秋雨前線が日本列島の南に下がり、久々に涼しい登山日和になったため、近隣の低山登山に行ってきた。
今回は、大阪と奈良の間にある金剛山。
もくじ
・金剛山ハイキング (その1:登山口〜葛木岳 転法輪寺)
・金剛山ハイキング (その2:葛木岳 転法輪寺 〜 湧出岳〜下山)
・金剛山ハイキング (その3:山上の花々)
金剛登山口へ
■ 大阪メトロ 阿波座 07:11 発 → 難波 07:17 着
■ 南海高野線 難波 07:35 発 → 河内長野 08:04 着
今回利用した 南海電鉄の「金剛山ハイキングきっぷ」 1,690円
南海電車が550円×2, 南海バスが470円+520円。合計が2,090円なので、400円安いことになる。
河内長野駅でバスに乗り換え。バスは河内長野駅前が始発だが、出発時点で通路まで満員。かろうじて座ることが出来たが、山間部の曲がりくねった道を走るバスでたったままは辛いと思う。 休日のこの時間帯は15分に1本走っているので、次のバスを待つほうがいいかな…
■ 南海バス 河内長野駅前 08:15 発 → 金剛登山口 08:46 着
バス停付近の標高は510mで、すでに金剛山のほぼ中腹まで登ってきたことになる。
GPSログ
金剛登山口から千早神社(千早城阯)まで
距離3km、標高差600mを一気に登る登山道が「千早本道(ちはやほんどう)」。金剛山のメインの登山道で、小中学生の遠足で登るコースなので過剰整備されている。
今回は、千早神社(千早城阯)に少し寄り道をする。
バスを降りて、進行方向に少しだけ行くと千早神社の参詣道入口がある。
いきなり急な石段が延々と続いている。
石段で、標高差100mを一気に登る。 10分弱の登山前トレーニングと思えば良い。 夏の猛暑の時には地獄だろうけど…
千早城は14世紀に楠木正成によって築かれた山城。 以前読んだ「太平記」で、弱体化した鎌倉幕府に対して、後醍醐天皇や足利尊氏が挑んだ「元弘の乱」の戦いの舞台の一つになったところだ。
千早神社の社務所らしき建物がある所が、かつての三の丸らしい
この位置で初めて立派な「千早城阯」の石碑が建っている
手水舎(写真左端)がある付近が二の丸、奥の本殿に続く階段の左下に「標高634米」の看板がある。 そして階段を登った先にあるのが千早神社の本殿。本殿の左手前の木に「本丸跡」の看板が置かれている。
千早神社(千早城阯)から千早本道を転法輪寺まで
千早神社本殿の後に小高いピークがあり、登山道はそのピークの南側を巻いて、本殿と反対側の千早本道に合流している。
この写真の登山道の先に、立派なコンクリート製の東屋がある。 ここに沢山の人が来ることはなさそうなのに、ナゼ巨大な東屋を造ったのかな…
ここから山頂付近の転法輪寺まで、ひたすら尾根道を進むが、樹林帯の中で眺望は全く無い。
登山道の合流地点のすぐ脇に、謎の石碑がある。窪添之介って誰なんでしょうかね。Googleで調べても出展となるような資料が全くヒットしない。
千早本道には一定間隔ごとに地蔵尊があり、また「1合目」… というようなプレートも設置されている。
標高790m付近の5合目にはベンチがあり、バイオトイレが2室設置されている。
ひたすらスギ林の尾根道です。
写真中央の看板は奈良県が設置したもの。このあたりから転法輪寺の手前まで、広葉樹林帯となる。
残りの標高差はたった60m程度なのに、苦・楽の違いがあるとは思えないが…
迷わず近道を選択。
この写真の階段の一番上が、千早本道の山上側のスタート地点