久々の晴れ間、紅葉の最盛期を少し過ぎた京都を訪れた
朝の渡月橋
1934年に架けられた「鉄筋コンクリート」橋。見かけは木造橋。京都の観光写真の撮影ポイントとして有名で、嵐山が太陽光を受ける早朝から朝にかけてが最も綺麗に見えるという。
もう少し下流に撮影ポイントのモミジの木があるが、既に完全に散ってしまっていた。
渡月橋上流のモミジ
渡月橋上流のモミジは、撮影ポイントとして一部の人には知られていただけだったが、最近は中国人がSNSなどで情報拡散したため、中国人だらけのひどい場所に変貌していた。
ちなみに、週刊朝日が『京都在住の写真家が厳選! 京都・奈良の紅葉スポット11選』で“舟を写した写真は渡月橋西側(琴きき茶屋側)を上流に向かって歩き、公園入り口の階段よりさらに奥”などと広く紹介されてしまい、すでにプロカメラマンが来ても観光客だらけで撮影にならない状態…
よそに国に来てまで、結婚写真を撮影するのはどうかと思うけど。 それも大量に…
常寂光寺
16世紀に創建された日蓮宗の寺。大堰川(桂川)の河川改修を私財を投じて行うほどの豪商角倉了以などが寄進した小倉山山麓の土地に建てられている。 嵐山付近の寺の中では新しく、江戸時代になってから出来た寺。
モミジは、紅葉の盛りを過ぎて茶色く枯れ始めているものが多かった。境内は、中華系観光客で行列状態。もはや、風情も何もあったものではない。
左側のモミジは、完全に落葉状態。右側ものも、赤ではなくほとんど茶色
清涼寺 (嵯峨釈迦堂)
東大寺の僧 奝然(ちょうねん)が、中国・宋に渡り五台山を巡礼した後帰国し、987年に創建した寺。五台山といえば、三国志で劉備玄徳の出自の涿県付近のようで、三国志演義で頻繁に登場する地名として知っている人も多いかもしれない。
流石に清涼寺は外国人用に観光地化されていなかったが、それでも団体ツアーの日本人客がぞろぞろと通過したりしていた。ツアー会社も、中華系観光客の居ない静かな場所に客を案内しようと必死なのか…。
八角形の建物は、このすぐ奥にあります
落柿舎
松尾芭蕉の弟子、向井去来の別荘跡だが、実際は江戸時代になり別の土地に改築された建物。 松尾芭蕉が「嵯峨日記」を著した場所として有名らしい。
保津峡
亀山公園の展望台から、保津峡を眺める