人混みの大阪万博に行くつもりはないため、「万博」つながりの鶴見緑地を見に行ってきた。
鶴見緑地は、正式名称が「花博記念公園鶴見緑地」であり、1990年に開催された「国際花と緑の博覧会」当時の各国庭園などが残されている。
8時ちょうど、福島区の堂島大橋 右岸側を出発。車両往来が激しい幹線道路を避け、中之島公園から旧鯰江川(なまずえがわ)運河跡の道を、ほぼ一直線で大阪市内を横断する。
出発から34分、約9.7kmを走り鶴見緑地南口に到着。
南口から緑地公園駅の間は商業施設エリアで、右側は有料貸出の大きな球技場が立ち並び、左側はテニスコートや公園敷地を賃貸した商業施設が並んでいる。一般人が公園として使えるのは、鶴見緑地駅までまっすぐ続いている広い園路だけ。見るべきものはなく、さっさと通過する。
この駅を間近で見るのは、35年前に花博に来たとき以来だ。車がたくさん走っている花博通を渡って、いよいよ「公園」エリアに入る。
両側にヌマスギとメタセコイアの高木が並んでいる。
中央通の右側には、貸しホールの花博記念ホールと、環境学習施設 なにわECOスクエアという大きな建物が建っている。
中央噴水と生命の大樹・いのちの塔
並木道の中央通は、途中に大きな噴水(中央噴水)を挟んで250mほどで大池に行き当たる。
地理院地図で広さを計測すると、約42,400m^2(4.24ha)ほどの広さがある。
大池を挟んだ対岸、公園の北東部分が花博の施設が残る「山のエリア」となっている。
山のエリア (公式Webより引用)
山のエリアは、国際花と緑の博覧会の際、53ヶ国・35国際機関から出展された55の庭園の跡地や、国内外のお客さまをおもてなしした本格茶室のむらさき亭など、当時の面影が色濃く残るエリアです。
https://www.tsurumi-ryokuchi.jp/facility/yamanoarea.html
大池の南東側に中央ゲート、北西側に西ゲートがあり、まるで有料区画であるかのようにフェンスで完全に区切られている。
今回は、政府苑跡に差し掛かる前に右折し、風車のある丘に向かう。風車の丘は、1990年の花博期間中に来たときに見た記憶がある。
いのちの塔のすぐ右下にあべのハルカス、画面中央付近に大阪城横のOBPビル群が見えている。
風車の丘・バラ園から、少し登った高い場所にある鶴見新山に向かう。
鶴見新山がある小高い丘の地域から降り、敷地北側の国際庭園へ。
国際庭園 パキスタン (1990年の花博当時の様子)
" パキスタン庭園は、16世紀初頭から約350年続いたムガール帝国の代表的な庭園であるラホールの「シャリマー・ガーデン」をモデルにした庭園を出展した。
庭園は段差のある3つのテラスから構成され、約550平米メートルの庭園の中に実物大17ヘクタールという広大で壮麗な庭園のエッセンスを、余すことなく表現するよう工夫した "
国際庭園 ベリーズ (1990年の花博当時の様子)
" 庭園は、コウライシバを敷きつめた中に、ワシントンヤシが植栽され、散歩道が巡らされた前庭とマヤ遺跡のピラミッドをイメージしたパビリオンによって構成された "
国際庭園 メキシコ (1990年の花博当時の様子)
" 庭園内の温室は、アステカ帝国の三層ピラミッドをかたどり、高さ4.9メートル、縦8.6メートル、横13.8メートルの鉄骨ガラス張りで、アステカの紋章を表した模様が刻まれた4枚のガラスがはめ込まれた。温室内では、セダム、シンゴニウム、ボストンタマシダ、カラー、モンステラなど、メキシコの熱帯にある植物が数多く展示された "
国際庭園 タイ (1990年の花博当時の様子)
" 庭園の中心には、タイ王族の宮殿庭園内に建てられたサラ・タイといわれる休憩所が設けられた。このサラ・タイは、タイで製作されたもので、チーク材と魚の鱗の形をしたタイ瓦で作られた "
国際庭園 ネパール (1990年の花博当時の様子)
" 仏陀誕生の地、ルンビニにある2500年以上の歴史を持つ「聖なる庭園」を模した庭園と「パゴダ」と呼ばれる仏教の寺院様式の建物がある上段部分から構成された。
ネパールで製作された「パゴダ」の建物は1つ1つ精巧な彫刻によって装飾された "
国際庭園 モロッコ (1990年の花博当時の様子)
" 庭の周囲が塀で囲まれた「リヤド」と呼ばれるイスラム様式の中庭をモデルに作られた。リヤドは、カサブランカ、マラケシュ、フェズなどの都市の古い家屋には必ず見られるものである "
" 噴水と壁泉は、ゼリージといわれるモザイクタイル模様で飾られた。ゼリージとは、直径1~3センチメートルほどの細かいモザイクタイルを組み合わせて色鮮やかな幾何学模様を描き出す、モロッコの伝統技術である。ゼリージの製作には、2人の熟練したモロッコ人技術者が来日して担当した "
国際庭園 エジプト (1990年の花博当時の様子)
" 古代エジプトの壁画に描かれた庭園をモデルに幾何学的なデザインにより設計された。
この庭園は「ファラオ(王様)の庭」と名付けられ、パーゴラ、池、王座、オベリスク、ゲート、井戸、4体の像などで構成された "
国際庭園にある野外劇場 ユニオン・スクエアガーデン
ここで昼食とする。
日本庭園の池。岩で仕切られた一段高い池はスイレンがびっしりと覆っている
国際庭園 韓国 (1990年の花博当時の様子)
この門は大興門と呼ばれ、1990年の花博が閉幕した後、1992年に新たに造られたそうだ。門の両側に置かれている狛犬のようなものは、「ヘテ(해태)」と呼ばれ魔除けの効果があるとされる。
" ソウルにある昌徳宮、景福宮などの李王朝時代の庭園様式をモデルにした庭園で、渓流、方池、韓国亭と清渓亭の2棟のあずま屋、韓国様式の塀、煙突、花階、怪石などで構成されている "
国際庭園 ブルガリア (1990年の花博当時の様子)
" 民家風のあずま屋、門、前庭で構成された、典型的な同国の農村風景をイメージさせる庭園 "
国際庭園 フランス (1990年の花博当時の様子)
春の精を表す乙女像と紫蘭
" 古典的な「ア・ラ・フランセーズ様式」と現代フランス庭園様式とを融合させて造園された。設計は、パリ市役所造園技術者が中心となり行われた "
国際庭園 オーストリア (1990年の花博当時の様子)
" 19世紀末に全盛期をむかえたウィーン芸術文化から生まれた庭園芸術を基本に、「音楽の都ウィーン」の最も優れた公園のひとつである「ウィーン市立公園」をモデルにした庭園
庭園の奥には実物からかたどりされたワルツ王、ヨハン・シュトラウス記念像とベフレイア噴水の原寸大のレプリカが設置された "
国際庭園 中国 (1990年の花博当時の様子)
" 蘇州の水郷地方の庭園をモデルにした。正門にあたる垂花門をくぐり、回廊をすすんだ所には、四方向に窓あるいは扉が設けられた主亭となる四面庁が建てられた。池の水面に突き出して建てられた石舫と呼ばれる建物は、水郷地方で盛んに催された船遊びで使われた船を象徴するものである "
国際庭園 オランダ (1990年の花博当時の様子)
この跳ね橋らしきものだけが残っています。
" 伝統的な家屋を模したパビリオンと、コブヤナギの植えられた運河、跳ね橋、風車などから構成され、オランダ独特の風景を作り出した "
西ゲート前のマンホールに、花博のマスコットキャラクターが描かれています。そういえば、こういう感じだったような、記憶がかなり遠くなっています。
人が多くなく、普通の公園にはない「国際色豊かな」庭園もあり、なかなか見ごたえのある公園だった。