2013年5月の『錦雲渓 : 高雄から清滝まで歩く』の続きのコースを嵐山まで歩く。
今回のコースは、京都一周トレイルの西山部分で、阪急電鉄のハイキングコース案内「嵐山」の部分だ。
清滝
阪急嵐山駅を9時51分に出た(定刻より2分前)バスは、途中の京福嵐山で満員に。10時6分に清滝に到着。
清滝トンネルを観光客が約1名歩いていて、バスがギリギリのクリアランスで通り過ぎていた。 愛宕山鉄道の廃線トンネルを流用しているので、歩行者無理なのでは…
橋の袂にあるのは、旅館「ますや」。江戸時代から300余年続く旅館だそうで、与謝野晶子や松尾芭蕉も投宿したと言われている老舗。 どう見ても廃屋なので、廃業したのかな…
ほととぎす
嵯峨へは一里
京へ三里
水の清滝
夜の 明けやすき
清滝は、愛宕山参詣や避暑地としてかつては賑わっていたらしい。昭和初期には嵐電嵐山駅から愛宕山鉄道が開通していたほか、遊園地やスキー場もあったとか。
この橋を渡ると、清滝川沿いに東海自然歩道を下ってゆきます
清滝から落合までの『金鈴峡』
ひたすら、清滝川右岸の岩場に作られた道を歩きます
愛宕山から流れ下る渓流が作った明神谷。橋の上からは小さな滝が見えます
ここで、水尾方面に抜ける米街道が分岐します。道標には、「清滝 1.4km 落合 0.2km 嵐山 4.8km」と書かれています。日本人と欧米人のカップルが、キャンプしていました。
潜没橋を渡ると坂道になり、落合橋の袂に出ます。
落合
橋の袂に、朽ち果てた料理茶屋跡があり、そこから保津峡が望めます。
ちょうど、保津川下りの遊覧船が見えます。
落合から鳥居本 (六丁峠越え)
落合からは、舗装されたつずらおりの道路を六丁峠まで一気に登ります。
峠越えの道からは、保津峡が見渡せます。1929年に開業した旧保津峡駅は、現在は観光列車が停まる「トロッコ保津峡駅」となっています。
清滝川から、約100m登ってきました。 サイクリスト(自転車乗り)のトレーニングコースでもあるようです。
下り道は、ほぼ一直線に鳥居本まで下ってゆきます。
嵯峨天皇 嵯峨山上陵 参道
参道は登れないようにバリケードが置かれており、『当監区管理地の嵯峨天皇皇后陵参道において 土砂崩れがおき崩落の危険がある為、周辺の立ち入りを復旧工事終了までの間通行止めとさせていただきます。 宮内庁 桃山陵墓監区事務所』 という貼り紙がされている。参拝はできないようだ。
鳥居本
愛宕神社 一の鳥居と、落合・清滝への道の分岐
鮎料理屋の客の車が、鳥居の真下に駐車している。 私有地だから、仕方ないのだろう。 愛宕神社は、ここから4km北西(高低差800m)の山頂にあるので、鳥居を抜けても相当キツイ登山が待っている。
江戸時代の民家を流用した鮎司 平野屋
このあたりは、嵯峨鳥居本伝統的建築物群に指定されている。藁葺屋根の家が並んでいる。平野屋や近隣の料亭では、愛宕名物(清滝名物)の「しんこ」菓子の喫茶メニューもあるらしい。
電線が邪魔…
愛宕山鉄道が通っていた昭和初期の鳥居本地区のジオラマや、精密な平野屋の模型が展示されている。 建物は明治時代の民家で、昭和初期くらいと思われる古い調度品も含めて展示されている。「かまど」を「おくどさん」と表示しているのは、京都で育った人間としては嬉しいですね。
真上を通っている無粋なコンクリート橋は、観光有料道路の嵐山高雄パークウェイ。
悪いくせ
どこでも 吸うくせ
捨てるくせ
迷惑極まりない喫煙者が、このあたりにも出没するのだろう。 京都全域を禁煙地区に指定してほしいものだ。
資料
清滝を詳しく知ることができる論文「愛宕山麓の小集落・清滝 ふるさと再生へ可能性を求めて(京都大学)」がとても参考になる。
この論文によれば
『 江戸時代前期に愛宕山参詣を行う大名などに供奉する人々が住居を構えたのが、清滝の集落の起源だそうだ。大勢の参詣者が訪れる「宿場まち」として、最盛期の昭和前期には鉄道も敷かれ、遊園地もあったそうだ。それが、観光地のトレンドから外れて客も少なくなり、今はハイキングの人たちが通過する場所になってしまったそうだ。人口も昭和25年の161人から、平成22年は22世帯50人まで減少し、高齢者率は90%、子供はゼロという限界集落になってしまったそうだ。 』
北アルプスなど、著名な山の登山道入口も登山者やハイカーがたくさん来るが、山小屋程度しか存在できないため、ここも同じく限界集落化(無居住化)も仕方ないかもしれませんね…。