4月並みに気温が上がった晴天、下鴨神社と京都御所を歩いてきた。この日の最高気温は京都で20.6℃と、例年の4月の気温と同じレベルだ。
休日に片道5本だけ運行される京阪の快速特急「洛楽」に初めて乗車。京橋駅を出ると、次に停まるのは京都の七条駅。私が学生の頃に乗っていた、かつての京阪特急の停車駅と同じで、余計な(失礼)途中駅に停まらないので車内が静かで快適だ。
■ 京阪本線 淀屋橋駅 09:00発 → 出町柳駅 09:48着 (運賃 480円)
出町柳駅の出口を出て、すぐ横の高野川を渡ると、下鴨神社の一の鳥居がある。
下鴨神社
鳥居の手前には、下鴨神社の正式名称である「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」と彫られた社号標。
この一の鳥居をくぐり抜けても、しばらくは住宅街が続く。
ニの鳥居(南口鳥居)に行き着くまで、「糺の森(ただすのもり)」と呼ばれる境内地の原生林を南北に貫く表参道を400mほど歩く。
ニの鳥居をくぐり抜けると、左手に「さざれ石」がある。国歌「君が代」に登場する"あの石"だ。
Wikipediaによれば "さざれ石は、もともと小さな石の意味であるが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化した「石灰質角礫岩」"のことだそうだ。
回廊とも、1628年に建てられたものだそうだ
どちらも1628年に建てられたものだ。
中門の奥に、干支ごとの守護神である7つの言社が並んでいて、その奥が本殿。
言社は7つあり、「子」と「牛」がそれぞれ1つのお社、それ以外は2種の干支で1つのお社。合計十二支。
一般の参拝客は幣殿の所までしか進めない。奥に、東本殿・西本殿を眺めることが出来る。
下鴨神社 御手洗川(みたらしがわ)に架かる輪橋(そりばし)と光琳の梅
緒方光琳の紅白梅図屏風に描かれたことから、"光琳の梅"と呼ばれるようになったそうだ。
御手洗川は、"土用になると池の周辺や川の底から清水が湧きでるとされ、湧きあがる水泡の姿を団子にかたどり、みたらし団子の発祥とされる"と下鴨神社のWebページで解説されている。
東京の皇居の方向を示しているのだろう。
境内を出て、出町柳方向へ。表参道と並行している馬場沿いに末社がいくつか並んでいる。その中で最近改築されたものが、この写真の二十二所社。
河合神社
下鴨神社の南、糺の森の南端に(下鴨神社の摂社の)河合神社がある。
この神社の境内には、鴨長明の庵がある。
立札の解説によれば "五十歳のとき全ての公職から身をひき大原に隠遁。その後、世の無常と人生のはかなさを随筆としてちょしたのが「方丈記」である。大原からほうぼう転々として、承元二年(1208)五十八歳のころ(現伏見区日野町)に落ち着いた。各地を移動しているあいだに「すみか」として仕上げたのが、この「方丈」である"。
さらに、この神社は神武天皇の母である玉依姫命を祀っていることから、美麗の神様として有名らしく、祈願絵馬として「鏡絵馬」が奉納されている。
下鴨神社を出て南西へ1.8km、出町商店街を通り京都御苑にある御所へ。
Wikipediaによれば、鯖街道の終点が出町桝形商店街だということだ。写真の左側にも、「鯖寿司」の幟が見られる。
京都御所
御所へは清所門から入場する。2016年の夏より通年の一般公開が始まり、春秋の特別公開以外の時期でも、御所の敷地を見学できるようになっている。
京都御所 内側から眺める宜秋門
右奥に見える清涼殿は檜皮葺屋根葺き替えの工事中。
奥に見える大屋根は、紫宸殿
京都御所 紫宸殿の西側にある承明門
紫宸殿左側に見える仮設建物は、清涼殿の檜皮葺屋根葺き替え工事のもの。
京都御所 紫宸殿の東側にある日華門と宜陽殿
京都御所 小御所の蔀(しとみ)が跳ね上げられた状態の簀子縁(すのこえん)
前庭に植えられている紅白の梅は、まだ蕾状態
京都御所 御常御殿の襖絵(岡本亮彦作 曲水)
手すりの金具も、菊花紋章入りだ。
御苑から約2km南東にある京阪三条駅に向かう。途中、三条大橋の西詰にある松屋で牛丼(並 320円)を食べる。ちょうど昼時だったが、客は私を含めて2名。その後、3人ほどやって来たが、隣席に人が座るというような危険な状態は発生しなかった。 だがしかし、キッチンで調理している店員が、マスクをした状態ではあったが盛大なクシャミをしていたのにはちょっと怖くなった。私の牛丼を盛り付けてたときじゃなかったけどね...
■京阪本線 三条駅 12:31発 → 京橋駅 → 中之島駅 13:29着 (運賃 480円)
京橋で乗り換えた中之島行きの列車は、まもなく廃車となる5000系の車両。5扉車だが、通常時間帯はドア2枚の位置に椅子が出現し3扉車となるアイデア車両だ。以前は、朝ラッシュ時の中之島駅で折り返す時に椅子が降下する珍しい光景が見られた。