今年のNHK大河ドラマで主人公の、真田信繁(幸村)ゆかりの地のうち大阪市内にあるものを回ってみた。
真田丸跡
諸国古城之図 真田丸(摂津)に現代の地名を書き加えたら、おそらく次のようなものになる。
大坂城の南に造られた出城だった真田丸は、大坂冬の陣後に取り壊され跡形もなくなっている。当時を偲ばせるものは、絵図上に描かれている3つの寺が並んでいることのみ。
NHK大河ドラマ『真田丸』が放映後、明成中学校グランド横に急遽造られた顕彰碑。
この碑によれば、“「真田丸」の場所については、元禄年間(1688年〜1704年)に作成された大坂三郷町絵図に「真田丸跡」として明示されており、それによると現在の大阪明星学園の敷地が「真田丸」の跡地であることが明らかである。今はグラウンドになっているため、かつての面影は全く失われているが、真田幸村はこの場所で徳川方相手に大勝利を得たのである。 平成28年1月 天王寺区役所”
興徳寺
絵図に描かれている南北に3つ並んだ寺のうち、真ん中のものが興徳寺。8世紀に行基によって開創されたといわれる。
心眼寺
1622年、真田昌幸・真田信繁の父子の冥福を祈るために造られた堂宇を起源とする寺。大阪大空襲で焼けたため、当時から残るものは無いとされる。
京都見廻組 組士の墓
近江屋事件で坂本龍馬暗殺に関与した桂早之助・渡辺吉太郎の墓所が、ここ心眼寺にある。
平成25年に寺が立てた看板には、“慶応3年11月15日、京都河原町の近江屋で坂本龍馬や中岡慎太郎らが殺害された。箱館戦争終結後、新政府に捉えられた元見廻組肝煎 今井信郎の供述によると、見廻組与頭 佐々木只三郎を指揮者とする数名が、坂本龍馬らを襲撃した。その人員の中に、桂早之助と渡辺吉太郎、高橋安二郎の名がある。” とある。
間直し(まんなおし)とは、「運」「巡り合わせ」の悪さを良くするという意味らしい。
真田山陸軍墓地
明治期の西南戦争から、昭和初期の満州事変頃までの戦死者を祀る墓地。 第二次大戦後に米国が作った憲法の精神により、国のために戦った軍人を国家が祀ることを禁止したため、いまは民間団体が管理しているそうだ。
何処の国でも、戦死した軍人は国が手厚く葬るのだが、日本人は薄情なのか常識知らずなのか…。
墓石は欠け、崩れ落ち、雑草に埋もれています。
三光神社
大坂城から続くトンネルの出口とされる「真田の抜け穴」。 現在では、この穴は真田丸を攻めた前田軍の塹壕の痕跡の可能性が高いとされている。(Wikipediaによる)
安居神社 : 真田信繁戦死跡
大坂夏の陣の天王寺口の戦いで、真田信繁(幸村)が戦死した場所とされる。
その他
連休なので、大量の家族連れが公園に来ている。 こんなたくさん、近隣に住民が住んでいたのかな…
まさしく、老化するニッポンを象徴する光景…。 しかし、この世代の老人は団体行動が好きですね。 団体で散歩して、弁当食べて、何が楽しいのだろうか。
上町台地(断層)の断崖を横切っているため、商店街は坂道となっている。 直下型地震が起これば、ひとたまりもないな…