学生が春休みに入る寸前の22日、1日だけ天候が回復するということで、本州最南端の潮岬に行ってきた。
支出一覧
項目 | 価格 | 備考 |
---|---|---|
青春18きっぷ(1日分) | 2,410円 | 使い残し売却までの暫定値 |
昼食(牛めしそぼろ弁当、ハムチーズマヨ パン) | 570円 | イオン ダイエー田辺 |
自転車レンタル 3時間 | 1,500円 | 串本駅 観光案内所 |
潮岬灯台 | 300円 | (現金) |
夕食(レーズンロール、ちくわ、どら焼き) | 348円 | 大阪で購入して持参 |
夕食+α(昆布おにぎり) | 135円 | ローソン御坊駅前 |
合計 | 5,263円 |
普通列車を乗り継いで 大阪から串本へ
■ JR大阪環状線 福島駅 06:18発 → 天王寺駅 06:35着
乗車を予定していた列車は6時32分発だったが、自宅を出る時間が早すぎたのか、3本(15分ほど)早い列車に乗れてしまった。
天王寺に着くと、和歌山方面へ行く1本前の快速列車に乗れてしまう。そして、その快速列車は、特急以外で1日1本だけ和歌山以遠の湯浅まで到達する貴重な列車だ。
■ JR阪和線・紀勢本線 天王寺駅 06:43発 → 湯浅駅 08:36着
列車は立ち席が出るくらいの混雑度合いで、和歌山駅を過ぎて海南駅付近までその状態が続いた。もちろん、天王寺から乗り通している人は少なく、停車駅で乗降があるたびに会社員のオッサンから通学の高校生に入れ替わっていく。
JR湯浅駅に到着した、天王寺発の直通快速列車(関空・紀州路快速の225系車両 後ろ4両編成)
湯浅駅は特急停車駅だが無人駅。駅舎の出入りには青春18きっぷを見せることなく通過できた。
旧駅舎は昭和2(1927)年から令和元(2019)年まで使われていた建物で、登録有形文化財だそうだ。
文平(紀伊国屋文左衛門)の像
紀伊国屋文左衛門 (Wikipediaより)
紀州湯浅の出身。文左衛門が20代の頃、紀州みかんや塩鮭で富を築いた話が伝えられる。
(ミカンは)紀州では安く、江戸では高い。これに目をつけたのが文左衛門だった。大金を借りてミカンを買い集め、家に残ったぼろい大船を直し、命懸けで嵐の太平洋に船出した。大波を越え、風雨に耐えて何度も死ぬ思いをしながら、文左衛門はついに江戸へたどり着く事が出来た。この時の様子が「沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国ミカン船」とカッポレの唄に残った。
■ JR紀勢本線 湯浅駅 08:51発 → 御坊駅 09:10着
湯浅駅で乗り継ぎ乗車してきたのは、私を含めて数名。そして、和歌山からやってきた普通列車に既に乗っていた乗客も、それほど多くはない。うち、青春18きっぷで旅行していると思われるのは半数程度だと感じた。
御坊駅では、プラットホームの対面に停車していた227系2両編成の普通列車に乗り継ぐ。
■ JR紀勢本線 御坊駅 09:12発 → 紀伊田辺駅 09:55着
4両が2両になったので、車内の乗客密度は倍くらいになっただろうか。しかし、ほとんどの客は白浜駅で下車していった。
この普通列車はワンマン運転で、私が乗った後ろの車両は無人駅では扉が開かない。外の空気が入り込まないので、暖かだ。
ここから先、ときどき海岸線の近くを列車が走る区間があり、車窓から広い太平洋の水平線を見渡すことができる。
海が近いということは、南海トラフ地震で津波がやってくるということだ。駅舎だけでなく、架線柱にも津波避難の方向を示すシールが貼られているのが印象的だ。
この写真を撮影した場所はみなべ町のJR南部駅だが、内閣府が公表しているデータでは、津波高さは14m・到達時間は11分だ。また、和歌山県の公表している浸水想定図では南部駅周辺は高台だが3mほど浸水して、11分で到達できそうな周囲に逃げ場はなさそうだ。
そもそも、白浜町から串本町までは津波到達時間はたったの3分。電車が急ブレーキで停車するだけで30秒くらい掛かるだろうし、非常用ドアコックを開けてドアをこじ開けるのに1分位掛かる。電車内の床面から軌道敷まで高さ1.1mあり、どっこらしょと飛び降りるのに1分位かかれば、地面に到達した直後に津波に飲み込まれる。逃げるもクソもありゃしない。
旅行者が対策できるとすれば、南海トラフ地震に繋がりそうな微小地震などが起きていないか、気象庁の「地震情報」や東大や京大のリアルタイム観測マップのデータをしっかり観察することだろう。
今回の旅行は、前日に埼玉県や茨城県で震度5の内陸地震が起きていたが、これは東南海トラフ地震に繋がりそうにないと思った。また、和歌山市付近の群発地震は中央構造線が原因の日常行事だから、自己責任で旅行に来たわけだ。
JR紀伊田辺駅に到着した、御坊発の普通列車。227系2両編成のワンマン運転
駅から南西方向に、アーケードのある駅前通りがあるが、こちら側に特に用事はない。イオンモールは駅を挟んで逆側にある。
駅前から跨線橋を渡ると、駅前通り側とは一変して普通の住宅街。500mほど歩くと小ぢんまりしたイオンモールがある。
レジとゲームコーナーの間に、テーブルが10個程度並んだイートインコーナーがある。電子レンジやインスタント麺用のポットなどもあり、いたれりつくせりだ。
イートインコーナーで牛めしそぼろ弁当(429円)・ハムチーズマヨ パン(140円)を摂取
駅前に戻り、列車が出発するまで少し散策。当地の著名人 武蔵坊弁慶の銅像がある。
コンビニのイートインコーナー兼、駅コンコースには田辺出身の著名人一覧が掲示されている。
粘菌の研究で有名な南方熊楠、義経の右腕 弁慶、この2人は和歌山出身だと多くの人が知っている。その他に、合気道の創設者 植芝盛平という人も有名なのだろう。駅前に大きな石碑があった。
出発10分前にプラットホームに行くと、既に227系2両編成の列車が停車していた。
■ JR紀勢本線 紀伊田辺駅 10:45発 → 串本駅 12:09着
御坊駅で乗り換えたときに見かけた「青春18きっぷ旅行者」は、殆どが途中駅で下車してゆき、串本まで乗ってきているのはオッサン数名だけになった。
12時09分、串本駅に到着。環状線福島駅から4時間51分掛かった。特急列車に乗れば3時間30分なので、普通列車の場合1時間20分ほど余計に掛かったことになる。
紀伊田辺から乗車してきた普通列車は、串本駅で行先表示が新宮に切り替わっていた。それなら、最初から新宮行と表示すればよいのに...。(この駅で1時間弱の停車時間があるからなのだろうか)
本州最南端モニュメント、潮岬観光タワーへ
JR串本駅の改札横にある観光案内所へ。ここで自転車がレンタルできる。念のため、きのう電話で予約を入れておいた。
レンタル料金は3時間で1,500円。クレジットカードで支払った。
串本駅の観光案内所で借りた電動アシスト自転車(ヘルメットも付属していた)
潮岬は、北海道の函館と同じ「陸繋島」。
潮岬の陸繋島 (南紀熊野ジオパークWebサイトより)
潮岬はもともと島であったが、陸側から沖合いの潮岬(島)に向かって砂州が成長し、やがてつながり陸繋島となった。この砂州の上に串本の町並みができた。
串本駅から「陸繋島」までの間は、ほぼ標高ゼロメートルの平坦な「陸繋砂州」の上を自転車で快調に走り抜ける。距離はだいたい1.8kmくらい。
流紋岩の「島」である潮岬は、波で削られ平らになった3段の段丘状となっていて、道路は本州側の最も高い段丘面に向かって旧勾配で登っていく。標高差は約70mもある。
潮岬の海岸段丘 (南紀熊野ジオパークWebサイトより)
潮岬には2段の海岸段丘が発達する。段丘上には海岸の礫が載っていることから、この平坦面は、かつて海水面付近で形成された波食棚であったことがわかる。南海トラフで発生する巨大地震ごとに隆起を繰り返し、現在の高度まで持ち上げられた。
潮岬の海成段丘(和歌山県レッドデータブック 12.地形・地質)
潮岬は、陸けい島をなす。粗粒玄武岩、珪長質半深成岩のグラノフィアー、石英斑岩等からなる潮岬火成複合岩類を基盤岩とし、高位段丘(標高 80 m)及び低位段丘(40~60 m)が発達する。
和歌山県:潮岬の海成段丘(日本の地形千景プラス)
「潮岬」は,いわゆる「岬」ではありません。 現在は「陸繋砂州」によって半島化した元島の全てを示す地名です。
半島の殆どが新第三紀の中新世に,地中深くから上昇してきた「流紋岩の貫入岩」で形成されています。
しかし,遙か昔に海の波で削られて平坦になってしまい,地形上は「海成段丘」と呼ばれています。
「潮岬」には,大きく3つの段丘面に区分されています。 現在,「隆起波食棚」と見なされる面は,「低位段丘面」に該当します。
段丘崖の急坂を登るのは、「電動アシスト」自転車が本領発揮する場所だ。
いかにも南国のビーチといった砂浜が、陸繋砂州の西側に見えている。海が...、エメラルドグリーンだ。
坂道を登り切ると、標高約70mの「高位段丘面」に出る。ここから先は緩やかな地形となる。
住宅街の入口横には巨大な通信鉄塔もある。
コミュニティバスの経路にもなっているメインストリートを進んでいくと、最高標高点74.3mの三角点がある「測候所跡」を過ぎたあたりから緩やかな下り坂となる。
測候所の機械化・無人化について(気象庁 報道発表)
測候所につきましては、平成8年度以降、自動観測システムの計画的な整備により、無人化(特別地域気象観測所への移行)を進めてきており、これまでに全国78ヶ所の測候所の無人化を実施してきました。平成21年度については、平成21年10月1日に、次の10ヶ所の測候所について無人化(特別地域気象観測所への移行)を実施します。
・潮岬測候所(和歌山県)
台風直撃時の強風に耐えるためなのか、頑丈そうな石垣塀を持つ住宅もある。
近隣に店など見かけないのに、バス停は「中の店」(標高約50m)
ここでメインストリートから外れて潮岬観光タワー方向へ曲がる
住宅街を出て潮岬「島」の南端部分まで標高50mをくらいの「中位段丘面」の地域になる。ここには潮岬観光タワーや灯台などがある。
串本駅前から潮岬観光タワーまで、自転車で約25分かかった。ただし、写真撮影で何度も停車しつつだったので、ノンストップで走り続ければ15分程度でたどり着けるだろう。
この時点で、帰りの列車が出発するまで残り約1時間だ。
建設 | 1960年 |
---|---|
高さ | 37m (海面からの高さ約80m) |
階数 | 地上7階 |
緩やかな傾斜の芝生広場を下っていくと、海に面した断崖ギリギリのところに「本州最南端」の石碑がある。
互いに50mほど離れて、2種類の石碑があるのはナゼ?
石碑のすぐ脇に休憩所があり、イートインコーナーのようなテーブル席から最南端の石碑や沖を行く船をぼんやり眺めることもできる。
この日は平日で、もとより観光客はほとんど見かけなかったので、休憩所の中も無人だった。
潮風の休憩所 展望テラスから本州最南端の石碑を眺める
潮岬灯台へ
再び自転車に乗り、600mほど西にある潮岬灯台へ。
潮岬灯台の門には、「第5管区海上保安本部 田辺海上保安部管理」「潮岬灯台」 との表札が掲げられている
門を入ってすぐのところに、1870年に建てられた石造官舎。外観の石造り部分は、建設当時の姿を残しているそうだ。
その奥に白く塗られた灯台。
建設 | 1878年 |
---|---|
高さ | 23m (海面からの高さ49m) |
灯質 | 単閃白光 毎15秒に1閃光 |
光源 | 1,500W ハロゲン電球、直径120cm回転灯具 LB-H120型 |
光達距離 | 19海里(約35km) |
その入口の上に銘板があり、建設から150年近く経っているとわかる。
潮岬灯台銘板より
REBUILT 1878
ILLUMINATED 5TH APRIL
LIGHT FIRST EXHIBITED FROM THE OLD
WOODEN TOWER 15TH SEPTEMBER 1873
この灯台では、灯室の直下にある踊り場と展望台が一般公開されていて、そこまでは登ることができる。
踊り場直下だけ、鉄製の急階段になる。
潮岬灯台の展望台から見た景色
潮岬灯台の展望台から東方向。灯台の直下には無線方位信号所(レーマークビーコン)、林の向こうに潮岬観光タワーが見えている
上の写真では、灯台や潮岬観光タワーがある「中位段丘面」と、水面付近の「低位段丘面」がはっきりとわかる。
潮岬灯台の展望台から、レーマークビーコン局のアンテナや周囲の岩礁
海上保安庁のレーマークビーコンは平成21年度までに「全廃」されているが、この日はアンテナ塔の電気室の扉を開けて工事を行っていたので、まだ鉄塔の一部の機能が使われているのだろう。
無線方位信号所(レーマークビーコン)の廃止について
海上保安庁では、沿岸域を航海する船舶の航行援助システムのひとつとして運用し
ている無線方位信号所(レーマークビーコン)(以下「レーマーク」という。)を、平
成19年度から平成21年度までの3ヶ年で、順次廃止することとしました。
潮岬灯台資料展示室 潮岬灯台で1957年まで使われていた第2等フレネル不動レンズ
現在、潮岬灯台の灯器は、1983年に作られた日本に3台しかないLB-H120型。
潮岬灯台資料展示室 2022年3月まで梶取崎灯台で使われていたLB-H40型灯器
光度 | 180,000cd |
---|---|
灯質 | 単閃白光 毎8秒に1閃光 |
光源 | 100V, 500W ハロゲン電球 |
光達距離 | 18海里(約33km) |
列車に乗る時刻まで40分ほどとなったため、駅に戻ることにする。
潮岬灯台前から住宅街へは、ウバメガシの並木トンネルとなっている。
帰りはほぼノンストップで串本の市街地まで戻ってくる。串本駅近くの串本漁港まで、所要時間は15分ほどだ。
段丘の上から陸繋砂州まで、延々と下り坂が続くので楽ちんだ。
漁業組合のWebページによれば、ここでは " マグロ・カツオ・トビウオ・ブリ等 " が特産品だそうだ。
帰りも普通列車を乗り継いで 串本から大阪へ
串本駅前には「アメリカ商船レイティ・ワシントン号」の青銅像と、「トルコ友好の町」横断幕
この帆船記念碑は、「トルコ友好の町」だから、トルコの帆船模型像と思いきや、なんと日本に来航した最初のアメリカ船の記念碑だった。
串本駅の改札横にある観光案内所へ自転車を返却し、プラットホームのベンチに座って早めの夕食を食べる。
先日の犬山・名古屋旅行のときと同じく、レーズンロールとちくわ。これで、必要量の炭水化物とタンパク質が摂れてるはずだ。
昼食 (レーズンロール 104円、はちみつ 127円、ちくわ 65円、どら焼き 52円)
■ JR紀勢本線 串本駅 14:01発 → 紀伊田辺駅 15:55着
227系2両編成のワンマン列車の2両目に乗車した。この車両の乗客は私の他に赤ちゃんを抱いた女性が1名だけ。
途中駅で行き違いの列車や、追い抜いていく特急を待つ時間が長く、紀伊田辺まで2時間ほど掛かってのんびり走っていた。
■ JR紀勢本線 紀伊田辺駅 16:21発 → 御坊駅 17:11着
紀伊田辺駅からの普通列車が御坊駅に到着すると、プラットホームの対面に30分後に出発する和歌山行の列車が既に停車している。すぐに乗車しても良かったのだが、乗り継ぎ時間が十分あるため、駅前のローソンに行きおにぎり1個を購入。
JR御坊駅で、紀勢本線の227系2両編成から、京阪神圏の225系4両編成に乗り換える
■ JR紀勢本線 御坊駅 17:40発 → 和歌山駅 18:42着
海南駅を過ぎたあたりから、立ち席が出るくらいの混雑となり、和歌山駅では多くの乗客が紀州路快速に乗り継いでいた。
その紀州路快速 4両編成は、和歌山駅を出発する時点で立ち席が出る満員状態。途中駅からも次々と客が乗り込んでくるが、多くは天王寺や新今宮などで入れ替わり、福島駅まで乗り通していた客はほとんど見かけなかった。
■ JR阪和線・環状線 和歌山駅 18:58発 → 福島駅 20:26着