京都御所に時代祭の行列を観に行ってきた。
『京都御所 時代祭(明治維新〜江戸時代)』からの続き
安土桃山時代
豊公参朝列
豊公参朝列では牛車に乗った秀頼と、豊臣政権の五奉行が、前田玄以、増田長盛、浅野長政、(秀頼の牛車)、石田三成、長束正家の順に登場します。
丹波亀山城主 前田玄以は当時の有力な武将の中で京都の公家・諸寺社との繋がりを持つ数少ない人物で、京都所司代に起用されていた。また、関ヶ原の戦いには参戦せず、徳川政権となった後も本領安堵された。
郡山城主 増田長盛は関が原の合戦では西軍につき、徳川政権で謹慎を言い渡されたが大阪冬の陣に豊臣氏に与し戦後に自害を申し渡される。
常陸国真壁藩主 浅野長政は豊臣政権の五奉行の筆頭。関が原の合戦では徳川方につき、浅野家は江戸時代に赤穂藩を長く治めた。
佐和山城主 石田三成は関が原の合戦で西軍を率い敗退し、五条河原で斬首される。
織田公上洛列
応仁の乱後の1568年に織田信長が上洛したときを再現している。桶狭間の戦い(1560年)で今川市を討ち滅ぼし、清洲同盟で徳川氏と結んで背後から攻め込まれることを阻止して、尾張を統一。1566年には(斎藤道三の跡を継いだ嫡男)斎藤龍興を滅ぼし美濃を統一。 ここで1568年の上洛が行われた。 その後、1569年には摂津・河内を治めていた天下人の三好氏を平定… という流れになる。
上洛列は、立入宗継、羽柴秀吉、丹羽長秀、織田信長、滝川一益、柴田勝家 の順で登場。
室町時代
室町幕府執政列
三管領(斯波氏・細川氏・畠山氏)および四職(赤松氏、一色氏、京極氏、山名氏)から、伊勢氏、(足利将軍)、細川氏、山名氏、二階堂氏の順に行軍する。
室町洛中風俗列
風流踊は、様々な衣装を着た人びとが群舞する踊り。すべて男性で、奇抜な仮装や妻女の派手な衣裳で着飾っていたそうだ。
吉野時代
いわゆる、南北朝時代のことで、天皇家を中心とした歴史では、吉野に逃れた南朝方のみが正当とされる。
楠公上洛列
足利高氏が六波羅を攻め落とし、新田義貞が鎌倉幕府を滅ぼした1333年、正成が壱岐から脱出した後醍醐天皇を奉じて京に上ったときの上洛列。 なお時代祭の行列には、後醍醐天皇は登場しない。
正季は正成の弟で、湊川の戦いでは兄・正成と共に自害した。
中世婦人列
大原女は京の街に薪を売り歩いたという
桂女は、鮎をなれずしにした鮎鮨、勝栗、飴といった食料品、酒樽のような道具を売り歩いたという
豊臣秀吉の側室 茶々は、安土桃山時代ではなく室町時代の方に登場ですか…
義経の側室の静御前も、なぜかココで登場
鎌倉時代
城南流鏑馬列
流鏑馬は平安時代から存在したが、武士の嗜みとして、また幕府の行事に組み込まれたことも含めて鎌倉時代になり盛んに稽古・実演されたとされる
藤原時代
遣唐使廃止(894年)以後の3世紀を藤原時代と呼び,摂関藤原氏を中心として国風文化の進展した時代とする。
藤原公卿参朝列
平安時代婦人列
巴御前は源義仲に仕える男勝りの女武者。源平合戦の時代だが、平安の区分で行進…
常盤御前は源義朝の側室で、義経の母。旅装束なのは、平家支配下となった京で逃亡したときの想定なのか…
紀貫之の女とは、紀貫之の娘 紀内侍のこと
和気清麻呂の姉
百済王の娘 明信
延暦時代
平城京から平安京に遷都する前後の「延暦年間」(782年から806年まで)を指すと思われる
延暦武官行進列
征夷大将軍坂上田村麻呂が東征を終えて平安京に凱旋する行列