ゴールデンウィーク最終日、黄砂による大気汚染で空が少し白っぽいが、石山寺などに出かける。
大阪から石山寺へ
■ JR大阪 06:39発 → JR膳所 07:27着 (昼特370円+普通運賃240円)
大阪駅前第2ビルの地下で購入した「大阪 ー 京都」の昼間特割切符。1枚370円だった。この昼特切符と、「京都 ー 大津」間の普通運賃相当を払ってJR膳所駅で下車。 乗り越し精算機は現金精算する。
昼特回数券のバラ売りを買うのと、正直に普通乗車券を買うのでは300円以上も差がある。知らないと大損… ということだろうか。
きっぷの種類 | 運賃 |
---|---|
昼特(大阪−京都) + 普通券 | 610円 |
普通券 | 970円 |
この膳所駅からほど近いところに「義仲寺」という寺院がある。 平安時代末期の武将源義仲(木曽義仲)の墓所だそうだ。1184年に源義仲と源頼朝の間で争われた「粟津の戦い」で、義仲はこの近くで敗死したという。
再び膳所駅まで戻り、こんどは京阪電車に乗り石山寺へ。
■ 京阪膳所 07:51発 → 石山寺 08:04着 (170円)
電車は通学の学生で満員。ゴールデンウィークにクラブの朝練だろうか。
石山寺
著名な古典文学で取り上げられることの多い石山寺。清少納言は著作「枕草子」で “寺は壺坂。笠置。法輪。霊山は、釈迦仏の御すみかなるが、あはれなるなり。石山。粉河。志賀。”と記している。 この中ですでに行ったことあるのは、嵐山にある法輪寺くらいかなぁ…。
菅原孝標女は著作「更級日記」で、石山詣をしたことを“のちの世までのことをも思はむ、と思ひはげみて、霜月の二十余日、石山に参る。雪うち降りつつ、道のほどさへをかしきに、逢坂の関を見るにも、昔こえしも冬ぞかし、と思ひいでらるる”と書き綴っている。 逢坂(京都と滋賀の間の峠)は、JRの快速電車は数分で通過してきたが、旧街道の峠越えをする京阪京津線に乗れば少しはかつての景色を体験できるのかもしれない。
京阪石山寺駅で電車を降り、瀬田川(淀川の別称)沿いに1kmほど歩くと、石山寺の東大門が見えてくる。
この門は1190年に源頼朝の寄進により建てられたとされ、江戸時代の16世紀末に大規模改修を受けている。門の左側には立て札があり、『本尊 観世音 御開扉 、 御恒例33年目』とある。 この本尊観世音菩薩像を観るには、特別拝観料が別途500円掛かる。
伝 運慶・湛慶作
5月15日に行われる「青鬼祭」のシンボルで、昨日ここに設置された「臨時の像」
東大門からまっすぐ延びる参道は、新緑のモミジに囲まれている。 秋の紅葉の時期にはさぞ綺麗なのだろう。参道の突き当り、本堂に上る階段の下に切符売り場がある。入場料は600円だが、これに本尊の特別拝観料金と、紫式部関連の古文書展示室入場を加えて、総額1200円。結構高いな…
階段を登ると本堂前の広場に出る。直進すれば珪灰石が地面から顔を出している所へ。左に行くと本堂だ。まずは本尊が公開されている本堂へ。
本堂の隅には、紫式部が源氏物語の着想を得たという書院の姿が人形ジオラマで再現されている。
本堂入り口の小部屋に、紫式部の人形が置かれている。 顔があまりにも単純化されすぎて、ちょっとお笑いっぽい顔つきになっている。
建物が岩山の上に建てられているので、傾斜地の敷地に柱を立てて人工地盤を作る必要がある。このような建築方式を懸造というそうだ。 ちなみに、本尊の観世音菩薩像がある位置は建物の中まで岩盤が飛び出してきていて、その岩の上に直接仏像が置かれている。
再び、階段を登り切ったところにある広場に戻り、こんどは多宝塔に向かう。 目の前には、天然記念物に指定された巨大な珪灰石の岩肌(山肌)が見えている。その岩山の遥か上に、多宝塔
石灰石(カルシウム)と火成岩(ケイ素)の化合物、化学式はCaSiO3で、石山寺で見られるほど巨大に成長したものは珍しいらしい。だから天然記念物…。
源頼朝の寄進で1194年に建立されたもので、多宝塔としては日本最古だそうだ。
多宝塔前を通り、山の一番高い部分に建てられた展示館 豊浄殿で開催されている紫式部展を見学してから、庭園 無憂園方向へ向かう。途中、紫式部の銅像がある。
山を降りて行くと、庭園となる。庭園の端に竜王を祀った祠がある。
木々が途切れて、少し広くなったところが無憂園。せせらぎ沿いにたくさんのアヤメが咲いている(満開)。
瀬田川、瀬田の唐橋
石山寺を出て、瀬田の唐橋を見に行く。 瀬田川沿いを琵琶湖の方に向かって歩く。 今朝電車を降りた石山寺駅の横を通過し、しばらく行くと名神高速道路と東海道新幹線の橋がある。その横には、京都大学や龍谷大学の漕艇部の港がある。
時折、4人の選手が乗るボートが猛スピードで水面を滑っていく。
宇治橋、山崎橋とならんで日本三古橋の一つで、東海道が通る唯一の陸路。(この橋のほかは、全て渡し船)
琵琶湖疏水
■ 唐橋前 10:29発 → 三井寺 10:47着 (240円)
瀬田の唐橋の近くにある、京阪唐橋前駅から電車に乗り、三井寺へ。殆どの乗客は、膳所駅か石山駅でJRに乗り継ぐので、通して三井寺方面まで乗っているのは私のような観光客くらい。(大抵の客は、目的地が京都なので、膳所か石山でJR東海道線に乗り換える)
浜大津駅から10人位の中国人団体が乗り込んでくる。京都でホテルが確保できず、滋賀県までキャリーバックを転がして電車を乗り継いできているようだ。もう、中華系の客を受け入れるキャパシティーを超えているのだから、ビザの発給数を絞らないと、旅行客の不満は溜まる一方になると思う。
三井寺駅を降りると、目の前に琵琶湖疏水の掘割がある。
1890年に疎水が完成後、第二次世界大戦前後までの数十年間は貨物や旅客を運ぶ船が運行されていたそうだ。そのための水位調整装置が、この大津閘門。
三井寺
三井寺駅から5分ほど歩くと、三井寺の仁王門前に出る。三井寺は正式には園城寺(おんじょうじ)というが、通称の「三井寺」のほうで通っている。 この寺は、豊臣秀吉により一旦は闕所(寺領の没収、事実上の廃寺)されており、現在見られる建物は秀吉が寺の再興を許可した後に建てられたり、どこかから移設されたものばかりだ。
1452年に建てられた常楽寺の門を、1601年に徳川家康の寄進によりこの地に移設したもの。
16世紀末に造られた御所の清涼殿を、ここに移設したものだそうだ。
1599年に、豊臣秀吉の正室 ねね(北政所)により再建された、三井寺の本堂。 今は公開されていないが、本尊の弥勒菩薩像は天智天皇が信仰していたものらしい。
金堂の正面に建っている灯籠は、蘇我氏を打ち負かすために天智天皇が自らの左薬指を切り落とし、灯籠台座下に収めたという逸話が残る灯籠だ。
1602年に鋳造されたもので、平等院鐘、神護寺鐘と共に日本三名鐘と言われている。
毛利輝元の寄進により、1602年に、山口市の国清寺の経蔵を移築したもの。 お今日を収める書庫部分が回転する輪蔵
1601年、徳川家康が伏見城より移築させたもの。
1689年に再建された建物で、西国三十三所観音霊場の第14番札所。観音堂のすぐ脇には、高台があり大津市内が見渡せる。高台には、「珠算発祥の地」なる巨大な石碑があった。
観音堂からまっすぐ山を下ると、チケット売り場があり、仁王門まで戻らなくても大津市街地に出ることができた。この出口のすぐ脇には、長等神社(ながらじんじゃ)がある。立派な楼門は、まるでここが三井寺の一部であるかのようにも見える。 (実際、明治政府による神仏分離令が出る前までは、この神社は三井寺の一部だったそうだ)
大津市街地 長等商店街
大津駅に向かう途中には、長等商店街などの商店街が延々と続いている。 今日は日曜日で、かつゴールデンウィークの一部なので、ほとんどのお店は休業。
休日に客が誰もいない、シャッター通り商店街。 JR京都駅やJR大阪駅などの繁華街が大混雑しているのとは裏腹に、滋賀県の県庁所在地の大津駅前は人影も無く寂しいものだ。
4両編成の路面電車
京都 西本願寺
大津駅周辺で昼食を食べようと思ったが、ゴーストタウン状態で全く店が開いていない。唯一開いていたのが、駅横のセブンイレブンのみ。 一旦京都駅まで戻ることにする。どうせ、京都−大阪間の昼特回数券を使うので、京都で下車してもなんの損もない。
■ JR大津 12:28発 → JR京都 12:37着 (200円)
駅を出て、とりあえず西本願寺の方へ向かいつつ、途中にあった「なか卯」で昼食。
西本願寺は巨大なお寺だが、入場料を取らない。 観光客向けというより、先祖供養などの礼拝に訪れる信者向けの施設。 わたしも、祖父母が永代供養されている身のため、信者とも言えなくはない…。
御影堂に上がりお参りする。 仏壇に近い側は、納骨や法要に訪れた信者の祈祷スペースで、私のようなお賽銭程度でお参りする人は半分より後ろでお祈りすることになる。 ちなみに、お賽銭を数百円入れるか、境内にある本屋さんで数百円で「ありがたいお言葉が掲載された書籍」を買うというのも選択肢としてはある。 京阪電車に乗りたければ、京阪五条近くの大谷祖廟まで無料シャトルバスが、たしか出ていたはずだ…。さすが、浄土真宗総本山はいたれりつくせりだ…
1636年に再建された巨大な建物。本堂である阿弥陀堂より少しだけ大きい。
御影堂と阿弥陀堂の間は渡り廊下で繋がっている。1760年に再建された、いわゆる本堂。
この門は寺の中からではなく、一旦龍谷大学まで回り込んで外から撮影しないといけない。