前編 『京都 : 松尾大社 〜 大沢池・嵯峨野・広沢池』 からの続き
妙心寺
妙心寺は13世紀に創立された臨済宗(禅宗)のお寺。Wikipediaによれば、『本尊は釈迦如来。創立者は花園天皇。初代住職は関山慧玄(無相大師)』。塔頭(たっちゅう = 寺院の敷地内または付近に建てた小院)も含めれば、平安京の北西の広大な面積を占めているので、『西の御所』とも呼ばれていたそうな。
勅使門から入り、三門、仏殿、法堂、方丈が一直線に並ぶ建築様式は『近世禅宗伽藍の最も完備した形』(現地の立て看板による)だそうだ。
境内は自転車の通行可。ただ、自転車置き場が無いため、南総門の所に駐輪させてもらうしかない。 上の写真に写り込んでいる建物は、応仁の乱で焼けたため、16世紀以降に再建されたもの。
1599年に建てられた門で、観世音菩薩と十六羅漢が祀られているそうだ。伽藍群の中でも鮮やかな朱色に塗られていて、ひときわ目立っている。
1827年に建てられた建物で、正面扉が開いているので祀られている釈迦坐像を拝むことができる。
左側の門を入ると、法堂と浴室を見物する入場券売り場があり、そこから大方丈を眺めることができる。法堂の見学はガイドツアー形式で、20〜30分に1回程度の頻度で行われている。
12時頃に行ったら、40分待ちだったので、今回は見学を諦める。
龍安寺
龍安寺は妙心寺の境外塔頭で、『りゅうあんじ』ではなく『りょうあんじ』と読む。京福電鉄の線路を越えて、立命館大学の北側まで行った所にある。妙心寺は観光客もまばらだったが、龍安寺は外国人の団体観光客も含め、入場券売り場に行列ができるほどの混雑。
池を中心とした回遊式庭園で、江戸時代には石庭より庭のほうが名所だったようだ。
『幅 22 メートル、奥行 10 メートルほどの敷地に白砂を敷き詰め、帚目を付け、15個の石を一見無造作に5か所、点在させただけのシンプルな枯山水』
Wikipediaによれば『作者、作庭年代、表現意図ともに諸説あって定かでない』そうだ。 あるがままに、見てくださいということなのだろう。
18世紀に主要な伽藍が消失した後、塔頭寺院の西源院の方丈を移築したものだそうだ。襖絵は昭和になってから描かれたもの。 天竜寺のように方丈内から庭を見ることはできず、立入禁止になっている。
大将軍商店街
龍安寺から京都御苑方向に向かうには、一条通をまっすぐ突き進むだけ。途中、大将軍八神社のところが商店街になっていて、『京都一条妖怪ストリート』 と名付けられている。
平安時代の一条通(大将軍商店街付近)に「百鬼夜行」という怪異伝説があり、古くなって捨てられた器物が「付喪神(つくもがみ)」という妖怪となり通りを行進するという。 2005年から妖怪ストリートとして商店街のPRをしているらしい。
上の写真は、文房具屋の店頭に置かれたもので、頭にメジャーを巻き鉛筆と定規をさしている。 しかし、なぜ文具屋で三笠まんじゅうを売っているのだろうか…
平安京建設時に、王城鎮護のため都の方除け乾の天門守護として造営され、大将軍を祀っている。
京都御苑
この季節は、あまり花などは咲いていないが、少し遅咲きのサルスベリと、有栖川宮邸跡付近にはヒガンバナも咲いていた。
梨木神社
御苑の東側敷地に食い込むように、三条家の邸宅跡に建てられた梨木神社がある。明治維新に貢献した三條實萬・三條實美を祀る別格官幣社。
最近は経営難なのか、神社の敷地をマンションの建設用地として切り売りしたことが有名。政教分離という建前にこだわり、古来の日本の良さがどんどん失われていく気がする。
神道原理主義や仏教原理主義に陥ることはいけないのだが、欧米先進国のように、古来から存在する宗教施設には文化財としての面の評価もして、国の文化政策として補助してあげられないかなと思う。
大鳥居と本殿の間の土地が売り払われ、マンションが建設中。
http://www.47news.jp/localnews/kyoto/2014/04/post_20140429103511.html
本殿付近はかろうじて残っており、有名な萩の花も咲いている。