南天満公園
桜之宮公園
造幣局
造幣博物館が開館している日は、正門(国道2号線に面した門)から博物館までの間の桜並木を歩くことができる。 通り抜けは来週からだが、大混雑を避けて期間前に観たほうが楽だ。
造幣博物館
ベルト駆動の圧印機が並んでいます。駆動源は蒸気機関ですかね…
まず粘土で実際の5~6倍のサイズの凸型の「原盤」を作る。石こうでその型を取ったものに黒鉛を塗り、銅を電気的に付着させて「電鋳盤」(凹型)を作製。ニッケルメッキを施して強度を上げ「縮彫原盤」(凸型)と呼ぶものを作る。これを「縮彫機」という機械にかけることで実際の硬貨のサイズに縮小しつつ、デザインを写し取った凸型の種印が出来上がる。最後の仕上げは装金極印課の職人技だ。大まかなシルエットを削り出した後、ベテランの職人が顕微鏡をのぞき込みながら手作業で彫り込む。
https://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXLASHD30H6B_Z01C15A1AA2P00&uah=DF260320148183
https://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXLASHD30H6B_Z01C15A1AA2P00&uah=DF260320148183
文政小判の製造風景とのこと
時代を経るにつれ、純度が下がり、重量が軽くなる…
Wikipediaによれば、” 皇朝十二銭は改鋳を重ねるごとに大きさが縮小し、重量も減少、素材も劣悪化していった。価値の低下した銭は、流通と交易の現場から忌避されるようになり、宋銭が大量に流入する12世紀後半まで、日本国内での銭の流通は限定されたものとなった。”
室町時代に日明貿易や倭寇によって大量に輸入され、江戸時代初頭まで流通した。