橋参道沿いには、名だたる戦国武将を始め、江戸期の各藩藩主や有力御家人、明治以降の戦没軍人などの墓所、慰霊碑が立ち並んでいる。
秀吉、秀長など豊臣一族が祀られている
奥の院 東洋紡・南海電鉄・アサヒビール創業者 松本重太郎墓所
“ 父母のしきりにこひし雉子(きじ)の声 ”
墓所が並ぶ参道は御供所・護摩堂の所で一旦終わり、玉川に架かる御廟の橋を渡ると、いよいよ弘法大師廟が見えてくる。ここから先は写真撮影は禁止
御廟橋の袂には水向地蔵があり、説明看板によれば “玉川の清流を背にして、地蔵菩薩や不動明王、観音菩薩などが安置されており、これらを総称して水向地蔵と呼びます。 参詣客は御供所にて経木を求め、水向地蔵に手向け水をそそぎ、亡き人の冥福を祈ります。” という場所だ。
国土地理院地図には、弘法大師廟の付近から転軸山に向かう山道があるように描かれている。しかし、廟所の出入りは一の橋参道以外は無く、転軸山に登るのはあきらめ、素直に一の橋参道を戻る。
中の橋参道の入口から弘法大師廟に行き、一の橋参道の出口まで、およそ3.45kmの道のりをのんびりと1時間ほど掛けて歩いてきた。
総本山 金剛峯寺
奥の院 一の橋参道の入口より、総本山金剛峯寺の表門前まで、ほとんど車が走っていない国道を1.1kmほど西へ歩く。
沿道には土産物屋や食堂、宿坊と思われる寺院などがあるが、人通りはほとんど無く、店もほとんど開いていない。 平日に来る観光客はほとんどいないのだろうか。
門の手前のイロハカエデが、わずかに色付いている。
書院造の主殿は、江戸末期の1863年に建てられた建物。 内部の拝観が可能で、拝観料は500円。 今週末からは1000円に「爆値上げ」されるようだ。
ただし、今日は日本画家千住博の絵画の搬入があるということで、主殿の奥(上壇の間・奥書院など)は見学できない。 荷物を運ぶため、手前の大広間の襖が全開になっていて、持仏間が真横から見放題なので、一応見学したことにはなるのだろうか…
長い廊下を渡り、別殿へ。 ここは空海が唐に渡り長安青龍寺の恵果和尚の弟子となり、密教を極め阿闍梨(あじゃり = 密教の指導者)の位を得るまでの流れを襖絵で紹介している。
なお、ライバル最澄と犬猿の仲であったとされることについては、一切触れられていない… のは当たり前か。
ちなみに、建物内の撮影は一切禁止だ。
入館者は、私を入れて11人。 観光公害のインバウンド外国人が出没していたときには、これが満タンになっていたのだろうか…
総本山 金剛峯寺を出て、更に西へ向かう。 目の前の大きな駐車場に、客を乗せていない観光バスが5両くらい停車している。 このコロナ禍に団体客でも来るのだろうか…
金剛峯寺 壇上伽藍
イロハカエデ並木の小道(蛇腹道)を200mほど西へ行ったところに、壇上伽藍がある。
東塔は1984年に再建された、まだ新しい建物
1937年に再建された、鉄筋コンクリートの多宝塔。 高野山の観光パンフレットなどに、必ず掲載される名所。
1934年に再建された、鉄筋コンクリートの建物。 いかにも古そうな木造風に建てられている。
1522年に再建された、高野山の鎮守社。 神仏習合思想では、密教を広めるためには土地ごとの神に守られねばならないとのこと。
御影堂は1847年に建てられたもの。空海の弟子真如が描いた弘法大師御影が納められている。
大門から弁天岳
壇上伽藍の中門から国道に出て、斜め向かいにあるファミリーマートで弁当(498円)を買う。
コンビニのイートインは撤去され、座って食べるところがない。 壇上伽藍の駐車場の一角に喫煙所があり、そこのベンチに座って昼食。
仏教都市なのに、売っている弁当が、肉とご飯だけの不健康そうなものばかり。 非肉系、精進料理的なものはないのかね…
そして、あらゆる感染症を避けるためには、外食を極力避けるべしという 「三密」 回避精神が重要だ。
真言宗のありがたいお言葉 “三密加持速疾顕” では、悟りを開くために「三密」は重要であると解く。 つまり、三密「身密(行動を整える)・口密(発言を整える)・意密(心を整える)」を実践することで即身成仏できるという意味のようだ。
壇上伽藍から国道を西に600mほど歩くと、寺院地区の西端、大門がある。
この門は1705年に再建されたもので、重要文化財に指定されている。
この門は、かつての西側の結界に位置しており、大門の前で女人道と町石道が交差している。今日は女人道を通って弁天岳を経由し、下山口である京大坂道の女人堂まで歩くこととする。
『高野山女人道から京大坂道を下り紀伊神谷駅へ』 に続く