日本橋でUSBメモリーを買ったついでに、久々に上町に寄ってみた。
PCショップや電子部品屋がある付近からまっすぐ東へ、高速道路の下を抜けると繁華街から一気に静かな下寺町。ちょうど目の前が、口縄坂の入口。
Wikipediaによれば、口縄坂の云われは...
「口縄」とは大阪の古い言葉で「蛇」のことであり、坂の下から道を眺めると、起伏が蛇に似ていることからそう呼ばれるようになったとされている。
坂の下から眺めても、ほぼ一直線の綺麗な階段にしか見えない...
かつてこの辺りに、夕陽丘高校の旧校舎があったようだ。そのことを示す石碑が階段の登り口にある。1934年に移転したそうなので、もう80年ほど前のことだ。
松屋町筋に戻り、250mほど南へ。大江神社の石段(百歳の階段)がある。この坂は「天王寺七坂」には含まれないようだ。
引用記事
「百歳の階段」
この階段は百一段あり、人生の区切り百歳よりあともう一歩、心も身体も健康でありますようにと願いを込めて名付けました
この大江神社の敷地の南側に、愛染坂がある。この坂はスロープなので、余裕で自転車で登れる。
愛染坂を登ったところには、愛染堂勝鬘院がある。金堂は徳川秀忠が再建したもの、その裏手にある多宝塔は豊臣秀吉により再建されたもので重要文化財だ。
愛染堂の西隣は聖徳太子が創建した大江神社。
一旦谷町筋に出て、星光学院高校の敷地を回り込んで南側に出ると、清水坂(きよみずざか)がある。京都の清水寺の参道「清水坂」と同じ読み方だ。
この坂は、敷石がきれいに再整備されたばかりのようで、人の歩く階段と、自転車用のスロープが並行して作られている。
自宅に戻りつつ、源聖寺坂を見て生玉公園へ
松屋町筋側の生玉公園入口を入ると、石段の向こうにはコンクリート壁で作られた「何か」がある。上町断層の段丘面を押さえるだけのために、複雑な形状をしているのではなく、ここはかつての防空壕の跡地だそうだ。
公園の説明看板より
生玉公園は、1940年5月に着工、42年5月に開園し、地下壕は当時軍部が戦局を拡大させる中で空襲に備えるための「都市防空壕」として大阪市に寄って建設された