04 May 2019

二上山 (その1) : 當麻寺 〜 鳥谷口古墳 〜 二上山雄岳

10連休の後半、やっと「五月晴れ」となったので大阪・奈良の県境にある二上山を訪れた

ヤマレコの記事 『 二上山(當麻寺〜二上山〜竹内峠〜屯鶴峯)

自宅 〜 當麻寺

■ JR環状線 福島駅 08:00 → 天王寺駅 08:18 (180円)

乗車した1本前の環状線の列車は、桜島線行き。 ユニバーサルスタジオに行く客で超満員。 私が乗った奈良行きの大和路快速は、半分くらいの席が空いていた。

5月の連休に開催される「平城京天平祭」より、常設のUSJのほうが遥かに人気観光地なのだろう。

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USJ行き列車は通勤電車並みの混雑(西九条駅)

■ 近鉄 南大阪線準急 阿倍野橋駅 08:24 → 当麻寺駅 09:02 (560円)

出発寸前の橿原神宮前行きの準急に乗車。こちらも車内は半分も席が埋まっていない状況。

当麻寺駅到着寸前、車窓から二上山の全貌が綺麗に見える。

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二上神社口と当麻寺の間を走る列車から撮影した二上山

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近鉄当麻寺駅に到着した準急列車

当麻寺駅を出て、まっすぐ西へ続く當麻寺参道を歩く。およそ300m歩いた所に相撲館がある。

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葛城市観光休憩所に掲げられている『相撲発祥の地』ののぼり

Wikipediaによれば “人間同士の相撲で最古のものは、垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日に、野見宿禰と當麻蹶速(当麻蹴速)の「捔力」の戦い ”(日本書紀) とされているそうだ。当麻蹴速の出身が当麻邑であったことから、ここ当麻が相撲発祥の地を名乗っているようだ。

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葛城市立 相撲館

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日本書紀に伝わる最古の力士「当麻蹴速」の塚

相撲館の前に行列ができているが、これは當麻寺の参道を挟んで向かい側の和菓子屋「春木春陽堂」に並んでいる人のようだ。「姫餅」というよもぎ餅が有名らしい。 食べ物に興味がない私には、飲食店に行列… という世界は理解不能だ

近鉄の当麻寺駅前から、参道を850mほど真西に来た所に當麻寺の仁王門がある

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當麻寺 参道 (突き当りに仁王門が見える)

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當麻寺

當麻寺(たいまでら)は7世紀創建の寺院で、信仰の中心であるご本尊は国宝の当麻曼荼羅だそうだ。

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當麻寺 仁王門(東大門)

ここは “近世以前に建てられた東西両塔がセットで残る日本唯一の寺” とのことで、現在修復工事中の西塔は近寄れないが、東塔は入場無料ですぐ横まで接近できる。

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當麻寺 東塔(国宝)

東塔は高さ24.4mの三重塔で、奈良時代末期の建築と推定されるそうだ。

本尊の当麻曼荼羅が安置されている本堂(曼荼羅堂)は、拝観料が500円。今日は二上山登山など4時間の行程を予定しているので、入館しての鑑賞は時間がないのでできない。

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當麻寺 本堂(国宝)

當麻寺の伽藍には、東塔(奈良時代末期)、西塔(平安時代初期)、本堂(平安時代末期)、金堂(鎌倉時代前期)、講堂(鎌倉時代末期)などの建物がある。東西両塔と本堂が国宝で、金堂・講堂が重要文化財だそうだ。

またこの写真で、本堂の左には護念院と工事中の西塔、右には中将姫の青銅像がある。中将姫は当麻曼荼羅を織ったとされる右大臣藤原豊成の娘。“ 美貌と才能に恵まれ、9歳の時には孝謙天皇に召し出され、百官の前で琴を演奏し、賞賛を受ける。 そのため、継母である照夜の前が嫉妬し中将姫の暗殺を企てるが成就しない。二上山の山麓にある当麻寺へ入り尼となり、一夜で『当麻曼荼羅』を織ったとされている ” 伝説上の人物。

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當麻寺 金堂(左側)と講堂(右側)

これらの建物は重要文化財で、どちらも鎌倉時代に再建されたものだそうだ。

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當麻寺 梵鐘(国宝)

仁王門を入ってすぐの所にある梵鐘は、當麻寺創建当時に鋳造製作されたとされる。もちろん、日本最古の梵鐘ということだそうだ。

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當麻寺 宗胤院の軒先に咲く藤

20分ほど境内を散策し、黒門(北門)から退場して二上山登山口を目指す。

當麻寺 〜 祐泉寺・登山口

當麻寺から二上山登山口のある祐泉寺まで、なだらかな坂道の舗装路を登る。道路脇には、大津皇子に関連する歌碑が幾つも建てられている。

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大津皇子歌碑(万葉集:あしひきの山のしづくに妹待つと)

“ あしひきの山のしづくに妹待つと 我立ち濡れぬ山のしづくに ”

歌碑は万葉仮名で書かれていて読みにくいが、有名な和歌だ。 大津皇子との逢瀬の約束をしていた石川郎女がドタキャンしたため、待ちぼうけを食らってしまった大津皇子が詠んだ歌とされている。最近は携帯電話やメールがあるので、待ちぼうけがなくなり良い時代になりましたよね。

大津皇子は飛鳥時代の皇族で、天武天皇の第三皇子。天武天皇崩御の直後、皇太子草壁皇子に謀反のかどをもって捕えられ処刑された。二上山の山頂に墓所がある。

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大伯皇女(大津皇子の姉)が、藤原京から弟の大津皇子が眠る二上山を眺めて詠んだ歌。万葉集。

“ うつそみの人なる我や明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む ”

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當麻山口神社の鳥居

當麻山口神社は、當麻寺を開基したとされる麻呂子皇子(當麻皇子)を祀った神社。

鳥居の向こうには借景として二上山の雌岳が見えている。それに対して、神社本殿への参道は鳥居の先で斜めに折れ曲がって続いている。 まるで信仰対象が二上山の本体であるかのようだ。

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鳥谷口古墳そばのため池と二上山 (左奥に雌岳、右側に雄岳)

當麻山口神社の鳥居を過ぎると、すぐに大きなため池がある。そのため池の土手から、鳥谷口古墳の方向を見ると、二上山の雄岳と雌岳が山麓から山頂まで遮るものなく全貌を晒している。

道なりに進んでいくと、鳥谷口古墳の横を通過。古墳に登ると、フェンスで囲まれてはいるが、石室が顕になっている。

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鳥谷口古墳のある丘

1983年に発見された鳥谷口古墳は、一辺が約7.6mの方墳で、7世紀後半に造られたと推定されるそうだ。二上山で産出された凝灰岩を使った石室には、実際に大津皇子が埋葬されていたかもしれないそうだ。

葛城市のWebページにも “現在、皇子の墓は二上山雄岳山頂にあるとされていますが、この鳥谷口古墳こそ、「万葉集」に記された大津皇子の墓の可能性が高いと考えられる” と書かれている。

1500年も前のこと、どちらが本当の墓かと言われても分かんないのだろうね…

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鳥谷口古墳 (石室内部はフェンス越しに観ることができる)

祐泉寺・登山口 〜 二上山馬の背・公衆トイレ

初田川沿いの谷間の舗装道路を進んでいくと、道は祐泉寺で2分岐する。二上山の山頂へ向かう道は、祐泉寺の門を通り抜けて直進。左に分岐していくほうは岩屋峠へ向かう道のようだ

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祐泉寺の門・二上山登山口(標高約240m)

ここから上は初田川の源流域、谷底の川が削った岩ごろごろの登山道を双耳峰の鞍部まで直登となる。標高差は220mほどだ。

死火山である二上山の周囲は、黒雲母安山岩や黒雲母流紋岩の火山岩・火砕岩が地表に顔を出している。

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二上山周辺の地質図

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祐泉寺付近、初田川谷底を削って作った登山道(標高約245m)

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オオバタネツケバナ ?

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祐泉寺から馬の背への登山道(標高約300m)

所々に、黒い色の角が尖った小岩が転がっている。これが有名な「サヌカイト」(讃岐岩)なのだろうか。石器時代の石器は、このサヌカイトで作ったそうだ。サヌカイトは讃岐地方で取れる石ということで名付けられたそうだが、日本では香川県と二上山でしか取れない岩だ。ここから各地へ運ばれて石器として加工されたとされている。

雄岳から噴出した安山岩と、雌岳から噴出した流紋岩の地層を交互に通過する登山道を直登し、およそ20分で標高440mにある馬の背の公衆トイレ前に到着。

馬の背には、大阪府側の駐車場から舗装路を登ってきた子供連れがたくさん居る。マイカー観光する人にとって、ここは登山というより、お手軽な行楽地なのだろう。

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馬の背(標高約440m)

二上山馬の背・公衆トイレ 〜 雄岳山頂・大津皇子陵墓

馬の背から北へ300mほど、標高差は60mほどのところにある二上山最高峰の雄岳に向かう。

しばらくは平坦な稜線の道を歩き、雄岳の直下より木製階段が続く。

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雄岳直下の木製階段

10分ほど歩くと雄岳(標高517m)に到着。 山頂の標識は登山道を登り切ったところの広場にあり、注意看板の脚に取り付けられた微妙なものだ。

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雄岳の山頂

この山頂広場の50mほど東に葛木二上神社があり、スマホのGPS高度計の表示では神社のほうが5mほど高いような気がする。

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葛木二上神社

かつてここには楠木正成が築いた「二上山城」という山城の主郭があったとされている。

さらに50mほど東、少し下った辺りに「天武天皇皇子 大津皇子 二上山墓」がある。天皇陵などと同じく、宮内庁が設置した看板が掲げられていて、他の山の山頂とは「格が違う雰囲気」を醸し出している。

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二上山 雄岳山頂の大津皇子墓

以降 『二上山 (その2) : 二上山雄岳 〜 雌岳 〜 竹内峠 〜 屯鶴峯』 に続く