JRの駅に置いてあった「NHK大河ドラマ 八重の桜」のパンフレットに、京都御苑周辺の史跡案内が掲載されていたので歩きに行ってみた。
御所ということで、JRじゃなくて京阪で…
少し前までは、このタイプの特急電車が多数でしたが、明日3月10日で引退するようです。車内には引退のお知らせポスターも貼られていました。たまたま乗ったのがこの電車だったのが幸運だったのか…
出町柳駅を出て鴨川を渡り、御苑にたどり着く手前に梨木神社(なしのきじんじゃ)がある。幕末の公卿三条実万と明治新政府の首脳三条実美を祀っている神社だそうだ。
神社門の横には井戸があり、京都三名水の一つである”染井の水”を汲みに来ている人がチラホラと出入りしている。源氏物語に登場する光源氏の妻のひとり花散里の邸宅があったのもここではないかという名所旧跡看板も立てられている。
梨木神社の一の鳥居のすぐ横に、京都御苑の清和院門がある。
門を入ってすぐ右側に、藤原道長の邸宅跡と書かれている場所がある。
御所が現在の二条駅付近にあった内裏から現在の場所付近に移ってきたのが、ちょうど道長が生きていた10世紀。
御所南東の門。後白河上皇の妃となった平滋子(建春門院滋子)の院号をから命名したもの、なのだろうか…。
こちらは御所の正面の門である建礼門。もちろん、こちらも高倉天皇の妃である平徳子の院号 建礼門院から取ったのだろう。
去年のNHKの大河ドラマの世界そのままですね。一般人にはストーリーが難しすぎたのか、視聴率が悪かったそうですが…
今年の大河ドラマでは、多分こちらの門。薩摩藩・会津藩など朝廷・幕府側軍と、長州藩がここ蛤御門付近で激突した禁門の変で有名な場所。NHKのドラマでは先週、禁門の変の前年に起こった八月十八日の政変を放映していたが、公武合体派(会津藩はこちら)が尊皇攘夷派(長州側)を追い落としていたが、その時に尊皇攘夷派に肩入れしていた公卿三条実美は、この記事の最初の辺りで紹介した梨木神社に祀られているその人だ。
歴史の話ばかりでもあれなので、次は梅林へ
御苑の梅林はそれほど本数はありませんので、見所というようには宣伝されていません。だから観光客も少なめです。
御苑を西へ抜けると、目の前にゴシック様式の教会。その横に天満宮がある
菅原道真の曽祖父・菅原古人の邸宅 菅原院であった場所。道真の産湯の水を汲んだと言われる菅公御初湯の井が残されている。
天満宮からさらに西へ行くと京都府庁。1904年に建てられたルネサンス様式の、宮殿のように見える建物だ。大阪府が自ら望んで「都」に落ちた場合、日本国内で唯一の「府」となる京都が名実共に国体の頂点に立つときも、もしかしたら来るかもしれない。(「都」は戦時体制のために東京府と東京市を合併させた時に付けた臨時の名前)
山本八重の夫となった新島襄が住んでいた邸宅。いまは立命館大学の施設となっていて、見学は10日前に予約せよとのこと。
外観を見るだけなら予約不要。無料。
女紅場址 (丸太町橋西詰)
新島八重が勤務した京都女紅場があった場所。現在は何も残っていない。当時の門が鴨沂高等学校に移築されている。