自宅から四條畷神社まで18.7kmのサイクリングと、標高314mの飯盛山へピストン登山。帰路には天満橋の藤田邸跡公園にも寄った。

サイクリングと登山の全区間GPSログ (GPSログをダウンロードする )
| 区間 | 時刻 | 所要時間 |
|---|---|---|
| 堂島大橋 〜 四條畷神社 | 07:14 〜 08:27 | 1時間13分 |
| 四條畷神社 〜 飯盛山 | 08:27 〜 09:00 | 33分 |
| 飯盛山 〜 四條畷神社 | 09:00 〜 09:33 | 33分 |
| 四條畷神社 〜 快活CLUB城東古市 | 09:53 〜 10:41 | 48分 |
| 業務スーパー城東古市 〜 藤田邸跡公園 | 11:21 〜 11:41 | 20分 |
| 藤田邸跡公園 〜 堂島大橋 | 11:59 〜 12:16 | 17分 |

登山のGPSのログ (GPXファイルをダウンロードする)
この日の天気予報は「快晴 最低気温6℃ 最高気温17℃で4月上旬並みの暖かさ」となっている。風も弱くサイクリングと登山日和だ。
7時14分に堂島大橋北詰を出発。休日で車も人も少ない堂島川沿いの中之島を走る。出発から6分で中央公会堂を通過する。
ここから中之島公園を走る。
出発から15分、大川を渡り京阪本線の側道に入る。ここから旧鯰江運河跡・大和街道を走る。
京橋駅までは京街道の区間でもあり、京橋駅を過ぎて今里筋までが大和街道の並走区間。底から先も鯰江運河跡をひたすら走る。
運河は鶴見区の横堤で阪奈道路に合流。そこから大東市の古堤街道の合流点まで、交通量の多い阪奈道路の歩道を走る。この区間の歩道はよく整備されているので、危険を感じることはない。
出発から38分、中央環状線を越えて大東市に入る。
10分ほど阪奈道路を走った後、東諸福公園の端で古堤街道に入る。じつは、鯰江運河跡の道が横堤で阪奈道路に合流する手前で、古堤街道が分岐しているのだが、その旧街道は途中の鴻池下水処理場の敷地で途切れているため走ることが出来ない。
古堤街道をJR住道駅前まで走り、そこから先は寝屋川沿いに北上する。しばらく行くと、阪奈道路と直角に交差する。

大東中央公園前の寝屋川。右向こうにラジオ送信所鉄塔が立つ飯盛山が見える
出発から1時間13分、最後の急坂を登り切り四條畷神社の鳥居前に到着。鳥居の左右両側の空き地が自転車置き場になっている。
石段を登りきり、左へ行くと本殿が、右へ行くと絵馬堂(休憩所)と飯盛山登山口がある。
すぐ先で、新登山道と閉鎖中の旧登山道が分岐している。

急な木段を登りきると、京都方向の眺望が良い地点に出る(標高約200m)
ここから先は、緩やかな尾根筋の登り階段と踊り場がいくつか続く。飯盛城の縄張図では「VII郭」と書かれているあたりだ。

飯盛城の縄張図 (展望台の説明板より。2025年11月撮影)
坂を登り終えるとVI郭の広場に出る。数人の登山者が大阪側に張り出したテラスで景色を楽しんでいる。
VI郭の広場は「眺望270°曲輪」の別名があり、ここからは南河内から大阪市内、北摂から京都盆地まで一気に見渡せる。

飯盛城 VI郭(史跡碑のある眺望270°曲輪、標高約260m)

VI郭から北方向の眺め(茨木市・高槻市 〜 京都市中心部方向)
石清水八幡宮の山のずっと向こうが、京都市の大宮や二条のあたりとなる。彩都の物流倉庫の手前あたりが、茨木市の市街地中心部だ。
飯盛山史跡碑
標高三一八米 地質花崗岩
建武中(1334年〜1336年)北條氏の餘黨此に據り楠木正成之を討ちたりと傳ふ 正平三年(1348年)一月四條畷の戦に方り高師直の軍此を占む 楠氏没落後畠山氏河内を領するに及び天文年中(1532年〜1555年)其臣木澤長政をして城郭を構へしむ 永禄のころ(1558年〜1570年)三好長慶威を近畿に振ふに至りこれを略取して数修築を加ふ其規模頗る宏大 三好氏十有餘年間軍事庶政の本據たりしが後織田信長の近畿一統(1580年頃)に至りて城廢せらる 現存せる城址は実に當年のものなり
大正十三年一月廿六日 大阪府立四條畷中學校校友會
登山道が2分岐していて、往路はV郭(御体塚郭)の巻き道を通る。

V郭から降りてくる道(左側階段)と、巻き道(右側)が合流する
登山口の四條畷神社の鳥居から30分で飯盛山の山頂に到着。途中で5〜6人ほどとすれ違い、山頂にも1人の登山者を見かける。さすが休日は多くの登山者が登ってきている。
下山は、もと来た道を単純に戻るが、巻き道を通って通過したV郭(御体塚郭)だけは見て帰る。

III郭からIV郭へ向かう道には「通行止め」看板があり、右側の巻き道へ誘導される
巻き道はIV郭とV郭の2つのピークの東側斜面を巻いているが、途中でV郭に登る道も分岐している。
帰路は、V郭に登ってみる。V郭は三好長慶の死去後に仮埋葬された場所だとされ、御体塚と名付けられている。
V郭の広場中央に、こんもりとした岩山があり石碑が立っている。これは「御体塚」とは全く関係のない、どこぞの個人が立てた登山参百回記念石碑だ。昔はこういう個人的なものを勝手に立ててよかったのだろうか。

往路と同じく飯盛城 VI郭(史跡碑のある眺望270°曲輪、標高約260m)を通る
VII郭を過ぎ、激烈な下り木段をどんどん下って四條畷神社の梅林まで降りてきた。梅林は飯盛山の西斜面にあり、午前中は完全に日陰エリアになっている。
10本ほどある梅の木は、ほぼ満開。ピンク色の紅梅と、白梅がある。

四條畷神社のベンチで昼食 (きんぴらごぼうトースト、焼きちくわ4本、どら焼き、非常用ビスケット5枚)

鳥居前の自転車置き場まで戻ってきた。自販機があり、「中世のサムライヒーロー 楠木正成・楠木正行」と書かれている
サムライヒーロー ...
旧東高野街道を1.5kmほど南に行くと、野崎観音の駐輪場前。前回、11月25日に飯盛山を登ったときには、こちらの登山口を利用した。

飯盛山のもう一つの主要登山口、野崎観音の自転車置き場前を通過
往路のルートをひたすらたどって走り、交通量が多く自転車で走るには危険すぎる阪奈道路を避けて古堤街道に入る。
鶴見緑地前を過ぎたところにある快活CLUBに入り、暖かいココアとソフトクリームで水分補給する。(30分230円で、100円引きクーポンを使って実質130円)










































