比叡山小旅行の前半、叡山ケーブルで標高700mまで一気に上り、そこから雲母坂(きららざか)を通り延暦寺西塔地域に到達するまで。
一日乗車券
京阪電鉄が発売している「比叡山 1day チケット」(2100円)を使った。実際に乗車したのは次の区間なので、単純に運賃を合計したら4390円となり、企画券は2290円もお得ということになる。
京阪電車 中之島 → 出町柳 | 540円 | 7:21 → 8:26 |
叡山電車 出町柳 → 八瀬比叡山口 | 260円 | 8:37 → 8:51 |
叡山ケーブル 八瀬 → 比叡 | 540円 | 9:05 → 9:15 |
京阪バス 西塔 → 横川 | 580円 | 11:09 → 11:19 |
京阪バス 横川 → 延暦寺バスセンター | 660円 | 12:00 → 12:13 |
京阪バス 延暦寺バスセンター → 比叡山頂 | 160円 | 13:13 → 13:20 |
叡山ロープウェイ 比叡山頂 → 比叡 | 310円 | 13:36 → 13:40 |
叡山ケーブル 比叡 → 八瀬 | 540円 | 13:45 → 13:55 |
叡山電車 八瀬叡山口 → 出町柳 | 260円 | 13:58 → 14:11 |
京阪電車 出町柳 → 中之島 | 540円 | 14:16 → 15:05(京橋途中下車) |
*** 合計 *** | 4390円 |
叡山ケーブル
「京福電気鉄道鋼索線」というのが“正式”名称だそうだが、駅舎の表示も、京阪電鉄のパンフレットも「叡山ケーブル」と書かれている。一般人は「鋼索線」と言われても何のことやらわからないので、「ケーブル」としたほうが確かに良いような気もする。
最大勾配530‰は、日本国内のケーブルカー路線の中では最大傾斜度だ。また、高低差561mというのも日本では最大だそうだ。90年前の1925年に建設された古い鉄道だが、車両は新しく1987年に更新されている。
車両を引っ張っているスチール・ケーブルは直径40mmらしく、油が塗りたくられて真っ黒で鉄のヨリ線があるのかどうかすら見えない。車両重量11.24トンと137人(60kg×137人=8.2トン)の荷重が530‰(約29度)の角度の軌道に置かれる時、静止状態ではケーブルの引張方向に (11.24 + 8.2) × sin 29° = 9.4 トン の引張力がかかるはずだ。ワイヤーのメーカーが出している安全荷重表によれば、40mmワイヤーロープの(吊り下げ)安全荷重は13.3トン、破断荷重は80トンとのこと。
標準体重以上の太ったオサーンが137人乗って、末端駅で停止するときに減速の加速度を与えたら、安全荷重の13.3トン越えるんじゃないでしょうか… 計算間違ったかな (笑
まあ、ワイヤーロープの安全率はとてつもなく高いと思うので、破断荷重を加えたところで切れるとは思いませんけどね。
直径4mくらいありそうな感じです。
経路
途中で何箇所か、GPSログが途切れている
展望台 (パノラマテラスと比叡ビュースポット)
叡山ケーブル比叡駅を降りたすぐ横の空き地から、京都市内が一望できるように斜面の杉の木が伐採されている。ここを、「パノラマテラス」というようだ。ハイキングの人たちが、下から登ってくる人と鉄道の人が合流する待ち合わせ場所としても使われるらしい。
画面の右側に見えている街に囲まれた緑色の丘のような部分は宝ヶ池周辺の丘で、第二次大戦時に防空緑地として環境破壊から守られたことで、市街地に囲まれながらも広大な林が残っている。五山送り火の「妙」と「法」があることでも有名な丘。現在は画面手前の宝が池公園(62.7ha)と画面奥のゴルフ場、その間の林となっている。
市街地の左端付近に見えている、四角い森のようなものが京都御所。その右下にくっついている細長く木が生えている部分が下鴨神社境内。下鴨神社の左端付近で分岐した鴨川が、まっすぐ視界の右方向に延びている木が生えた緑色の線として見えている。分岐したもう一方の高野川は、手前方向に延びているのが分かる。
ケーブルカー駅舎横のパノラマテラスより延暦寺と逆方向に150mほど南へ、京都一周トレイルの一部でもある雲母坂(きらら坂)を歩いて行くと、電波中継塔が3基建っている。
中央の1基の下には建物が有り、その入口に 「京都市防災行政無線局 比叡山中継局」 と書かれている。その左右のものには名称の表示板などはなく、画面左の鉄塔の銘板には「無線用鉄塔 高さ20.0m 昭和62年3月 請負者 日本電気株式会社」 と書かれているだけで、所有者・発注者の表示がない。
マイクロ波の中継が必要なお役所、京都市役所以外にも国土交通省や京都府庁もあるので、役所連合が仲良くこの場所に鉄塔を作ったのだろうか。
ケーブル叡山駅横の「パノラマテラス」よりも、より下京寄りの景色が見えている。写真右下に看板が写っているが、ここには「天気の良い日には … 大阪のビル群まで眺めることができる」と書かれている。
今日はあいにく霞がかかっていて、宇治あたりですら見えない。
此処から先は杉林の中の下り坂になっていて、修学院離宮横まで雲母坂の登山道が続いている。ビューポイントの標高が約680m、修学院離宮付近が標高150mなので、標高差530m。ケーブルカーの運賃は標高1mあたり1円程度で、まあ妥当かな
雲母坂 : ケーブル比叡駅 〜 つつじヶ丘展望台
再びケーブル比叡駅まで戻り、京都一周トレイルの道標に沿って一旦東へ。駅前には、中国じゃない「アジアのどこかの国」から来たと思われる大学生風の10人ほどが、観光地図の看板の前で議論している。この辺りの地図や道標は「ガイジン観光客向け」でなく、日本語のみの表記なのでハイキングは無理でしょうね。素直に、ロープウェイ乗りなさい (笑
500mほど緩やかな坂を下って行くと、2001年に閉鎖された比叡山人工スキー場のゲレンデに出る。
廃墟化したレストハウスやレンタルスキーの建物や、リフトがそのまま残っている。
廃墟のまま放置するのではなく、建物やリフトは撤去してほしいものだ。これから衰退する日本では、事業場も住宅も使われなくなれば撤去するよう、廃墟には高額の固定資産税を課するなど、対策が必要だと思う。
スキー場の傍らには、梵字がびっしりと書かれた石碑があり、花が供えられている。
人工スキー場横から緩やかな斜路を登ると、「延暦寺 西塔まで 1.9km」と書かれている標識があり、めのまえに「つつじヶ丘」と呼ばれる斜面を見晴らす場所に出る。京阪電鉄のホームページによれば、『まるで天空の花園のように色とりどりのツツジが咲き乱れる』と表現されているが、ちょっと誇張し過ぎの感もある。
はるか向こうには、左京区大原の集落が見える。
おそらく、コバノミツバツツジ
つつじヶ丘の中央付近、見晴らしの良い小高い場所には「斧堂趾」と書かれた石碑がある。かつてこの場所にあった和労堂と呼ばれた休憩処の跡地。雲母坂に2箇所あったうちの1つだそうだ。(出典はここ)
ケーブル叡山駅からおよそ1000m、標高差100mほど登ってきた峠まで来た。眼下に大原を望む広場(つつじヶ丘展望台)にベンチなどが置いてあり、桜や紅葉の季節ならお年寄りのハイキング客で混雑するのかもしれない…
画面左中央の盆地(集落)が左京区大原の集落。中央の山が横高山(767m)と水井山(794m)。今歩いている道で延暦寺を通り過ぎ、京都一周トレイルを歩いて行くと両山の山頂を経由して大原の三千院横に出るはずだ。今日は延暦寺見物なので、そこまでは歩かないけれど…
雲母坂 : つつじヶ丘展望台 〜 延暦寺 山王院
つつじヶ丘展望台横に標識が有り、延暦寺 西塔まで1.6km ・ 叡山ケーブル比叡駅まで1.0kmと書かれている。分岐して山頂方面に向かう道もあり、山頂バスのりばまで0.6kmでもあるらしい。ここで、山頂方向から来る「東海自然歩道」が京都一周トレイルに合流する。
中央が「罠」のような感じに、丸く生えてくるシダ。少し気持ち悪い…
だらだらと坂道を下っていくと、「鎮護国家」と彫られた巨大な石碑がある
都の北東(鬼門)にあたる比叡山延暦寺は、国家を鎮護する官寺であったのだろう。
鎮護国家碑から少し下ったところに、延暦寺の境界を示す石柱が建てられている。
また、ここより1km先の延暦寺西塔地域を京都一周トレイルが貫くため、ハイキングの客は拝観料無料である旨の看板も、鎮護国家碑の横に建てられている。
看板曰く、『東海自然歩道の利用者へ!! これより先は拝観料が必要です。 ただし、延暦寺境内を見学しないで、東海自然歩道を通過される方については料金書にその旨申し出てください。 滋賀県』。
ま、囲繞地通行権のハイキング版というところでしょうか。
だらだらと杉林の中の坂道を下って行くと、比叡山ドライブウェイを跨ぐ歩行者専用橋がある。
ツアー会社の社員だろうか、ラミネートされた「○○ツアー ↑」と書かれたA4版の紙を、道路脇の標識などにくくりつけて歩いている。地図も、GPSも持たない他力本願のハイキング・ツアー客を相手にするのは大変そうだ。 (たまに、雪山で遭難などが起こり、ツアー会社の責任を問う裁判を起こす無責任な人がいるが、登山やハイキングは危険を楽しむ自己責任のスポーツなので、過保護はダメだと思う…)
橋の袂の標識には、ケーブル比叡駅まで1.7kmとあり、延暦寺 釈迦堂まで0.9kmとも書かれている。行程の3分の2を余裕を持って消化したことになる。
橋を渡ると目の前が延暦寺 山王院。標高は約720m。つつじヶ丘展望台からは30mほど下ってきたことになる。
傍らの看板によれば正式名称は「法華鎮護山王院」で、千手観音像を祀っているらしい。さらに看板の作者は次のように続けている 『円珍座主の滅後百年、円珍派と慈覚大師円仁派の学僧の間に紛争が起こり、円珍派はここから智証大師円珍の木造を背負うて大津三井寺(園城寺)へ移住したといわれる』。
その像は三井寺に納められている、国宝である木造智証大師坐像(中尊大師)だという。
比叡山小旅行の後編はこちらの記事: 『京都 : 延暦寺 西塔 〜 横川 〜 東塔』