梅雨明けを思わせる快晴となった。今日は湿度もそれほど高くなく、気温も真夏に比べれば低めで気持ち良い。
今日は大阪府庁前の大手門から入り、OBP側の極楽橋に抜けるコースを自転車で走り抜けた。
外濠に架かる大手口土橋のスロープから大手門方向を見ると、大手門から左に向かって多聞櫓、天守、千貫櫓と続いている。
大手門を通り抜け、巨大な枡形を直角に曲がると多聞櫓がある。
左側には内濠(空堀)があり、桜門土橋を渡ると桜門(画面左側)がある。修道館前(かつて、脱税売店があったところ)にインバウンド向けの「エレクトリックカー」が停まっている。
インバウンドが消滅して1年半経ち、利用客数が4分の1以下(2020年3月=10,547人,平成30年度平均=58,588人/月 事業報告書データより)になっているのに、しぶとく残存している。
内濠に架かる桜門土橋のスロープから桜門を見たのがこの写真。門の奥に巨石の蛸石があり、天守が見えている。この蛸石は大阪城で最大の石で、約130トンだそうだ。
桜門の左右も大阪城で10,11位の巨石で、竜石・虎石と呼ばれている。
1931年に建てられた復興天守。
大阪城天守閣復興
大阪城天守閣の復興は本丸一体の公園化計画の一環として計画され、昭和6年(1931)に竣工した。
当時城郭建築の研究は進んでおらず、また豊臣氏大坂城天守に関する資料はほとんどなかった。
全国の桃山時代建築や城郭建築を調査、研究し、「大坂夏の陣図屏風」に描かれた天守をもとに全体の構成から細部意匠にいたるまで再現した。
https://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000301421.html
復興天守は鉄骨鉄筋コンクリート造、高さ54.8m、5層8階で本丸の地面レベルから最上階までエレベーターで到達できる「ビル」だ。
今日は、インバウンド向け商業施設に改装された第4師団司令部庁舎跡の中も探検してみる。
軍事施設の復元公開というより、もはや迎賓館風の商業施設である。歴史的建造物を、ここまで荒唐無稽に魔改造するとは、さすが日本の歴史を冒涜する維新の会と電通の仕業だ。
タリーズコーヒーと忍者アトラクションがある。
中国人観光客ほかインバウンド向けの「ステレオタイプ忍者」アトラクション。
これが、多くの戦没者を出した旧日本軍の司令部施設跡でやるべきことだろうか。
北廊下にも、インバウンド用の土産物屋。
大阪城公園パークマネジメント事業 令和元年度事業報告書
MIRAIZA OSAKA-JOにかかる事業報告書
旧第四師団司令部庁舎をリノベーションし、平成29年10月に新たな複合施設しとして誕生した「MIRAIZAOSAKA-JO」。1階にカフェとお土産物ショップ、2階3階にレストラン、屋上には、眺望の美しい屋上テラス・レストランを開設しています。
COVID19(新型コロナウイルス感染拡大)の影響
特に外国人観光客を重点的にターゲットとする土産物店、たこ焼き店、地下施設は、夏からの韓国人観光客激減、そして1月以降の中国人観光客ほかインバウンドの激減には、対処する方策が無い状況です。
https://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/cmsfiles/contents/0000020/20226/r1_03b_houkoku.pdf
中央階段を登り2階へ。
2階は高級そうな飲食店。廊下も一般人は立入禁止となっている。いずれにしても、この建物の廊下を歩いている人は皆無で、記念撮影する人を数人見かけたくらいだ。
大阪城公園パークマネジメント事業 令和元年度事業報告書
令和2年4月現在、
賑わいづくりとして設置していた露店については景観上の課題もあったため一旦撤去しましたが、今後より多くの集客を図るために総合的なエントランス部分の賑わい向上策を検討していく必要があります。
https://www.city.osaka.lg.jp/keizaisenryaku/cmsfiles/contents/0000020/20226/r1_03b_houkoku.pdf
結局、去年の4月に「賑わい向上策を検討」したにもかかわらず、この閑古鳥状況では...。
インバウンドが近い将来戻ってくるなどという、日本人の神経を逆なでするような「商売人の見たい将来」は絶対実現しないであろうし、実現させたくないね。
第4師団司令部庁舎跡を出て、本丸から北側の山里丸の方へ向かう。
天守北側の枡形の、内濠に面下側の石垣には鉄砲狭間が並んでいて、そのはるか向こうに大阪ビジネスパーク(OBP)のビル群がある。
この石垣の頂部には、かつて、きれいに紅葉する大きなハゼノキがあった。
「山里丸」とは、城内に設けられた御殿や茶室、日本庭園が設えられた遊興施設のこと。
現在の大阪城は、日本庭園は天守の南西にあるが、かつては天守の北(の山里丸の一部)にあったのだろう。