大堰川と渡月橋
渡月橋より上流を大堰川、下流を桂川と呼ぶらしい。ただし、国土交通省は区別せず「桂川」と表現している。
5世紀に渡来人の秦氏(現在でも太秦という地名になっている)が建造したと言われるもので、現在あるものは戦後すぐに改築されたもの。昨年秋、大雨で大堰川が氾濫したことは記憶に新しいが、この辺りの治水は難しいのだろう…
写真一番手前の堰の脇には、小水力発電機(嵐山保勝会水力発電所)が取り付けられていて、観光用ライトアップの電源となっているようだ。
大河内山荘
昭和初期の俳優 大河内傳次郎が建てた山荘を一般公開している。入場料1000円で、抹茶とお菓子の喫茶が付いている。 先週は、桜が満開で大量の観光客であふれていたのだろうが、今日はほとんど誰も居ない閑散とした状態。数組の西欧人の夫婦が散策している程度だった。 (嵐山に退去してやってきている中国人観光客も、ここはガイドブックに載っていないのか、全く入場してくる気配がない。その静けさが良かった…)
数寄屋師笛吹嘉一郎の代表作と言われている山荘の中心的建物。登録有形文化財。
庭園内には、ヤマツツジやアセビがところどころに咲いていた
山荘の主 大河内傳次郎
亀山公園 展望台
有料の大河内山荘の展望台よりも、亀山公園の展望台のほうが眺めが良かった…
渓谷を挟んだ対岸にある千光寺大悲閣
江戸時代の豪商 角倉了以が河川開墾工事に協力した人々の菩提を弔うために、嵯峨から移築してきたものだそうだ。
その角倉了以の立像が亀山公園にある
角倉了以像 (すみのくら りょうい)
大堰川、高瀬川を私財を投じて開削した功績者として、京都では有名。
野宮神社
源氏物語の舞台としても有名な場所で、ガイドブックなどで特集されているのか、沢山の観光客で賑わっている。 かつて、この場所は野の宮といえば情人として男の通ってよい場所でもない(源氏物語より)場所だったのだが、それを憚らず源氏は御息所を野の宮へ訪問することにした(源氏物語より)というような出来事が描かれた場所。
黒木鳥居とは、「樹皮の付いたままの鳥居のことで、鳥居の原始的形式」だと傍らの立看板に書かれていた。
源氏物語では次のように表現されている
野の宮は簡単な小柴垣(こしばがき)を大垣にして連ねた質素な構えである。丸木の鳥居などはさすがに神々(こうごう)しくて、なんとなく神の奉仕者以外の者を恥ずかしく思わせた。 (源氏物語 10 榊)