緊急事態宣言の自粛により、『県域内で他人から2m以上の距離を常に維持して移動し、公園などの屋外』という条件に合う山として、茶臼山を選んだ。
( ヤマレコの記事 『茶臼山(標高26m)』 にも掲載 )
阪堺電車の恵美須町駅が移転
2020年1月末に、これまで使われてきた旧駅が廃止され、およそ100mほど南の質素な停留所を新設して移転したそうだ。
恵美須町駅(旧駅)のエントランス" />
阪堺電気軌道 恵美須町駅(旧駅)のエントランス
旧駅舎では、まだ喫茶店が営業している。 乗降客があまりない駅だったので、乗客より道を歩く通行人を相手にしていたので、駅舎移転は関係ないのだろう。
1面1線のこぢんまりした停留所となってしまった。 そもそも、地下鉄の恵美須町駅出口から100mも南に移転してしまい、乗り継ぎも悪くなるという「戦線後退」「縮小均衡」だと思う。
多くの店が閉まり、インバウンドが消滅した新世界
インバウンドが消滅し、国内客も自粛で消滅したため、付近に住むオッサンや無敵の若者が少数徘徊するだけの殺風景な町並になっている。
7割から8割の店が閉まっているが、それでも無理やり開店して残りカスの無敵の若者をすくい取る戦法の店もあるようだ。ドラッグストア、串カツ屋、雑貨店などいくつかの店舗が営業しているのは確認できた。
通天閣の横の巨大なドラッグストアは、英語や中国語の看板のほうが大きかったりするが、インバウンドが二度と戻らないかもしれないなら、資金流出させるより今のうちに閉店したほうがいいのに。
無敵の若者をターゲットにした、コストの安い無人店のようなところは、非常事態でも開店し続けるのだろう。
天王寺公園
新世界側から天王寺公園へ。 公園の新世界側の入口は、天王寺動物園の入場口がある。
動物園の入口の横から美術館の前まで、動物園の中央を横切る歩道橋を自転車で走る。
歩道橋の上には、いろいろな動物たちの鳴き声が聞こえてくる。歩道橋の北側は、動物園内の工事でシートが掛けられていて、内部を見渡すことが出来なかった。
写真の奥に見えるのは市立美術館、右側の高層ビルは60階建てのあべのハルカス。
一旦公園を出て美術館の北側を迂回して、一心寺ゲートに向かう
茶臼山 登山
河底池の畔のベンチには、近隣の人だろうか、何人かが座って休憩している。
左側にこんもりとした林があるが、これが茶臼山(古墳)の墳丘
大阪市役所のホームページによれば…
大坂冬の陣で家康の本陣となり、夏の陣では幸村が布陣し激戦地となった茶臼山は奈良時代に和気清麻呂が河内川の流水を南に引こうとした河底池とともに、天王寺公園の風景に取り入れられている。和気橋は、延暦7年(788 年)和気清麻呂が旧大和川の流れを変えるために上町台地を開削した際、茶臼山古墳の濠を利用した名残が河底池であると伝えられていることから、「和気橋」と名付けられている。
ということで、この橋の名前は「和気清麻呂」に因んでいる。
和気橋を渡ると、登山道の入口。標高13mの地点から、頂上に向けていきなりの急登を老人がスタスタと登っていく。
「史跡 茶臼山 及び 河底池」
登頂証明書は一心寺の境内で交付されるそうだが、新型コロナで自粛中…
“恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか”
このゲートを出たすぐ横が、一心寺だ。
一心寺
2年前に父の遺骨を納骨したお寺。 お参りする。
斬新なデザインの山門です。
“本堂閉鎖中”の貼り紙が…
手前の燭台や、右側の売店などは“閉鎖中”の貼り紙あり。納骨堂の前から、墓場を横切ると南門。
南門を出ると、すぐ前が天王寺公園の一心寺ゲート。 自転車を駐輪した場所に戻ってきた。