14 October 2020

高野山女人道から京大坂道を下り紀伊神谷駅へ

もみじが色づき始めた高野山』 からの続き

・ヤマレコの記事 『高野山(奥の院・弁天岳・不動坂・極楽橋・紀伊神谷駅)

高野山 奥の院と金剛峯寺を巡った後、大門前から女人道(弁天岳)、京大坂道を下って紀伊神谷駅まで歩いた。

GPSログ

20201014-tracklog.jpg

20201014-tracklog-height.svg.png

GPXファイルをダウンロードする

大門から弁天岳

20201014-daimon.jpg
大門

この門は1705年に再建されたもので、重要文化財に指定されている。

この門は、かつての西側の結界に位置しており、大門の前で女人道と町石道が交差している。今日は女人道を通って弁天岳を経由し、下山口である京大坂道の女人堂まで歩くこととする。

20201014-nyoninmichi-map.jpg
大門前の女人道標識

20201014-bentendake-tozanguchi.jpg
大門前の広場にある弁天岳登山口

20201014-nyoninmichi-tozandou01.jpg
女人道 (大門から弁天岳)

杉林の中の登山道を15分ほど登ると、見晴らしの良い場所に出る。

20201014-bentendake-westview.jpg
弁天岳の山頂直下から西方向を望む

画面中央のずっと向こうは、和歌山市である。

20201014-takebenten.jpg
弁天岳山頂(標高984m)の嶽弁天

大門から歩くこと900m、およそ20分掛かった。 ここまで、1人で登山する女性、高齢女性3人組の4人とすれ違っただけで、女人道を歩く人はそれほど多くないようだ。

かつて女性信者は、高野山結界の外周を巡礼するしかなかったため、この女人道を通ってお参りをしたらしい。

20201014-nyoninmichi-tozandou02.jpg
女人道 (弁天岳から女人堂)

女人堂までの下山道は、木の根が登山道を覆い尽くしていたりして、とても歩きにくい場所がある。

20201014-nyoninmichi-nyonindou.jpg
女人堂前の女人道の分岐点

弁天岳から18分ほど、女人道を降りてゆくと女人堂がある。

女人堂から極楽橋

20201014-nyonindou.jpg
女人堂

20201014-nyonindou-ketukai.jpg
女人堂前の京大坂道結界

女人堂前からケーブル高野山駅方向に100mほど戻ると、京大坂道不動坂の分岐点がある。 極楽橋駅まで、この不動坂(県道118号)を経由して約2.3km 標高差300mほどである。

20201014-fudouzaka-nyonindou.jpg
不動坂の山頂側入口(女人堂前)

完全に石畳舗装された緩やかな坂道を8分ほど降りていくと、清不動堂(きよめのふどう・どう)がある。

20201014-fudouzaka-kiyomenofudou.jpg
不動坂の途中にある清不動堂

清不動堂から100mほど下った所に、旧街道の分岐点がある。 今回は、完全に石畳舗装された新道を降りていくことにする。

20201014-fudouzaka-bunki01.jpg
不動坂の旧街道と新道の分岐点

ここから先も、新道ほぼ完全に石畳舗装された緩やかな下り坂だ。

20201014-fudouzaka-tozandou01.jpg
不動坂(清不動堂から極楽橋)

まもなく極楽橋駅付近というところまで降りてきた。 旧街道との分岐点があらわれ、さきほど清不動堂付近で分岐した道が、ここで再び合流している。 旧街道は新道に比べてかなり急なようで、「いろは坂」という別名も与えられている。

20201014-fudouzaka-bunki02.jpg
不動坂の分岐点

20201014-fudouzaka-cablecar.jpg
京大坂道 不動坂が高野山ケーブルの下をくぐり抜ける

20201014-fudouzaka-tozandou02.jpg
極楽橋の袂から見た不動坂と道標

女人堂を出てから約36分で極楽橋に到達。 ひたすら下りの道なので全く疲れない。

20201014-fudouzaka-gokurakuhashi.jpg
京大坂道が通る極楽橋と、南海高野線の列車

そして、この極楽橋を渡ると、すぐ目の前は南海高野線の極楽橋駅だ。

20201014-gokurakuhashi-station.jpg
極楽橋駅

極楽橋駅から紀伊神谷駅まで京大坂道を歩く

この時間帯は、列車は1時間に1本だけだ。 つい10分前に列車が出たばかりなので、40分くらいは次の列車までの余裕時間があるだろう。

20201014-kyouosakamichi-01.jpg
極楽橋の袂より大阪方面に下る京大坂道を見る

ここから先も県道118号(かつての京大坂道)が橋本まで続き、極楽橋の次の駅である紀伊神谷駅まで約1.7kmだ。

極楽橋前から100mほど下っていくと、不動谷川に架かる新極楽橋があり道が分岐している。その袂に神谷地区の観光地図が掲示されている。

20201014-kyouosakamichi-02.jpg
新極楽橋横に掲示されている神谷地区の観光地図

かつての宿場町 高野町神谷地区の見どころは、旧白藤小学校(1997年廃校)、日本最後の仇討ち所といったところだろうか。どちらも、神谷駅に向かう道からは外れてしまうので、今回は訪問を断念。

20201014-kyouosakamichi-03.jpg
県道118号 京大坂道が高野線の線路を越える辺り

道路なのか、資材運搬鉄道なのか分からないが、何らかの橋の下をくぐる切通しを通り抜けると、高野山に向かう道路が分岐している。

高野街道は、徒歩道は極楽橋経由の京大坂道が、車はここで分岐している道路を通って行く。そして、神谷地区のいちばん端にある住宅が1軒、ここの角にある。

20201014-kyouosakamichi-04.jpg
県道118号 京大坂道と高野山、極楽橋への道が分岐する地点

道標があり、紀伊神谷駅 0.8km 、高野山 6.0km

更に100mほど下っていくと、今度は県道118号 京大坂道から紀伊神谷駅方向への道が分岐。 神谷地区の集落や観光名所は、すべて京大坂道方向にある。

今回は、紀伊神谷駅方向への下り坂を進んでいく。

20201014-kyouosakamichi-05.jpg
紀伊神谷駅に続く下り坂

道は杉林、竹林と通り抜け、遥か崖下に神谷駅が見える。道はつづら折りに駅に続いている。 住宅などの建物は一切無い。

白藤小学校 0.1km 、 紀伊神谷駅 0.2km の分岐点を通り過ぎ、

20201014-kyouosakamichi-06.jpg
紀伊神谷駅に向かう道の最後の分岐点

神谷集会所 0.3km 、日本最後の仇討ち 2.0km がここで分岐している。 日本最後の仇討ちとは、1871年2月に「播州赤穂藩の森主税と村上真輔が勤王派の13名に暗殺された」仇を、「村上真輔の子4人」がここで果たした「高野の仇討ち」のこと。

歴史上有名な日本最後の仇討ちは1880年12月に臼井六郎が両親と妹の仇である一瀬直久を東京の旧秋月藩主・黒田邸で討った事件であるというのが通説だが、仇討ち禁止令が1873年2月に出されていることより、その前に行われた最後の… というのが、この「高野の仇討ち」だとのこと。

秘境駅 紀伊神谷駅

紀伊神谷(きい かみや)駅は周囲に人家もなく、売店や自販機もないが、有人駅。

20201014-nankai-kiikamiya-01.jpg
南海電鉄 紀伊神谷駅

乗降客数は南海電鉄の全ての駅の中で最下位、1日に13人。

20201014-jyoukoukyakusuu.jpg

1日に13人しか乗り降りしない駅にもかかわらず、ICカード対応の自動改札機が鎮座している。

20201014-nankai-kiikamiya-02.jpg
紀伊神谷駅のコンコース

掲示されている時刻表には、1日に上下合わせて50本程度の列車が停車しているのに、乗降する客はたったの13人。寂しすぎる

20201014-nankai-kiikamiya-03.jpg
紀伊神谷駅の改札からプラットホームへの通路

レトロな雰囲気を残す木造駅舎を通り抜け、遮断器のない踏切を渡りプラットホームへ

20201014-nankai-kiikamiya-04.jpg
紀伊神谷駅のプラットホーム

列車が到着するときには、駅員さんがプラットホームに出てきて安全確認している。 列車はかなり遠くから車輪がきしむ音を響かせてくるので、遮断器の警告音は必要ないくらいだ。

20201014-nankai-kiikamiya-05.jpg
紀伊神谷駅に到着した極楽橋行き列車

4両編成の列車が停車すると、それほど秘境感もない。

■ 南海高野線 紀伊神谷駅 13:12発 → 橋本駅 13:53着 14:06発 → 難波駅 14:55着 (運賃 890円)

20201014-nankai-kiihosokawa.jpg
紀伊細川駅と上古沢駅の間を走る列車