最盛期の紅葉を見つつ、京都東山の大文字山に登ってきた
もくじ
・京都 大文字山(その2:慈照寺〜大文字山〜南禅寺)
・京都 大文字山(その1:岡崎公園・真如堂〜登山口)
・ヤマレコの記事
真如堂 (真正極楽寺) 〜 慈照寺(銀閣寺)横の登山口
真如堂 (真正極楽寺)の東より、いったん谷底の白川通まで標高差30mほど下り、再び慈照寺に向かって登り返す。
吉田山や真如堂がある「小さな丘」は、周囲より少し古い地層で、更新世前期(258万年〜78万年前)に形作られたそうだ。周囲は、更新世中期(78万年〜12万年前)の砂礫地。
西側の花折断層と東側の鹿ケ谷断層の間に挟まれた場所が隆起し、長年の間に鴨川が削って吉田山などが残ったのでしょう。その後、周辺の低地は川が押し流してきた砂で埋まったので、地質年代的に新しい(更新世中期の)砂礫地となっているのでしょうね。
しばらく歩くと、東山の山麓に沿って「哲学の道」と呼ばれている琵琶湖疏水沿いの道に出る。
明治時代に文人がこの周辺に多く住んでいて、京都大学の哲学者・西田幾多郎や田辺元が散策したことから、「哲学の道」と名付けられたそうだ。
現在は、大量の外国人観光客がわんさか歩き、ざわついた落ち着かない商業地に成り下がっている。
しばらく行くと、銀閣寺(慈照寺)の入り口がある。室町幕府8代将軍足利義政が造営したこの寺は、室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築とされている。
総門の外には、観光客向けの派手な店が進出していたりする。時代も変わったものですね。
その前を通りすぎて、朝鮮学校へ向かう坂道を少し登ると、大文字山の登山口がある。
左側は朝鮮学校の敷地で、運動会(?)の音楽が聞こえていた。
GPSログ
慈照寺(銀閣寺)横の登山口 〜 大文字火床
登山口付近は治山工事で整備された林道となっている。 この大文字川に沿った林道を登っていく。
銀閣寺と大文字火床の間の山林は、面積24haの「銀閣寺山国有林」となっていて、至る所に治山工事された痕跡が残っている。
周囲には平成11年、平成26年と銘板が取り付けられた堰堤が多数。上の写真のものは、国土交通省のWebページで「優秀例」として紹介されている。
景観を重視した工法として谷止工の前面に疑岩タイプのピアススト-ンを採用する等、環境配慮(景観)に努めている
http://www.rinya.maff.go.jp/kinki/kikaku/skull_session/H27/pdf/2805_siryo5.pdf
大文字川に架かる小さな橋を渡り、山道に入る。 ここで分岐する登山道の道標は、とても小さいので見落とす人も多いようだ。国土地理院の地図によれば、道標を見落として直進してしまっても、どちらの道も大文字火床に到達することには代わりはないようだが…。
丸太階段など、整備された登山道をひたすら登る。
太平洋戦争中に(高射砲陣地にするため)陸軍が掘ったところ多数の遺骨が出土し、後に供養のために石碑が建てられたそうだ。遺骨は足利義輝が京都奪回のための戦(中尾城の戦い)で三好長慶に敗れた際、その戦死者を地元の人々が埋葬したものだそうだ。 (京都大学生協 ライフステージ2004年4月より)
送り火で燃やす薪を運ぶためのケーブルクレーン(索道)の下を何度かくぐり抜け、長大な階段を登り切ると視界が開ける。 五山送り火の火床だ。
大文字火床
火床の中央辺りの標高は330m。登山口は標高100mなので、標高差およそ230mを25分ほどで登ってきたことになる。
はるか南には大阪市内のビル群がかすかに見えている。
天王山(右側)と石清水八幡宮の山(左側)の間を淀川が流れ下っている。そのはるか向こうが大阪市街地だ。
石清水八幡宮の山の向こうには、天王寺の超高層ビル「あべのハルカス」がある。
手前左側の孤立した林が、真如堂などがある場所。手前右側が吉田山。中央の林が京都御苑だ。
遥か向こう、右側奥の最高峰が愛宕山で、その手前のなだらかな丘が嵯峨野辺り。
火床の中の階段を登り、最高地点から見下ろしたのが上の写真。 標高は360mほどのところだ。
大文字火床 〜 山頂
そこから林のなかの山道を20分ほど登る。ところどころ、9月の台風でなぎ倒された木が登山道を塞いでいるが、殆どはチェーンソーなどで刈り払われて除去されている。
15分ほど、標高差100mほど登ると山頂。この山頂からも眺望がよく、京都市内が一望できる。
山頂標識には466mと書かれているが、三角点の標高は456.3mだ。
この三等三角点の名前は「鹿ケ谷」。平家物語で有名な鹿ケ谷の陰謀は、ここから谷筋を少し下った所にある静賢法印(信西の子)の山荘で行われたという。
登山客といっても、普通の服装の人がほとんど。 標高差360mなら、普通のハイキングだ。ただ、この日は北風が吹き肌寒かった。山頂に取り付けられていた温度計は8℃を示していた。
山頂 〜 南禅寺奥の院
山頂から南禅寺方面に降りるには、途中まで蹴上に続く京都一周トレイルを歩く。5分ほど歩くと、複雑に登山道が交わった「四ツ辻」という場所に出る。道標があるので、迷うこと無く蹴上方向へ。
京都一周トレイルの道標 (東山No.45 : 大文字山 四ツ辻)
数分で、樹木が刈り払われた広場のような所に出る。四季の森展望台という道標がある。
道標にはこの広場が作られた経緯が書かれている…
平成17年に確認されたナラ枯れの跡地を再生するため、平成23年から「四季彩りの森づくり」を進めています。 (中略) 被害木の伐採、敵地適木に基づいた苗木の植栽、ニホンジカの食害を防止する柵の設置を行っています。
登山道を下って行くと、スギの植林が台風で大規模になぎ倒されている。
自然林では、台風の風で一斉に木々が全て倒れるようなことはない。 人工林の杉林はいたる所で大規模に倒木が発生している。 林業が壊滅した現在、台風被害の復旧を行うときには、やはり自然林に戻してもらうのが一番だと思う。
ヤマレコで作成したルート(KMLファイル)のナビに従って歩いていたが、南禅寺方向に分岐する道が見つからない。歩く人が少なすぎて、自然に返ってしまったのだろうか。 通りがかりの登山者に聞いてみると、谷筋に降りていく最短コースは荒れているのではないかとのこと。
「山火事注意」という赤い横断幕が掲げられた「道標No.39 : 七福思案処」の鞍部で、南禅寺方向に続く脇道に入る。
南禅寺奥の院 〜 南禅寺
どんどん下ると、南禅寺奥の院に出る。山頂から歩くこと約60分、標高差360mを下ってきた。
ここには、ちょろちょろと水が落ちている「打たせ滝」がある。滝行をするところのようだ。
ガイジンが勝手に滝で遊ぶのを防止するため、英語で書かれた注意表示がある。 滝の右手には、大日大聖不動明王が祀られている。
南禅寺に向かって、石段が続いている。途中に、大杉大神と書かれた石碑がある。
手水鉢に湧き水が導かれて、勢い良く水が注がれている。 手を洗ってみたが、水がぬるっとしている。
さらに階段を下っていくと、最勝院高徳庵の境内に出る。 南禅寺の塔頭のひとつだ。 本堂の前に縁結びの松と呼ばれる松があり、縁起物のタヌキ像が置かれている。
高徳庵の正門を出ると、目の前が疎水が流れるヨーロッパ風の水道橋「水路閣」だ。 周辺は大量の観光客が歩いている。
「波気都歌」は当て字で、「刷毛塚」のこと。
絵画、染表具、塗、その他多くの工人の製作の用具として使われる刷毛、その毛は動物の活毛を利用しているが故に回向して刷毛の恩恵に感謝の念を捧げるための供養塚ということだそうだ。
もう、人だらけです…
帰宅
南禅寺から三条まで歩き、三条の松屋で昼食。その後、京阪で帰宅。
■ 京阪 特急 三条駅 13:15発 → 京橋駅 14:00着
■ 京阪 普通 京橋駅 14:04発 → 中之島駅 14:15着 (470円)
列車は乗車から下車まで、すべて4〜5分遅れていた。車内放送によれば、京都で大量の乗客が乗っているからだそうだ。
もう、ガイジン観光客をこれ以上国内に入れるのはやめて欲しい。キャパシティを越えた観光公害どころではなく、害悪になりつつある。