六甲山系の摩耶山(標高702m)に登ってきた。一昨日の土曜日(12月3日)には、「摩耶登山マラソン」というトレラン大会があったようなので、登山道は整備され綺麗な状態だった。
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阪神 西灘駅 〜 上野道登山口
阪神 野田駅 11:36 →(普通)→ 11:42 尼崎 11:44 →(快急)→ 11:56 芦屋 11:59 →(特急)→ 12:05 御影 12:06 → 12:12 西灘駅 (運賃300円)
尼崎駅で、ちょうど快速急行が停車していたので乗り換えたが、その1本後の直通特急が正解だったようだ。乗換は多くなったが、西灘駅への到着はどちらの電車に乗っても同じ。
快速急行が御影駅に停まらないのが、乗換が多くなった原因だ…。 なんで、御影とまらないのかなぁ。
芦屋駅を出発する快速急行(近鉄5800系 大阪電気軌道 復刻デザイン)
駅を出て北へ。 JR山陽本線の盛り土軌道の下を通り抜ける歩行者専用トンネルを通り、まっすぐ北を目指す。
阪急神戸線の手前には、水道筋商店街。平日昼間なのに、それなりに賑わっている。阪急の線路を越えると、西郷川の支流沿いの道になる。支流と言っても、どうみても道路の横に流れる側溝が少し広くなったような程度なのだが…
西灘駅からおよそ20分で、まっすぐ北に向かってきた道路が六甲山地に突き当たり行き止まりになる。東へ(右へ)少し行くと、摩耶ケーブル駅があるが、その手前に『五鬼城山展望台・上野道』の標識がある。西灘駅や王子公園駅など、麓から登ってきたら絶対に見落としそうなわかりにくさ。
『上野道』は右側の道を直進のように見える。 実際は、「五鬼城山展望台」と「上野道」はどちらも右側の道へ往くのが正解。わかりにくいというより、標識の書き方が間違っているとしか言いようがない。
GPSログ
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上野道登山口 〜 虹の駅
登山口には、『摂州八十八ヶ所 第四六番 摩耶山天上寺』の石柱が建っている。
Wikipediaの『摂津国八十八箇所』によれば、天上寺は第80番札所なので、順番が入れ替わったのだろうか…
ここから、神戸市の五鬼城展望公園。市のホームページでは、『 灘百選 100の魅力資源』に選ばれた広さ約6.3haの風致公園らしいが、整備されているようには感じないほどの、落ち葉で埋まり土が崩れそうな階段 (笑
登山口付近から、いきなり階段の連続。かつては天上寺の参詣路でもあったため、モミジも植えられている。 10分弱で50mほど高度を稼ぐと、阪神平野を一望できる展望台がある。
展望台を過ぎると、普通の山道となる。おそらく、公園はこの辺りまでなのだろう。送電線をくぐり抜けた付近で、色付いた山肌が見渡せる場所に出る。
だんだん山道風になり、岩の割れ目を切り通したような階段も現れます。
やはり、お寺の参詣道としてモミジが植えられているので、紅葉が綺麗だ。
虹の駅 〜 史跡公園(天上寺跡)
登山口から歩くこと約35分、標高440m付近にケーブルカーとロープウェイの乗り継ぎ駅がある。 登山道は、駅前を通らずショートカットするのが正規ルートのようだが、駅前を通ると天上寺の石段の入口から登り始めることが出来る。
登り始めは、かなり荒れた石段だが、仁王門からは完全に整備された石段になる。
説明板に拠れば、天上寺は7世紀に創建され、「比叡山・高野山・摩耶山」と並び称されるくらいの大寺院だったそうだ。 最盛期には、伽藍が300棟、3000名の僧が修行していたそうな。 Wikipediaによれば、昭和51年に賽銭泥棒の放火により全焼してしまったそうだ。
史跡公園(天上寺跡) 〜 掬星台
天上寺境内を抜けると、掬星台に向かう道は左右に別れる。摩耶山山頂を通る左側の道(尾根道)を選ぶ。
少し歩いた所に、鎌倉時代末期の武将 赤松則村の石碑がある。足利尊氏配下として、播磨赤松の白旗城と同時に築城された山城の一つが、摩耶山中にあったことからこの石碑が建てられたらしい。説明板に拠れば、付近には、当時の堀切や竪堀の跡が残っているそうだ。
天上寺跡地から15分ほど、天狗岩を祀る社がある。
この写真の右奥に、摩耶山山頂の三等三角点が見える。
ここから坂道を少し下ると、テレビ放送の中継局アンテナ(摩耶山送信所)が林立している。NHKとサンテレビは、建物に大きく名前を書いて主張しているが、その他のテレビ局は名前を表に出していない。
登山口から、1時間30分。掬星台(展望台)に到着。 ロープウェイの「星の駅」、阪急六甲からのバス路線のバス停がある。水道が出るトイレや、地上と同じ価格の自販機など、どこにでもある普通の公園と同じ雰囲気だ。
下山の記事は、『六甲山系 摩耶山トレッキング 復路の青谷道』に続く