暖かな快晴が予想されたので、青春18きっぷで城崎温泉へ出かけてきた。途中、福知山駅で40分ほどの乗り継ぎ時間があったため、福知山城も見ることができた。
前回、城崎温泉を訪れたのは2007年3月17日〜18日『出石、豊岡と城崎温泉』なので、17年ぶりの再訪だ。
支出一覧
項目 | 価格 | 備考 |
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青春18きっぷ(1日分) | 2,410円 | 使い残し売却までの暫定値 |
昼食(レーズンロール、ちくわ、どら焼き) | 348円 | 大阪で購入して持参 |
城崎温泉 一の湯 | 800円 | (現金) |
合計 | 3,558円 |
普通列車を乗り継いで 大阪から城崎温泉へ
■ JR東西線 新福島駅 05:49発 → 尼崎駅 05:59着
普段、六甲山に登山に行くときに乗る時間帯より1時間ほど早く乗ったため、乗客はほとんどいなかった。流石にこの時間帯の通勤客は少ない。
■ JR宝塚線・福知山線(普通4両編成) 尼崎駅 06:01発 → 福知山駅 08:19着
乗り継いだ(大阪始発)福知山行きの普通列車は4両編成なので、ほぼすべての席がうまるくらいの混雑度合い。途中、乗り降りがかなりありつつ、この状態がほぼ福知山まで続いた。
宝塚を過ぎて山間部に入ると、どんどん霧が濃くなってきた。
三田市・丹波篠山市(武庫川上流域)は濃い霧の中だったが、丹波市(加古川上流域)に入ると少し太陽が顔をのぞかせる。同じ谷間でも、河川によって霧の出やすさに違いがあるのだろうか。
丹波市に入るといったん霧がほぼ消える。ここは初原山(四等三角点 451m)の麓。この左手の篠山川河床で、2006年に丹波竜の化石が出土したそうだ
Wikipedia『 丹波竜 』引用記事
丹波竜は、2006年(平成18年)8月7日に兵庫県丹波市山南町加古川水系篠山川河床の篠山層群において初めて発見された、ティタノサウルス形類と推測される恐竜またはその化石。
JR下滝駅には、「恐竜化石発見の里」の横断幕が掲げられている
福知山市に入ると、再び濃い霧に覆われる。気温は2度弱(気象庁アメダスより)と寒い。
福知山線・山陰線には快速や普通列車がほとんど走っていない代わりに、特急が各方面へ1時間に1本ずつ頻発している。大阪から城崎へ特急なら3時間、普通なら4時間半なので、もし直通の快速を頻発させれば「値段の高い」特急に乗る客は激減するだろう。
金が余っているから旅行している人たちからむしり取るのは構わないだろうが、地元の人達にとっては良くない着地点だ。
■ JR山陰線 福知山駅 08:54発 → 豊岡駅 10:10着
福知山から先は223系2両編成のワンマン運転となる。無人駅停車時は、先頭車両の一番前の扉しか開かない。
京都府から兵庫県へ、由良川流域から円山川流域に移動するに従い、空を覆っていた霧が晴れた。
兵庫県に入ると、スッキリした快晴の青空で、列車停車時に扉から吹き込んでくる風も暖かになった。
昼食は、先日の犬山・名古屋旅行のときと同じく、レーズンロールとちくわ。車窓を見ながらのんびりと食べた。
昼食 (レーズンロール 104円、はちみつ 127円、ちくわ 65円、どら焼き 52円)
■ JR山陰線 豊岡駅 10:13発 → 城崎温泉駅 10:25着
豊岡から先は、2両編成の気動車キハ47。軽快なエンジン振動が座席に伝わってくる。
大阪の新福島駅から、普通列車を乗り継いで4時間36分。やっと城崎駅に到着した。
私がこの地域に住んでいた小学生のころは「城崎駅」だったはずだ。Wikipediaによれば2005年に「温泉」を付け足した駅名に変えたようだ。観光「だけ」の町だから、駅名まで観光向けにしたかったのだろう。
城崎温泉
インバウンド外人だらけと恐れていたが、この時期は卒業旅行の大学生など日本人の若者が目立っていた。外人の姿はほぼ見られないし、目立ってもいない。
次のようなインバウンド礼賛の記事からも、この町はもはや日本人を相手にしていないのだろうか。私が子供だった40年くらい前の頃の「鄙びた温泉街」とは隔世の感がある。
外国人宿泊者数が6年で約45倍に!城崎温泉
官民連携による豊岡版DMO(※)「豊岡観光イノベーション」(TTI)を発足し、旅行商品の販売や海外への営業、外国語での宿泊予約などを手がけてきた。
2011年に1,118人だった豊岡市の外国人宿泊数は、2017年に50,800人となり、6年間で約45倍に急増するという大きな成果を挙げた。特に顕著なのは神鍋高原(スキー場)を有する日高地域で、外国人延べ宿泊者数が、前年同期比の10倍以上に増加した。その背景には民間事業者による台湾からの団体客誘致が影響しているという。
人口約8万人の豊岡市は、2020年に外国人宿泊客10万人という目標を掲げている。
"外国人リピーター7割"の旅館も
江戸時代から続いているという、森津屋旅館。いまや宿泊客のおよそ9割が外国人観光客だそう。
UTSUROI TSUCHIYA ANNEX館長 山田一輝さん:「コロナ前の状況に戻ってきている。特に外国人のお客さんが現在8割を占めています」
実際、どれくらいのインバウンド公害がこの町にやってきているのか、日本人も含めた全体人数「平成26年度 豊岡市の観光客の状況」を見てみると
入込客数 | うち宿泊 | うち日帰り |
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92.2万人 | 64.6万人 | 27.6万人 |
つまり、64.6万人の宿泊者数のうち、約5万人がインバウンド外人というわけだ。2つ目の引用記事に書かれているように、宿泊客の7割・8割がインバウンド外人ということはなく、ミスリードを誘いやすい偏った記事だと思う。
城崎といえば、松葉ガニ。おそらく、この町を訪れる大多数の日本人は「カニ目当て」である。
写真にもある通り、「松葉ガニ漁 終了まであと6日」であり、4月以降は「カニ抜き」で日本人観光客が激減し、インバウンド外人ばかりが目だつ町になるのだろう。
観光業界や自治体でも「カニ以外に集客できない」のはわかっているようだ。
環境省 温泉地に関する参考資料
・年間を通じて外国人観光客の来訪があり、オフシーズンにおける観光入込客数の落ち込み
が軽減された
・松葉ガニシーズン以外の閑散期対策
・城崎温泉の限界(豊岡市全体での周遊)
若い人が大好きな食い歩き産業で生き残ろうと、ちょっと無理のある新名物などが売られている。
スパイスで原材料の味など消し飛んでいるのに、わざわざ高級な日本産ブランド原料を使う必要があるのだろうか...
城崎とはなんの関係もなさそうな「唐揚げ」「ソフトクリーム」「スイーツ類」などの店も多い。
日本全国、どこの観光地にもある「食い歩きストリート」の誕生である。
城崎温泉駅から300mほど駅通りを歩くと、城崎のランドマークである大谿川(おおたにがわ)にぶつかる。
城崎 地蔵湯橋から見た大谿川。観光Webサイトなどで有名な景色
メインストリートが大谿川から離れる、ちょうどその交差点に一の湯がある。
40年以上前、子供の頃に初めて入ったのがこの温泉「一の湯」だ。かなり記憶はあやふやだが、当時は温泉の入口は川の下流側(東端)で、2階建てじゃなかったような...
Web検索すると、やはりこの建物は1998年改築されていて、私の子供の頃のものとは似て異なるもののようだ。
城崎温泉 一の湯 (いるか設計集団)
岡田信一郎設計当初の外観を復元
城崎の文化的景観を継承し建物内部を一新
建築年:1998年/規模:894㎡/構造:RC-2F地下1F
通りに面した建物中央の入口から入る。入湯料は現金のみ支払い可能で、800円。
エントランスロビーの左側が男湯、右側が女湯。女湯の2階部分はレストルーム、男湯の2階部分は家族風呂となっている。
私の記憶にある昭和50年代の一の湯には2階は無く、天井の広いエントランスロビーが建物の東半分を占め、西半分が脱衣場と風呂だったような...
現在の湯船はこぢんまりして貧相だが、昭和の時代は単純な長方形の湯船で、今の倍以上の面積があった記憶がある。
御所の湯を過ぎてしばらく行くと、食い歩きの飲食店がほぼ消滅し、落ち着いた雰囲気の温泉街の景色になる。
およそ100年前、文豪 志賀直哉が短編小説「城の崎にて」を執筆したと言われる旅館 三木屋の前からロープウェイ駅方向を見たのが次の写真。
ここで、駅に引き返す。
城崎から福知山へ
山陰線の上りダイヤでは、特急と普通が1時間に各1本程度の出発。パターンダイヤではないので、ひどいときは2時間近くの待ち時間がある場合もある。
通学の高校生以外の地元民があまり利用しない、典型的な観光需要重視の路線だ。
JR城崎駅に停車する特急こうのとり (大阪までの所要時間は約2時間30分)
JR西日本の兵庫県・城崎の観光マスコット (城崎温泉駅コンコース)
最近よく見かける、観光地の少女マスコットキャラクター。これって、ジェンダーなんとかの人権団体とか疑問を投げかけないのかね。
■ JR山陰線 城崎温泉駅 11:40発 → 福知山駅 13:19着
玄武洞は、私の子供の頃は無料の市民公園だったが、観光客が増えたので2022年から有料化されたらしい。津居山から竹野の間の海岸線には、無料で見れる柱状節理の岩場がいくらでもあるのに...
この日の豊岡市の最高気温は20℃。列車内にも柔らかな日が差し込み、暖かい。
乗客数が一番多かったのは豊岡駅付近で、それでも座席の7割か8割位が埋まっている程度。青春18きっぷ通用期間でも、平日ならそれほど混雑はないようだ。
JR福知山駅に到着した城崎発の普通列車 (113系電車 2両編成)
福知山城
福知山駅から福知山城まで、歩いて1.2km・20分ほどの距離。列車の乗り継ぎ時間が48分なので、歩く速度が早い私なら余裕で戻ってこれるはず。
今朝、この駅で列車を乗り換えたときには深い霧の中だった市街地は、お昼になり完全に快晴となっている。
駅からまっすぐ東へ。途中のコーナンの駐車場のところまでは、今朝あるいて探索済みなので、迷わず快調に歩く。
旗竿の文言 " 明智光秀が築いた城下町 福知山 " は理解できるが、" 挑戦! 光秀マインド 麒麟のいるまち。 福知山市 " とはどういう意味合いなのだろうか...。
市役所付近から、かつての福知山城内となる。市役所の東隣にある裁判所とともに「丸の内」と呼ばれた場所で、対面所や武家屋敷が並んでいたそうだ。
現代の福知山城登城口は、天守台の東斜面に無理やり作られたスロープになっている。かつての縄張り図には、こんな場所に道はない。
福知山城 由良川(土師川)に面した本丸東斜面に無理やり作られた公園スロープを登る
急傾斜のスロープを東から南に向かって登っていくと、本丸広場に出る。眼の前には、1985年に復元された天守が聳えている。
天守の建物は復元されたイミテーションだが、天守台の石垣は安土・桃山時代のものがかなり残っているそうだ。
近寄ってみると、石の中に墓石などが混じっているのがわかる。
天守台の西端、銅門脇番所の脇に「使われなかった転用石」が集められているところがある。
福知山城石垣の転用石 (現地説明板より)
天守閣の石垣は、「野面積み」「乱石積み」などと呼ばれる技法で未加工の自然石が積み上げられています。また、五輪塔や宝篋印塔を始め、石仏、石臼、灯籠などの石造物が大量に石材として利用され、これらは転用石と呼ばれています。
再建時の発掘調査でご百個余りが確認されています。
銅門(あかもん)脇番所は、かつて二の丸にあった建物を本丸に移築したものだそうだ。ちょうど、二の丸だった場所を見下ろす位置に移築されている。
銅門脇番所 (Wikipediaより)
二の丸の建物は1887年(明治20年)取り払われ、建物一部の瓦は寺院や民家に使用された。二の丸の台地は削り取られ、城門は観瀧寺、正眼寺、法鷲寺、明覚寺の山門になったと伝わっており、これらは福知山市重要資料に指定されている。最後に残っていた二ノ丸の登城路付近にあった銅門番所は、1916年(大正5年)に天守台に移築された。
天守の東側に回り込むと、そこには深さ50mを超えるという井戸「豊磐の井」や、初代藩主朽木稙昌の父朽木稙綱を祀った「朝暉神社」がある
狭い天守台に、いろんなものが詰め込まれているものだ。
福知山から大阪へ
福知山駅に戻ると、プラットホームに北近畿タンゴ鉄道の特急はしだて(「丹後の海」の車両)が停車していた。
JR福知山駅に停車していた、北近畿タンゴ鉄道KTR8000形気動車 「丹後の海」
■ JR福知山線 福知山駅 14:07発 → 篠山口着 15:10着
篠山口行きの普通列車は、出発6分前に引き上げ線から入線してきた。223系車両の2両編成ワンマン運転だ。
福知山を出発したときには、ほとんどん座席が空いているほど空いていたが、途中停車駅で次々と乗客が乗ってきて、篠山口に到着する頃には満席になった。
単線を走る列車は、行き違いをする駅ごとに出発が5分だけ遅れていた。結果、篠山口では乗り継ぎ時間がほぼゼロに...。
ホーム対面での乗り換えじゃなかったら、乗り換えできないところだ。
■ JR福知山線(丹波路快速) 篠山口駅 15:12発 → 尼崎駅 16:13着
6両編成の大阪行き快速は、福知山からの普通列車から乗り換えた乗客で、篠山口駅を出発する時点から満席だ。
篠山口から大阪方面へは、東西線直通のロングシート車両もあるので、ゆったりと座れる223系クロスシート車両の丹波路快速に接続して幸運だったとも言える。
■ JR東西線 尼崎駅 16:16発 → 新福島駅 16:26着