16 March 2016

和歌山城、紀三井寺

南海電鉄の『和歌山おでかけきっぷ』を使って、和歌山城と紀三井寺を訪問した。南海電車の往復きっぷに、和歌山市内を走る和歌山バスの一日乗車券をセットにした企画券で2,060円。バスを2回ほど利用すれば元が取れる。

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南海電鉄 急行07:54 難波 → 09:04 和歌山市920円
和歌山バス 211系統11:26 県庁前 → 11:43 紀三井寺390円
和歌山バス 211系統12:32 紀三井寺 → 12:54 南海和歌山市駅390円
南海電鉄 特急13:29 和歌山市 → 14:29 難波920円
合計金額2,620円

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南海電鉄の急行列車 (和歌山市駅)

勝海舟寓居地の碑

和歌山市駅から和歌山城へ向かう途中、道路脇に「勝海舟寓居地碑」がある。

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“文久3年軍艦奉行勝安房守紀州藩海岸防衛工事
監督のため幕府より和歌山に派遣せられし時此処に寓
居す時に門下坂本龍馬も亦来りて事に従ふ”

後に「由良要塞」と呼ばれるようになる大阪湾防護のための紀淡海峡を護る砲台群のうち、加太砲台の建設工事の検分に勝海舟が和歌山を訪問した時の寓居地の記念碑。

さらに和歌山城の方へ向かって歩いて行くと、かつての外堀がある。現在は市堀川(しほりがわ)という名前で呼ばれているようで、殺風景な雑居ビルに囲まれた都市河川。

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かつての和歌山城の外堀の『市堀川』を城北橋から見た

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和歌山城内に展示されていた『和歌山城下町絵図(1855年)』に、現在の地名を書き加えてみた

GoogleMapなどと比べれば、案外、現在の街区と変わっていないのがわかる。

和歌山城 西の丸・二の丸

大きな観光バス駐車場のあるところから、和歌山城公園の敷地に入る。目の前には西之丸庭園があり、入場料は無料。かつては見学料を取っていたと思われる、料金所の小屋があるが、今はパンフレットが置いてあるだけで無人。

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西之丸庭園の鳶魚閣と御橋廊下

Wikipediaによれば、紀州藩初代藩主徳川頼宣が和歌山城北西隅の西之丸に隠居所の御殿と共に築いた池泉回遊式庭園とのことで、紅葉が綺麗なので紅葉渓庭園とも呼ばれているそうな。

内堀を隔てた向こう側に二の丸の外塀が見える。西の丸と二の丸の間を結ぶ木造橋は、『御橋廊下』と呼ばれていて、屋根付きの珍しい形をしている。

パンフレットによれば、“藩主の趣味の場である西の丸と、生活の場である二の丸大奥とを繋ぐ廊下橋。藩主と一部のお付の者だけが通行できた。風雨を避け、外から姿が見えないように屋根と壁を設けている。”という位置付けの木造橋。

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御橋廊下 内部

2006年に復元された御橋廊下を渡り、二の丸へ。

二の丸は疎らに樹が植えられている広場で、その北東端の大手門付近には天然記念物に指定されている楠(すくのき)がある。樹齢450年と言われている。

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樟守神社と一の橋の大楠

大楠よすぐ脇が、城の正門にあたる大手門。パンフレットには、“大手門とは城の内郭に入る正面の門。浅野期の途中から大手として機能した。当初は市之橋御門と呼ばれていたが、1796年に大手門及び一の橋に改称される”と書かれている。

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大手門と内堀に架かる一の橋

大手門の向こう側に見えているのが、天然記念物の大楠。現在見られる大手門は“1909年5月に倒壊するも、1982年3月に再建。翌年3月には一の橋が架け替えられた”そうである。

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本丸御殿の石垣下にある伏虎像

傍らの立て札には、“江戸時代、和歌山城は別名「伏虎山(とらふすやま)竹垣城」と呼ばれている。これは、和歌山城の立つ山が、海上から見ると猛虎が伏している姿に似ているからである。”と書かれている。さらに、“この像は、… 昭和34年に建てられ、二代目にあたる。初代は郷土出身の女流作家有吉佐和子著『紀ノ川』にも登場するが、銅像であったため、戦時下の昭和17年に供出されている。”ということで、由緒ある虎のようだ。

和歌山城 天守

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二の丸から九十九折の急坂を登って行くと、目の前に天守閣が現れる

パンフレットによれば、浅野家が虎伏山の西の峰に、黒板張りだがほぼ現在と同様の天守閣を築造。1798年十代藩主徳川治宝により白壁の白亜の天守となるが、1846年の落雷で焼失。御三家ということで特別に認められ1850年にほぼ元のまま再建される。1945年7月9日の和歌山大空襲で焼失。1958年に鉄筋コンクリートで復元された。”とされている。

“伏虎山”の東の頂には本丸御殿がある。本丸御殿は現在は石垣だけが残り、水道局の貯水池に使われている。

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本丸御殿付近から見た和歌山城天守閣

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本丸御殿跡にある水道局城内給水場 (立入禁止)

入場料300円(和歌山おでかけきっぷで100円割引後)払って城内に入る。中国人観光客が、こんなところまでチラホラ来ている。下品に大声で話しているから、すぐに中国人だと判別できる。天守閣に入ると、鉄筋コンクリート造りであることが分かる。内部は、江戸時代の武具や文書類の展示施設。

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二の門(楠門)

二の門を通って天守閣に至る。

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紫糸威二枚胴具足

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葵紋の陣羽織

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長刀、十文字槍など

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短銃

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火縄銃

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徳川吉宗 黒印状

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金蒔絵梨地葵紋糸巻太刀

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歴代の鯱

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葵紋入長持と塗駕籠

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鳥類図巻(狩野派による粉本)

※粉本とは、絵手本のこと

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北東上空から見た和歌山城模型

左下が二の丸、右下が西の丸、左上が本丸御殿、右上が天守閣。

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天守閣から見た景色

左側が二の門櫓、右側が乾櫓

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乾櫓

天守曲輪として、天守閣と廊下で繋がっているため内部を見学することが出来る。

和歌山城 動物園

天守閣を出て一旦外へ出る。和歌山城の南東側の出口には岡口門がある。パンフレットによれば、“築城時は大手門だったが、浅野期の途中から搦手門(裏門)となる。現在の門は1621年、徳川家が建造した二階建ての門である”とされている。

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岡口門

もう一度、和歌山城公園の中に戻り、南の丸跡の和歌山公園動物園へ。1919年に開園してから約100年の歴史がある動物園で、なんと入場無料。市のホームページによれば、33種類の動物が飼育されているそうだ。

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和歌山公園動物園

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リスザル

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マーラ

アルゼンチンのネズミの一種

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インドクジャク

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ヤギ

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フンボルトペンギン

南米のペルーとチリに住んでいるペンギンで、Wikipediaの生息地図では南極圏から赤道直下まで広範囲に生息している。“ペンギンは南極など極寒地に生息するイメージがあるが、フンボルトペンギンは暑さにかなり耐久力があるため(逆に極端な寒さには弱く、冬季寒冷な地方の動物園では、冬に暖房の利いた室内で飼育することもある)、日本で最も飼育数が多いペンギンである。”とのこと。 ペンギンのイメージが崩れる、単なる温帯の普通の鳥…

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ホオジロカンムリヅル

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オオフラミンゴ

岡山の時鐘堂

和歌山城公園の南に隣接した稲荷神社の境内に、岡山の時鐘堂がある。Wikipediaによれば“紀州藩5代藩主徳川吉宗の命により設置された鐘楼”で、“藩政時代にわたって時刻および非常事態を城下に知らせていた施設”であるという。

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時鐘堂を出て、和歌山城の南端に沿って県庁前バス停へ向かう。途中、県庁前交差点には5代将軍徳川吉宗像がある。顔は暴れん坊将軍松平健にしてほしかった…

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徳川吉宗像

西国三十三所 第二番札所 紀三井寺

和歌山城横の県庁前停留所から和歌山バスに乗り、紀三井寺へ。

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和歌山バス

県庁前から約20分で紀三井寺バス停に到着。JRの線路を越えて、数分歩くことで紀三井寺に到着。

Wikipediaによれば、“伝承によれば、770年、唐僧の為光が、 … 千手観音を秘仏として納めたたのが紀三井寺の始まりであるという。… 室町時代には西国三十三所ないし熊野参詣の隆盛により、多くの参詣者が訪れた。”とされている。

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楼門

パンフレットによれば、“室町時代1509年建立。三間一戸・入母屋造・本瓦葺き。建立以来度々の修理を受け、桃山時代の様式を残す”とされている。

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231段の石段

楼門から231段の石段を登ったところが、境内の中心部となっている。

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波切不動

石段の途中にも、末社などが建ち並んでいて、参詣客を飽きさせることがない…

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鐘楼と六角堂

パンフレットによれば、“鐘楼は安土桃山時代1588年建立。入母屋造・本瓦葺き・袴腰(腰板張りの下層)全体に軽快な感じ”の建物だそうだ。また和歌山市観光協会のホームページによれば、“六角堂は、西国三十三箇所を巡礼するのに等しい功徳があると伝えられ”ているそうである。

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多宝塔

パンフレットによれば、“多宝塔は室町時代1449年建立。本瓦葺三間多宝塔。下層は4本柱の方形、上層は12本の柱を立て高欄を巡らせた円形。室町中期様式で五智如来をまつる。”とのこと。

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本堂

Wikipediaによれば、“本堂は江戸時代1759年の建立。観音堂とも称す。入母屋造本瓦葺き、柱間は正面側面とも五間で、千鳥破風を付し、正面には唐破風形・三間の向拝を設ける。秘仏本尊の十一面観音像、千手観音像などは、現在は裏手の大光明殿に移されている。”ということだ。

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本堂

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千手十一面観音

石段を登り切った所にある参道の、本堂と反対側にある巨大な新仏殿に安置されている。Wikipediaによれば、“高さ12メートルの木造千手観音立像(寺では「大千手十一面観世音菩薩像」と呼ぶ)を安置する。京都の工房で制作した寄木造の像を現地で組み上げたものである。寺では、寄木の立像としては日本一のものであるとしている。2008年5月21日に入仏落慶供養が行われた。”とのこと。フラッシュを使わなければ写真撮影可能とのことだ。