竹内街道が大阪から奈良に越える峠のすぐ手前、飛鳥時代の天皇や高貴な人物の墓が点在する二上山の麓にある王陵の谷と、古墳群にある近つ飛鳥博物館を観に行った。
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総移動距離 16.5km, 最低標高 37m, 最高標高 165m, 総獲得標高 625m, 総損失標高 627m
かなり起伏のあるコースで、クロスバイクでも楽ではなかった。 変速段数を1にして走った急坂もかなりあり、二上山の麓といっても侮れない。
■ 自転車 約7km 自宅(福島区) 09:00頃発 → 天王寺 09:00頃着
近鉄阿倍野橋駅の地下1階 東改札口前に自転車が降りてこられるスロープがあり、そこでクロスバイクを分解し輪行袋に入れた。
スロープは、昔ここに踏切があり、私が高校生の時に駅が近代化して地下街になった時に、代替措置として造られたものだと思う。
■ 近鉄 阿部野橋駅 09:54発 → 上ノ太子駅 10:22着 (運賃 410円)
橿原神宮前行きの準急列車は、座席の半分程度に客が座る程度の乗車率。 通勤・通学の時間帯が終わればこんなものなのだろう。
上ノ太子駅は太子町ではなく、隣の羽曳野市にある駅。 だから、「上ノ」 太子 と表記しているのだろう。 その南側の駅前には建物がひとつも見当たらない。 コンビニもなければ、住宅も事務所も何もない。 駐車場と空き地だけ。 天王寺から30分かからない場所でさえ、過疎化してるのか…
竹内街道 (上ノ太子駅前 から 太子町 道の駅まで)
駅前から国道(旧竹内街道)を400mほど走っていくと、小さな川を渡る橋がある。ここから先が太子町。
太子町に入ってすぐ、国道166号線と旧竹内街道は別の並行する道に分離し、旧街道は歩行者メインの細い道になる。
住宅街の中をしばらく走っていくと、“蘇我馬子 創建” と書かれた寺院の看板
蘇我馬子が創建したとされる妙見寺
このあたりの竹内街道は観光向けに整備されていて、新しい標識や観光マップが至るところに設置されている。
上り坂の傾斜は徐々にキツくなり、上ノ太子駅前の標高40mから孝徳天皇陵前の120mまで、標高差は80mもある。後半の上り坂は、ママチャリではきついかもしれない。
街道に面して、孝徳天皇陵のある丘(山?)がある。その駐車スペースに自転車を停め、階段を登っていくと天皇陵がある。 ちょうど、造園業者が草刈りをしているところだった。
天皇陵前をすぎると、道はどんどん細く傾斜もキツくなり、街道資料館のまえに至るとクロスバイクの変速段を「1」にしないと到底登れない傾斜だ。
竹内街道歴史資料館
上ノ太子駅前から約3km。歩けない距離ではないが、やはり自転車は楽だ。
入館料は200円だ
竹内街道というよりは、太子町内にある「王陵の谷」の考古学博物館になってしまっている
道標とサヌカイト原石
サヌカイトは、石器時代に石器の材料として使われた硬い特殊な安山岩で、讃岐富士(香川県 丸亀市)と二上山が主要産地だった。
道の駅
街道資料館を出て、ほんの少しだけ竹内峠の方に向かうと道の駅がある。
超こぢんまりした道の駅には、この時期摂れる柑橘類や、大根などの根菜類など地元の野菜が売られている。
道の駅から竹内峠方向を眺める (国道166号線、旧竹内街道)
この先は、今年の5月に『二上山 (その2) : 二上山雄岳 〜 雌岳 〜 竹内峠 〜 屯鶴峯』のときに通った竹内峠がある。
小野妹子の墓
道の駅から約1kmで、小野妹子の墓の麓までやってくる。 ここには、かつて二上山の山頂にあったとされる科長神社と、妹子の墓が隣り合っている。
二上山の山頂にあった時代は「二上権現」と呼ばれていたそうだ。
およそ20mほどの高さの丘を登り、今日の行程で最高地点(標高約160m)に小野妹子の墓がある。
先程見学した孝徳天皇陵より巨大だ。
進入可能なフェンスぎりぎりまで進んで、そこから撮影した小野妹子の墓
妹子の墓がある丘の上から西を見ると、富田林の丘陵地に広がる市街地が一望できる。
このなだらかな山々の向こう側に、竹内峠を挟んで二上山がある。
二子塚古墳
妹子の墓より西へ約800m。畑の中にこんもりした2こぶの丘がある。二子塚古墳だ。
ここは双方墳(前方後方墳)で、埋葬者は不明。 現在発掘調査中で、東側の丘の石棺を覗き込むことが出来る。
こちら側から盗掘されていたようで、石組みが発掘調査前から崩れていたようだ
よく岩に丸い穴をくり抜いたものだな…
発掘現場を実際に眺めることが出来るのは素晴らしいことだ。
推古天皇陵
二子塚古墳の北側に、推古天皇陵のこんもりした森が見えている。 間は畑なので、南側の給食センターの建物を迂回する道を通って行く。