昨春の「うどん県」(香川県)日帰り旅行に続き、今春も夜行フェリーを使った旅行を敢行。
神戸へ
■ 阪神 野田駅 21:56発 → 西宮駅 22:13着 (急行 運賃300円)
■ 阪神 西宮駅 22:16発 → 三宮駅 22:31着 (特急)
今回乗車した西宮行き急行と新開地行き特急は、どちらも梅田から乗ってきた通勤客は終点に近づくに連れ次々と下車していく。 22時に通勤帰宅とは、遅くまで大変な仕事だ…。 18時に仕事が終わり、通勤電車に乗るとしてもたったの5分という私とは、苦労の量が全く違う。
阪神三宮駅を出て、地下街に入ると既に営業時間が終了して、シャッター通りと化している。 22時に繁華街がゴーストタウン化してしまうというのは、ある意味インバウンドで賑わう大阪市の対極にあるような街だ。 それほど外国人に来てほしくないのかな…。
神戸市役所の方向に続いている地下街を港に向かって歩く。向こうから歩いてくる通勤客がまばらに居るが、私のように港方向に歩いて行く人は皆無。
市役所前で地下街から地上に出て、誰も歩いていないフラワーロードを1kmほど南へ歩く。
およそ20分歩いて、22時50分に神戸三宮フェリーターミナルに到着。
フェリーターミナル前の岸壁は、ポートアイランドとの間に架かる神戸大橋のライトアップが綺麗に見れる撮影ポイントだ。
ジャンボフェリーで神戸から高松へ
■ 神戸三宮港 01:05発 → 高松東港 05:10着 (ジャンボフェリー 往復運賃 3,690円)
23時、乗船券の販売がはじまる。往復割引の夜行便の切符は3,690円と、去年より90円ほど値下げされている。 そもそも安すぎる運賃を、更に値下げとはありがたいことだ。
この時点で切符売り場にいたのは、お遍路さんの杖を持ったおばちゃんと、私の2名。 切符を買ってから2階の待合室に行くと、5名程度が既に船を待っている。
0時35分、乗船開始。この時点で待合室でフェリーを待っていたのは50名程度。 コンテナ貨物の運搬が主な収益源のフェリーとしては、これだけ徒歩客が集まるというのは、ある意味すごいことかもしれない。
今回乗船するのは1990年に竣工した「りつりん2」号。 総トン数3,664トン、最大速度18.50ノットのカーフェリー。 広い客室は、トレーラーの運転手を含めて乗客100名未満では、ほぼスカスカ状態。 カーペットの敷かれている大広間は、場所取りの必要もなく好きな場所に寝れる。
1時5分ごろ神戸を出港。 出発直後の「船内のうどん屋と売店は2時まで営業している」という放送を途中くらいまで聞いたところで、すぐに熟睡。
ふと気づくと、『二人を結ぶジャンボフェリー』の歌が大音響で流れている。 まもなく高松港に到着する合図だ。
客室から後部デッキに出ると、薄っすらと白み始めた空の下、高松東港に接岸寸前なのがわかる。 デッキに出て外の写真を撮影するが、長袖のシャツ1枚でもそれほど寒さを感じない。
5時10分、高松東港に到着。 高松駅前行の無料シャトルバスがフェリーターミナル前に待っているので、急いで乗り換える。
高松駅前で朝食うどん
■ 高松東港 05:20発 → 高松駅前バスターミナル 05:32着 (無料 連絡バス)
今日の日の出は5時28分だが、天気予報とは違い東の空は曇っているので、まだ薄暗い。 この時間に開いている高松駅前の唯一のセルフうどん店「味庄」に向かう。
連絡バスを降りた客で、私ともう1名が開店直後の味庄に入店。 このお店は5時頃に開店するので、店頭に並んでいる天ぷらなどの揚げ物は、出来たてアツアツだ。
味庄の店内 (中央の銀色の筒型容器が、お出汁のセルフ給湯器)
かけ(小) 190円 ・ とり天 100円 ・ 玉子てんぷら 90円 = 計 380円
お出汁、ネギや天かすなどの薬味も全て自分で盛り付ける完全セルフ。 早朝から美味しい讃岐うどんで体を温められるのはありがたいことだ。
食後、6時始発のことでん(高松琴平電気鉄道)に乗るため高松築港駅へ急ぐ。
去年、「途中下車」出来るということを乗車後に知ったので、今年は栗林公園駅で途中下車権を行使することにして、琴電琴平駅までの通しの切符(620円)を購入。
■ ことでん 高松築港駅 6:00発 → 栗林公園駅 6:08着 (琴平行き)
栗林公園駅まで3駅乗車。始発駅ではほとんどお客さんが乗っていなかったが、途中駅から10人ずつくらい通勤客が乗ってくる。 栗林公園駅で下車して、500mほど西へ行くと栗林公園の入口(東門)に到着。
栗林公園
栗林公園は、高松市の観光案内所ではトップランキングのオススメ観光地。Wikipediaによれば、『紫雲山を借景として6つの池と13の築山を配した大名庭園。回遊式庭園の南庭と近代的に整備された準洋式の北庭からなっている』 そうだ。17世紀からおよそ100年間にわたり、讃岐国の藩主 生駒家・松平家が代々造営した庭園だ。
ネットの掲示板では、『早朝から開いているので、夜行フェリーで到着した場合は、混雑が始まる前の早朝に入場すべし』 とされている。
4月は5時30分から開場していて、こんな早朝にも関わらず近隣の中高年の人たちが朝の散歩をしている。 入場料は410円。 頭上の空は晴れ渡っているのだが、東の空にだけ雲があり太陽を遮っている。
庭園案内図の「南庭回遊コース 60分」に沿って歩くが、空が晴れるまで北庭回遊コースをちょこっとだけ回ってみる。
正面入口(東門)から入ると、民芸品などを展示している讃岐民芸館があるが、早朝のため開いていない(開場 8時30分らしい)。その隣は結婚式会場などとして使われる、商工奨励館(1899年建築)。ここは一般人は立ち入り禁止だ。 その先から、庭園見学が始まる。
南庭・北庭コースの分岐点には、『お手植松』というひときわ大きな松が植えられている。
秩父宮殿下、高松宮殿下、皇太子時代のエドワード8世、良子女王殿下、北白川大妃殿下が来園した時に記念植樹した松が、100年以上経って成長したものだ。
北門近くの芝生広場には、松平頼寿像がある。Wikipediaによれば高松藩主松平頼聰の八男で、盆栽の熱烈な愛好家とされる。 それで庭園に銅像があるのかな…
北庭を回っている間に晴れてきたので、南庭コースに戻る。お手上松の前を通り過ぎると、鶴亀松がある。
110個の石を亀の形に組み上げ、その上に鶴が舞うような松が生えているところから、鶴亀松とされる。 栗林公園内でもっとも美しい松とされているそうだ。
まるで盆栽…
皐月亭、日暮亭の前を通りすぎて、南庭の西端にある西湖沿いに出る。紫雲山の山肌を削って西湖を造った時に露出したと思われる、赤い色した岩の壁。その名も『赤壁』。 三国志のマニアが名付けたのでしょうか。
本家本元の赤壁は、長江中流の武漢市の近くにあって、孫権・劉備と曹操が戦った『赤壁の戦い』が行われた場所。孫権に仕えた将軍 黄蓋が提言した作戦『連環の計』を用いて、曹操軍を一挙に焼き討ちしたという戦いだ。で、栗林公園では、その赤壁が面しているのが長江でなく風光明媚とされる杭州にある西湖をマネた池…。 この庭園を造営した人は、多分中国の地理に詳しくないか、位置関係を無視してしまったのか。
1945年に復元された茶室 旧日暮亭の前を通り過ぎ、南庭の一番南端にある小普陀まで来る。
中国の普陀山にちなんで名付けられた丘には、室町時代の石組み手法を取り入れた石庭となっている。手前の九曲橋ならぬ津筏梁(しんばつりょう)も、中国風だ。 ここに中国庭園風の東屋や、石で造った築山などがあれば中国庭園になるかもしれない…。
この辺りは、ツツジがたくさん植えられていて、そろそろ咲き始めの季節のようだ。
南湖の南岸を回りこんで、飛来峰に登る。 ここからの眺めは、栗林公園のパンフレットやポスターに使われるほど有名で、定番の撮影ポイントだ。
池の中央に架かるのは偃月橋。池の左奥の建物が掬月亭、右奥の建物が小松亭。池の中央にある小さな岩の島は仙磯と呼ばれ仙人が棲む島ということらしい。
飛来峰を降りて、小松亭の横を通り過ぎると渚山と呼ばれる小さな丘があり、”南湖の見どころを一望できる景勝地”だそうだ。 そこから眺めた掬月亭はこんな感じだ
掬月亭のすぐ手前には『根上がり五葉松』と呼ばれる、徳川11代将軍家斉から拝領した盆栽の松が成長した松の大木がある。
こんどは、北湖を眺める撮影ポイントの芙蓉峰に登る。
池の右奥の赤い橋は、梅林橋。
芙蓉峰を降りて、南庭回遊コースは庭園正門(東門)のところまで帰ってくる。東門と商工奨励館の間の芝生には、桜の標本木があるが、このソメイヨシノは既に散ってしまって単なる緑の木になっている。その横に、今が満開の里桜が数本植えられている。
これで、ひととおり庭園の見学は終了。
ことでん琴平行き電車は、毎時8分と38分に栗林公園駅を出発する。 今はちょうど7時50分なので、8時8分発の電車に間に合うはず…。
少し早歩きで駅に向かい、琴平行き電車に乗車。
■ ことでん 栗林公園駅 08:08発 → 琴電琴平駅 09:02着 (運賃 高松築港より620円)