29 December 2006

旅行記 12/26~28 チュニジア

チュニスのインターネットカフェは、あまりにも接続速度が遅く、日本語環境をダウンロードして使うには完全に役不足。
そのため、これは日本帰国後に書いてます。


12月26日(火曜日)  快晴

昨晩は未明から急性胃腸炎に苦しまされる。これを書いている時点(29日)もまだ下痢気味…
1時間に1回トイレに駆け込む状態で、夜も寝られず。

7時ちょいすぎ、ホテルのグランド・フロアーの食堂へ。入り口の扉には「Petit Dejeuner 7:00 ~」 と書いてあるのに、誰も居ない、電気すら点いていない。一昨日にチェックインするときに聞いた 「8:00 ~」というのが、閑散期の正しい時間のようだ。

チュニス行き列車の発車時刻は8時35分。駅まで歩いて15分はかかりそうだし、切符売り場に長蛇の列が出来ていたら10分程度は余裕が欲しい。タイムリミットは8時10分頃か…
部屋で無意味に時間を潰し、7時45分隣の部屋の神奈川県の先生氏に挨拶してから出発。
食堂をのぞくと誰か人が居るので、さっさと朝食をくれと頼んでみる。

朝食ゲット。 食べれるだけマシ

8時、ホテルをチェックアウトして外へ。路面がぬれている。昨日から晴れの天気だと思っていたが、実は雨が降っていたのだろう。BBCの天気予報は、もうチュニスしか見ていないので南部の天気までは実はよく分からない。

駅に着くと、案の定切符売り場に数メートルの行列が出来ている。自分の1人前の兄ちゃんは、満席だとか列車が出た後だとか言われて切符を買えない模様。もしかして、さっき出発して行った列車がチュニス行き…。と心配になったが、そんなことは無かった。1等料金 8.45ディナール(845円くらい)。

オンボロ列車は8時25分ごろ、3両編成でやって来た。2等車より1等車のほうが古い車両。その1等車に乗り込むが、2等との違いは単にシートが布張りになって窓にブラインドが付いたくらいだろうか。

8時35分スース発。

列車を牽引しているディーゼル機関車は警笛を鳴らしまくって走っていく。鉄道の線路に勝手に人が入るという、発展途上国ならではの光景だ。GoogleEarthで測ってみたら140km程度の距離を、2時間ほどで完走した。表定(平均)速度70km/h。途中3駅くらいに停まったことを考慮すると、ムチャクチャ速い。

JR東日本:つくばエキスプレス(電車) 秋葉 ~ つくば の表定速度=70km/h
チュニジア国鉄:急行(ディーゼル) スファックス ~ チュニス の表定速度=70km/h

さすが、フランス国鉄の技術を導入して作っただけはある。(というより、あまり人が住んでいないところを直線で作ったってだけなのか?)

10時45分、チュニス着。駅から歩いて10分程度のところにある中央市場の横のホテル(2つ星)にチェックイン。1泊25ディナール。

すぐ近くにあるメディナへ。中央市場をチラッと覗くと、入り口にでっかい ”日産のゴーン社長に似た国王” の写真が飾られている。 どこにでも登場するな、この国王…

メディナへ。ロンプラの地図通り行ったら、観光客向けの路地を進むことになり、延々と土産物屋ばかりが連続する。土産物、買う人が沢山居るんだろうか。 (私は、買ったこと無いから分かりませんけどね)

10分ほど土産物やストリートを歩くと、グラン・モスクに着く。入場料2ディナール払って中に入る。スースのグラン・モスクは中庭まで入れてくれたが、ここはその手前までしか無理。ケチ!
ホテル近くの新市街まで戻り、昼食。ちょっとヨーロッパ風のカフェのようなところに入って、(腹具合が悪いため)スパゲティを注文する。 と、アルミホイルに包まれて(謎)出てきたスパゲティは、完全に”のびている”上に、味付けがムチャクチャ塩辛い。塩辛いだけで、コクが無い。

この国の人は、味覚は無いんだろうか…    鶏肉か羊肉の塩焼きか魚の塩焼きに、マヨネーズか唐辛子ソースをかけている位しか見かけない。

国鉄中央駅前の広場からメトロという名前のトラムに乗って、郊外にある博物館を目指す。
広場の名前は”バルセロナ広場”。 国家の中心部にある広場が、”バルセロナ"。”フランス”通りだとか、”パリ"通りだとか、○月○日通りだとか、いい加減な命名の地名が多いこと。

歴史上の人物や事象、文化・文学から名前をつけることが出来ないくらい文明が無いのか?

それなら、京都のように一条通、二条通とかにしちゃえばいいのに…

で、そのトラムの切符を購入し、プラットホームと思しきところで待つ。トラムはすぐにやってくる。で、乗ってみたところ、ちっとも進まない。道路上を走るため、自動車の交通マナーが悪すぎるため、電車が全く進めないようだ。ほんの数キロメートルのはずなのに、30分くらい掛かって目的地の駅、バルドー駅に到着。

駅を降りて、ロンプラの地図に従って博物館を目指す。駅前に自動車がひっきりなしに通る道があるが、信号すらない。現地人を見習って、車をかわしながら何とか向こう側にたどり着き、博物館へ。

博物館は、歩いてくるような客は想定していないようで、入り口を示す看板も自動車向けのみ。「博物館 →」と書いてあるところには、博物館の閉鎖された門があったりする。

この博物館、チュニジアで最大級の博物館で、最も充実したモザイク(タイル画)を展示していることで有名(だとガイドブックに書いてある)。たしかに、大量のモザイクが展示されている。至る所、モザイクだらけ。この国が、ギリシア、カルタゴ、ローマ帝国、ビザンチンと超有名な文明の主要都市として栄えた割には、展示手法がなんだか投げやり。 展示物を順に見ても、時代の流れが分からん。

禁煙と書いておきながら係員が堂々とタバコを吸っていたり、展示物の説明板のシールが半分剥がれているのを放置プレイしたり…。

発掘されたものでなく、復元(つまりは、最近製造した)イスラム時代の部屋の展示が結構あったり。

カルタゴは完璧に破壊されて、ローマ帝国の遺物しか残っていないのは分かるが、それ以降のイスラム帝国の文明の説明が全く抜けている。それよりも、イスラム文明で発掘されたものや現存する絵画などは無いのかと…

多分、無いんだろうな
伝統”無形”文化財 なんですかね。イスラム文明って

観光バスに乗った団体観光客はひっきりなしに訪れるが、最後まで個人旅行客は見かけなかった。

夕方、チュニス新市街のサンドイッチ・レストランみたいなところで、チキンステーキ定食なるものを注文する。店員が調理途中の皿に向かってセキをしているのを、堂々と客に見せるのはいかがなものだろうかねぇ~。


12月27日(水曜日)  快晴

ホテルは、蚊が多くて眠れず。 真冬も蚊の季節なのか。地中海性気候では、冬の雨季が蚊の季節なのか…

9時前に、歩いて新市街の西外れにあるTGMという郊外電車の駅(マリン駅)へ行く。こっちは路面電車ではなく、ちゃんとしていそうな電車(だと期待したい)。

プラットホームを挟んで右側に回送列車と思しき列車が停まっている。そのうち左側の線路にムチャクチャゆっくりとした速度で入ってくる。乗客が降りて、ホームで待っていた乗客が乗り込む。
しばらくして電車が発車…  逆向きにのろのろと数メートル進み停車。
乗客は一斉に反対側の線路に停まっている列車に殺到する。ドアなんか閉まっていても、無理やりこじ開け下乗り込む。
で、なぜか数十秒後、今度は全員もとの電車のほうに殺到。

もう、アホですか…   駅に先発の表示くらいつけろよ。 フランスの遺産を食い潰してるだけか?

なんとか出発するほうの電車に乗り込み、電車はチュニスの西に広がるラグーンの中央の堤防上を走り出す。5分程度行ったところで、この国にはありえないような高速道路の立体交差の工事現場が現れる。先進国クオリティの”金属製の足場”に守られた橋脚が何本か建っている。

と、しばらく行くと小さい建物に”縦横比率のおかしい日の丸”と”大成建設の旗”が立っている。

日本のODA、こんなところにも無駄遣いしていたのか。

電車はどんどん進み、空港に近くない”エアポート駅”なんていう変な駅にも停まり、目的地の”カルタゴ ハンニバル”駅に到着。

チュニジアにして最大の英雄 ハンニバル。 チュニジア人はそうは思っていないかもしれないが、私は、チュニジアでハンニバル以外の名前を(歴史で)習ったことすらないと思う。

ローマに完全に滅ぼされた(ハンニバルの居た)カルタゴは、その後、地理的な理由からローマ帝国によって再建された。現在残っているのはその遺跡だそうだ。

大浴場跡を見に行く。ローマのカラカラ浴場ほどには大きくは無いが、それでもかなりの大きさだ。1週間ほど前にドイツのトリアーで見た浴場よりは面積が広そうだ。私のすぐ前に入場口を通過したヨーロッパの団体観光客は、高台でひたすらガイドの話を聞いているだけで、遺跡の転がっているところに降りてこない。

ガイドの話なんて要らんから、遺跡の間を歩く回りたくないのだろうか…

次に、ローマ人居住区の跡へ。TGMの線路を横切って丘を登る。遺跡の入り口のちょっと手前にポルトガル領事館。ブーゲンビリアがきれいに咲いている。
こちらの居住区跡は、かなり広い範囲に広がっている。特に大きな構造物があるわけでもなく、単に住居の基礎部分の区画が残っているという感じ。私以外の観光客は誰も居ない。遺跡を管理(?)しているオッサンが何人かスコップとかを持って歩いているが、そのうちの一人が遺跡の影で立ちションベンをしているではないか。

チュニジア人のローマ遺跡に対する敬意とはこれくらいのものなのだろうか。

博物館の展示がなおざりなのがうなずける。

次に円形劇場へ。こちらはローマ円形劇場を完膚なきまでに破壊しつくして、コンクリート式の円形劇場になっている。ほんの一部にレンガ遺構が残っているという程度。
ま、入場料不要だから無理も無いか。

カルタゴ博物館を目指す。チュニジアが世界的に有名な唯一の歴史都市の名前を冠した博物館だけに、期待が持てる。自称ガイドのオッサンに付きまとわれながらも、何とか博物館に到達。ヨーロッパからの団体ツアー客が沢山来ている。
で、博物館と思われる真っ白な宮殿のような建物へ。

中の展示を見て愕然とする。おや、これが2000年以上前に地中海を支配したカルタゴ都市国家を展示する博物館なのかと…
ダメだわ、この国の博物館は…

円形競技場を目指す。鉄道駅とは全く反対方向へ丘を下る。途中、「チュニジアの旅」とフロントガラスに貼ってある観光バスとすれ違う。この間、タトウィーン星に来ていた阪急交通のだろうか。

歩けよ…  カルタゴ都市国家の全貌を知るには、歩いて方向と距離をつかむしかないだうと思うが。

円形競技場(アレネ)も入場料は不要だが、自称ガイドと自称土産物やがしつこかったりする。
だいたい、写真を撮影したいのに、遺跡の真ん中に鎮座して動かない自称ガイドのジジィは何とかしてほしい。

ちゃんと、500円くらいの入場料を取って、フェンスで囲んで管理くらい出来ないのかな。
羊を放牧して、その辺の地形が崩れてきてるぞ > チュニジア政府

ドイツのトリーアで見たヤツよりは結構残っている。北の地方へ行くほど、ローマ帝国が崩壊した後に建築物の石材が盗まれたりする率が”北のほうが高い”って事なのかな。
何年か前に行ったイギリスのチェスターの円形劇場は、地面くらいしか残ってなかったと記憶している。

ピラミッドですら建築資材として引き剥がされ、崩されるくらいだから、多分そうなんだろうな。

古代カルタゴ港のあった所を見に行く。GoogleEarthで直線で測ると1.7km。ま、実際に直線でいけるわけが無く、途中羊市とトフェの聖域というところに寄ったので、2.7kmくらい歩いた。

昔の絵に描かれている円形の港が、今でも現存している。絵ではかなり大きな港の印象を持っていたが、実際はそんなに大きくはない。直径200mくらいの円形の港。今なら小さな漁船くらいしか無理という感じの規模。

昔は、地中海を支配した海軍がここを主要港としていたわけだが、はたしてどれほどのものだったのか。

”カルタゴ ビルサ”駅まで歩いてカルタゴのたびは終了。総歩行距離は約9km(Google Earthで測定)。

昼過ぎにチュニスに戻り昼食を食べ、今度はメディナへ。観光コースではない一般的な地区を回ってみる。スファックスやスースではあまり居なかった(目立たなかった)羊が沢山居る。家の前に干草を積んで、まるでペットのようにして首に紐をつけて羊を飼っている家まである。

そのほかは、特に珍しいものは無かった。


12月28日(木曜日) 快晴

5時50分、ホテルをチェックアウト。昨日言っておいたんだが、フロントには誰も居なかった。鍵をフロントの机の上において、勝手に出て行く。

さて、どこでタクシーを見つけるべきか。大通りまで歩く途中、偶然後ろからタクシーが来る。
空港まで。早朝料金とか取られると思っていたら、メーターどおり3.2ディナール。結構安くついた。

残っていた21.6ディナールをユーロに換金すると、12ユーロ戻ってきた。

今回の旅行:ATMで出金 350 ディナール 、 使用したのは 338ディナール。
日本円にして 338 × 92 = 31000円。
7.5日程度いたわけだから、1日あたり 31000/7.5 = 4100円。 結構安くついた。

8:55発のエールフランス機は、11:30にパリに到着。次に12:45発のアムステルダム行きに乗り換え、アムステルダムには14:10に到着。 そして日本行きの飛行機に15:15に乗った。

パリ行きかアムステルダム行きが遅延してくれれば、アムステルダムで1泊できたのに残念だ…