20 April 2018

高松市 屋島・八栗の旅 : その2 古戦場・八栗

夜行フェリーで高松市へ行き、源平合戦の一つ「屋島の戦い」の舞台周辺を観に行った。

前編 『高松市 屋島・八栗の旅 : その1 屋島』 からの続き

源平合戦 『治承・寿永の乱』 の大まかな流れを復習

Wikipediaの『治承・寿永の乱』・『屋島の戦い』の概略をまず読み込んでから現地を見ないと、何のことやら意味不明の史跡が多い。 事前学習が重要。

Wikipediaの記事を超要約すると こんな感じになる…

“ 平氏政権の確立 ”

保元の乱・平治の乱で大きな働きをした平清盛を筆頭とする平家は、対立を深める後白河法皇と二条天皇の間をうまく渡り歩き、摂関家と姻戚関係を結ぶなど政界での地位を上昇させ、知行国も増やしていった。
平清盛は武士としては初めて太政大臣に任じられ、また日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、日本初の武家政権を打ち立てた。

“ 源氏の挙兵と清盛の死 ”

平清盛は、平氏の権勢に反発した後白河法皇と対立し、治承三年の政変で法皇を幽閉して(清盛の娘)徳子の産んだ安徳天皇を擁し政治の実権を握る。
しかし、平氏の独裁は公家・寺社・武士などから大きな反発を受け、東国で源氏による平氏打倒の兵が挙がる中、1181年3月に平清盛が熱病で没した。

“ 木曽義仲の挙兵と平家都落ち ”

1183年、東国に派遣された平家軍は倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲に敗北する。義仲軍は進軍を続け京に迫ったため、京都の防衛を断念した平宗盛は、安徳天皇や三種の神器を保持しながら都落ちして西国に逃れた。
帝が不在となった京では、源氏を中心とする勢力が後鳥羽天皇を擁立。このことにより同時に二人の天皇が存在するという状態が発生した。

“ 義経の西進、一ノ谷の戦い ”

京の混乱を抑えきれない木曽義仲を廃して権力の頂きに立った源頼朝は、混乱に陥っていた体制を立て直し、福原(現在の神戸)にとどまっている平家軍の追討に源範頼のりより・義経軍を差し向ける。範頼・義経軍は二手に分かれて平氏を急襲し、海上へと敗走させた(一ノ谷の戦い)。この戦いで平氏は多くの有能な武将を失った。

“ 屋島の戦い ”

一ノ谷の戦いで敗れた平氏は讃岐屋島に陣を構えて内裏を置いた。源範頼は本軍を率いて山陽道を西進したが、平氏側の根強い抵抗により停滞。
そこで、源義経は後白河法皇の許可を得て京より出陣。1185年2月18日、渡辺津(大阪)より出港し大阪湾を横断して四国阿波を急襲。 翌日の2月19日には平氏が陣を敷く屋島の対岸(五剣山のある庵治半島あじはんとう)に着陣した。

2月20日、源氏軍が意外に少数と知った平氏軍は、船を(五剣山のある)庵治半島の岸に寄せて激しい矢戦を仕掛た。平氏の猛攻に義経の身も危うくなるが、郎党の佐藤継信が義経の盾となり平氏随一の剛勇平教経のりつねに射られて討ち死にした。佐藤継信の墓は庵治半島の洲崎寺に、また激戦の中で討ち死にした平教経の童の菊王丸の墓は屋島東町檀ノ浦にある。

〜 『平家物語』の「扇の的」 〜
夕刻になり休戦状態となると、平氏軍から美女の乗った小舟が現れ、竿の先の扇の的を射よと挑発。源氏側は下野国の武士那須与一が海に馬を乗り入れると、弓を構え、「南無八幡大菩薩」と神仏の加護を唱え、鏑矢を放った。矢は見事に扇の柄を射抜き、矢は海に落ち、扇は空を舞い上がった。

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〜 『平家物語』の「弓流し」 〜
怒った平氏は再び攻めかかる。激しい合戦の最中に義経が海に落とした弓を敵の攻撃の中で拾い上げて帰り「こんな弱い弓を敵に拾われて、これが源氏の大将の弓かと嘲られては末代までの恥辱だ」と語った。

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2月21日、平氏軍は志度浦から上陸を試みるが、義経は80騎を率いてこれを撃退した。やがて、渡邊津から出航した梶原景時が率いる鎌倉方の大軍が迫り、平氏は彦島へ退いた。屋島の陥落により、平氏は四国における拠点を失い西へ退却する。

“ 壇ノ浦の戦いと平氏滅亡 ”

屋島の戦いの後、瀬戸内海の制海権を失った平氏軍は長門へ撤退する。伊予水軍を始めとする中国・四国の武士が続々と義経軍に加わり、時を同じくして範頼軍が九州を制圧したことで、平氏は完全に包囲される形となった。1185年3月24日、関門海峡の壇ノ浦で最後の戦いが行われた。序盤は平氏が優勢であったが、やがて劣勢となっていく。平氏の武将は海へ身を投じていき、安徳天皇と二位尼も三種の神器とともに入水した。この戦いで平氏は滅亡した。

GPSログ



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赤牛崎と屋島都四国を隔てる相引川

標高20mの位置にある屋島ケーブル登山口駅跡から、ことでん古高松駅めざして、坂道を自転車で快調に下っていく。道が水路(相引川)にぶつかる所が「赤牛崎」と名付けられた場所。

ゴミ捨て場の一角に看板があり、要約すれば “ 屋島は島であったことから容易に渡れない。赤牛が渡れるということを伝え聞いた義経は、ここに浅瀬があることを知り、源氏軍30余騎を渡らせ屋島に上陸。平家軍の陣営に攻め寄せた ” という逸話の場所がここだ。 単なる水路に見える相引川は、いまでも屋島と四国側を隔てる水面で、屋島は「島」であるとのことだ。

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相引川と赤牛崎(左が四国、右が屋島)

屋島側の古戦場史跡

屋島の東岸に沿って北上する県道150号を辿って行くと、まず現れたのは源義経の「弓流し」伝説の場所。

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源義経の「弓流し」史跡

看板には “ この付近は遠浅の海岸であり、源義経は勝ちに乗じて海中に打って入って戦っていた。 その時、脇下に挟んでいた弓を落としてしまい、平盛嗣に熊手をかけられ危うく落馬しかけたが、義経は太刀で熊手をあしらい左手のムチで弓をかき寄せ引きあげた。 危険を犯してまで弓を拾ったのは、平家に奪われて「源氏の大将ともあろう者がこんな弱い弓を使っているのか」と物笑いになるのを恐れたものだと言われている ” とある。

屋島の東面を左手に見つつ、畑の中の道をさらに北上すると、屋島東小学校の脇に「平教経の童の菊王丸」の墓がある。

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菊王丸の墓(道路にせり出している樹の下)

看板には “ 源氏の勇将佐藤継信は、大将源義経の身代わりとして平教経の強弓に倒れました。 そのとき平教経に仕えていた菊王丸は、佐藤継信に駆け寄り首級を切り落とそうとしましたが、そうはさせまいとする継信の弟佐藤信忠の弓によって倒された ” とある。

小学校の横から、屋島山上に続く遍路道に入る。しばらく行くと安徳天皇社がある。平家と運命をともにした安徳天皇を祀った社だ。

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安徳天皇社

看板には 平宗盛は安徳天皇を奉じて一の谷から屋島に来た。ここは壇ノ浦の入江にのぞみ、後ろに険しい屋島の嶺、東に八栗の山をひかえ、戦には地の利を得た所であった。平宗盛はここに行宮を建て将士の陣営をつくった。 この行宮跡が現在の安徳天皇社のある場所であったといわれる ” とある。

この辺りの地名は『高松市屋島東町壇ノ浦』といって、山口県下関の壇ノ浦と同じ地名だ。

鳥居の左側には『浩宮徳仁親王殿下御成所』という石碑が立っているので、天皇ゆかりの社であることは間違いない。 右側に、『支那事変記念 壇ノ浦養豚組合』という石碑もある。何の記念なのやら…

神社の境内から五剣山(八栗山)が一望できる。その方向からがけ崩れで岩がぶつかるような「ガラガラ」という音が響いてくる。五剣山の北半分の岩肌がむき出しになり、採石場となっているようだ。

安徳天皇社の前を、屋島から八栗寺に向かうお遍路さんが歩いて行く。屋島山上から最短コースで八栗寺に向かうルートがここを通っているようだ。

ことでん屋島駅から屋島の東麓を3kmほどやって来たのだが、屋島側の見どころはここで終わり。もときた道を1kmほど南へ戻り、相引川に掛かる橋を渡って対岸の(五剣山のある)庵治半島に向かう。

庵治半島(五剣山側)の古戦場史跡

スーパーマーケット マルナカの大きな店舗の角を通り過ぎ、五剣山から採石された花崗岩を加工する石材工場が並ぶ道を北上。

那須与一 扇の的』 という大きな看板があるので、迷わず現場に到着。

大きな駐車場があるが、車は一台も停まっていないし、観光客も皆無だ。休日は混雑するのだろうか…。 史跡に向かう通路には、ローマの『真実の口』をパクった『真実の石』というのが置いてあり、賽銭箱のようなものに「おみくじ 百円」と書いてある。 ここに来る歴史好き観光客は、こういうのは求めていないと思うんだけど…

久通浜塩釜神社の脇の水路に、『駒立岩』がある。 看板には “ 那須与一が祈り岩で神明に祈願を終え、海の中のこの岩まで駒を進め足場を定めて、波にゆれ動く船の扇の的を見事に射落としたので駒立岩といわれています ” と書かれている。

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扇の的(左側の水路奥)と駒立岩(右端)

水路には相引川に接続する方向に水門があり、その機械の表面に扇を持つお姫様の絵が掲げられている。 久通浜塩釜神社のすぐ前の水面にコンクリートで表面を固められた岩があり、これが駒立岩らしい。 信じるか信じないかは、見た人の心次第… という怪しさ。 那須与一が弓を引いた駒立岩から、扇の的があったとされる水門まで、GoogleMapで測ると55m。

陸上競技のアーチェリーでは、70mの距離で122cmの標的を使う。標的は10等分で同心円が引いてあるので、最内周は約12cm。那須与一がどれくらいすごいのか分からないが、現代のアーチェリー選手なら、達成できるタスクではなかろうか。 欧米の映画なら、美女の頭にリンゴなどの果物を乗せて、遠くから弓矢や拳銃で撃ちぬくというものがある。 どちらにしても、お姫様や美女を怪我させずにというのが、アーチェリーとは違うドキドキ感のある舞台設定だ。

駒立岩から駐車場に戻る側には『祈り岩』があるのだが、さらに50mほど東に行った信号の横にも『別の祈り岩』がある。どっちが本物なのやら…

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県道36号の信号横にある『祈り岩』

県道36号の、祈り岩の斜め向かいには『景清の錣引き』の看板が立っている。

“ 太刀を折られ逃げる源氏方の美尾屋十郎の兜を、平家方の藤原景清が熊手で引っ掛け、強い腕のチカラで兜の錣(しころ)を引きちぎった。景清の剛勇さと、十郎の首の強さを互いに賞賛したと伝えられる ” という逸話の場所。

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景清の錣引き (地蔵の左側の看板あたり)

県道36号を南へ向かうと、洲崎寺がある。ここは、“ 源義経の身代わりとなり戦死した佐藤継信は本堂の扉に乗せられ、源氏の本陣があった瓜生ヶ丘まで運ばれた。これが縁で継信の菩提寺となった ” と伝えられる場所だ。

現在のお寺は新しい堂宇に建て替わっていて、特に歴史を感じさせる雰囲気ではない。

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洲崎寺

さらに県道36号を南へ… 。八栗ケーブルの大きな看板がある牟礼交差点を過ぎると『射落畠』の巨大な石碑がある。ここは、“ 源氏の武将佐藤継信が大将義経の身代わりとなり、平家の勇将平教経の強弓に射落とされたところ ” だそうだ。 石碑の周囲はフェンスで囲まれていて、「私有地のため立ち入り禁止」とある。

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射落畠

この場所で戦死した佐藤継信の遺骸は、400m北の洲崎寺に運ばれ、再び射落畠を通りすぎて南東に700mほどの所にある源氏の本陣『瓜生が岡』まで運ばれた… 遺体が行ったり来たりというのはあまりにも非効率そう。

『射落畠』のすぐ西側には、源氏の防衛線の一部であった『総門跡』がある。

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源氏の『総門跡』

看板には “ 平氏は安徳天皇を奉じて六万寺を行在所として、屋島壇ノ浦の行宮ができるまで、ここに門を構えて海辺の防衛に備えた。壇ノ浦に行宮をうつした後も、この門を南部の重要なまもりとして源氏を防ごうとした ” とある。

平氏は手勢が少ないのに、屋島の「島外」に出張して総門を守るというのは、いかにも無茶だ。 それに、700m南東の『瓜生が岡』には源氏の本陣が造られてしまったんだから…。

総門跡を観た次は八栗寺に向かったのだが、この日記の都合上、八栗寺からの帰りに観た源氏の本陣『瓜生が岡』のほうを先に書く。

『射落畠』前の県道36号をさらに南へ。ことでん八栗駅の踏切を渡り、さらには高松と徳島を結ぶ国道11号線を横切る。道の横の小さな水路を渡ると、『長刀泉』という史跡がある。

“ この付近は海が近く、源氏の兵は炊事をするために、弁慶が長刀で掘った井戸を使った。その古井戸がこの長刀泉 ” とのことだ。 看板の文章が下手くそ過ぎて意味不明なので、だいぶ要約してみた。

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長刀泉

『長刀泉』から、結構大きな工場を横切った東に源氏の本陣『瓜生が岡』がある。

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瓜生が岡

工場に隣接する普通の畑の脇に石碑が立っている。 丘でも何でもなく、単なる平地だ。 800年前と現在では地形が若干変わってしまっているのだろう。

源氏の本陣『瓜生が岡』と、平氏の行宮『安徳天皇社』は、直線距離で2km。

平家は岩山の屋島を背に本陣を置き、敵との間に自然の濠である水路(相引川)を置くという、孫子の兵法 “ 故用兵之法,高陵勿向,背丘勿逆,佯北勿从,锐卒勿攻,饵兵勿食,归师勿遏,围师必阙,穷寇勿迫,此用兵之法也 ” を実践したような形だ。

八栗寺へ

先ほど書いたとおり、『総門跡』を観た後に八栗寺に向かった。

県道36号で見かけた「八栗ケーブル」の巨大看板の所まで戻る。 そこから北東へ、徐々に高度を上げていく県道146号を進む。

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県道146号。はるか向こうに五剣山が見える

畑の中に住宅や石材店ぱらぱらと並んでいる道は、最初は緩やかに、1kmほど進んだ所からはそれなりに急な坂道になる。高松市のレンタルサイクルは、変速なしの24インチ ママチャリなので、急な坂道は苦手だ。

NHK BSで毎日放送している「日野正平のこころ旅」での急坂のように、ゼイゼイ言いながら坂道を登るが、さすがに八栗ケーブルの登山口駅にたどり着く直前の急坂は、徒歩で自転車を押すはめに。

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八栗ケーブル 登山口駅

ケーブルカーは15分毎に運行されていて、運賃は上り560円、下り460円だ。レトロ車両を維持するためのお布施なので、高めの値段設定だ。

■ 八栗ケーブル 登山口 12:00発 → 八栗山上 12:04着 (運賃560円)

ケーブルカーは距離684m、高低差167mを4分で結んでいる。車両は1964年製で、赤色と青色の2両がある。乗客は私を含めて3名。 休日はもっとたくさんのお客さんが乗るのかもしれないが、平日は完全に赤字路線だろう。

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八栗ケーブル

ケーブル山上駅を出ると、すぐ目の前に八栗寺の大鳥居があり、閑古鳥が鳴く門前町の土産物店が数軒並んでいる。

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八栗寺 ケーブル山上駅側の入口

Wikipediaによれば “ 空海がここで虚空蔵求聞持法を収めた際、五本の剣が天から降り蔵王権現が現れて、この地が霊地であることを告げた。空海は降ってきた剣を埋め、829年に再訪し八栗寺を開基した ” とされている。

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八栗寺 多宝塔

寺の正面は登山道があるほうで、ケーブルカー側は寺の裏口だ。だから、ケーブルカー側から入場すると主な伽藍に到達する前に、いきなり多宝塔が現れる。

境内では数人のお遍路さんとすれ違った以外、ほとんど参拝客が来ていない。 屋島寺も同じように参拝客は殆ど見かけなかった。 平日はこんなものなのだろうか…

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八栗寺 聖天堂(左側)と本堂(右側)

背後に見える岩山が、標高375mの五剣山(八栗山)。 崩落が激しく危険だということで、公式には登山禁止となっている。

登山口がある中将坊堂を目指して、本堂横から石段を登る。

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八栗寺 中将坊堂

中将坊堂の横にある神馬像の脇に登山口があるり、目立つように登山禁止の看板が出ている。逆に看板を撤去したほうが道の入口が分からず、勝手に登る登山者も減ると思うのだが…

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八栗寺 中将坊堂の奉納下駄

帰りは徒歩で下山するので、本来の正門にあたる二天門から退場する。

屋島や讃岐平野が見渡せる断崖の所に、「お迎え大師像」がある。ここから見る屋島は、頂上がまっすぐ平らだ。

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八栗寺 弘法大師像

舗装された下り坂を快調に歩いて下る。15分ほどでケーブル登山口駅まで降りてきた。標高差170mほどなのでそれほど苦にはならない。

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八栗寺 登山道の鳥居

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登山道の横を走り抜ける八栗ケーブル

八栗ケーブルの登山口駅に駐輪していた自転車に乗り、一気に坂道を下る。 下り坂最高!

この辺りは所々に「ため池」がある。香川県の統計では、ため池の密度は全国一だそうだ。

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八栗ケーブル登山口駅前の源氏池

うどん店に立ち寄り、高松駅へもどる

坂道を快調に下り、先ほど書いた源氏の本陣『瓜生が岡』を見物して、そのまま真っすぐ西へ。高松駅に一気に戻ることにする。

事前に調べておいた幹線道路沿いの讃岐うどんキリンに立ち寄る。

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讃岐うどんキリン

店の外観が、キリン… そのままやね

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肉うどん小 350円 とチキンカツ 110円

このお店、かけうどんは「自分で茹でる」麺茹で機が置いてある。 自分でゆでて、汁かけて、完全にセルフサービス。

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讃岐うどんキリンのメニュー

県道155号を西へひたすら自転車を転がす。 快晴で太陽光は強いが、湿度が低いのでそれほど暑くは感じない。 登山用の帽子をかぶっているのでさらに快適だ。

八栗駅付近から瓦町駅付近まで、県道155号を約7km走り、高松市街地に戻ってきた。

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田町商店街アーケード (瓦町駅付近)

高速バスで高松から大阪へ

高松駅前の地下駐輪場でレンタルサイクルを返却する。駐輪場入口のゲートを通るとき、6時間を超過しているので追加の100円を支払う。

7時10分に借りて、14時20分に返却。利用時間は7時間10分。料金200円。安い…

高速バスターミナルのフットバス切符売り場へ行く。窓口では、1回までなら無料で予約変更できるそうだ。

事前予約していた16時55分発のバスを、14時45分発に変更してもらう。

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高松高速バスターミナル

■ フットバス 高松駅前 14:45発 → 大阪梅田 18:20着 (周遊運賃 4,600円)

バスは国分寺が始発だが、高松駅到着時点で乗客ゼロ。 高松駅高速バスターミナルで、私を含めて数名が乗車。その後、香川県内のバス停で少しずつ乗客が増えて行き、最終的には全ての窓際の席が埋まっている状態となる。乗車率は5割〜6割位だろうか。

「ゆったりシート」の車両なので、存分に足を伸ばしてくつろげる。 USB充電が可能な端子も窓際の壁面に付いているので、スマホのバッテリー切れを心配する必要もない。

16時10分、鳴門大橋を渡り淡路島へ。 16時40分、室津PAで10分間の休憩。 PAにはファミリーマートがあり、淡路島だけでなく四国の土産物も大量に取り揃えられている。

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淡路島 室津PA

17時、明石海峡大橋を渡り本州に入る。第二神明道路を通り、六甲山の西端にある高倉台のトンネルを通り抜けて神戸市に入る。JR兵庫駅付近から渋滞に巻き込まれる。ネットで渋滞情報を確認すると、阪神高速の生田川あたりが渋滞の先頭らしい。

バスは三宮で高速道から一般道へ。神戸税関前を通りすぎる。阪神高速湾岸線に入るところで再び渋滞に巻き込まれる。JR兵庫駅付近から、六甲アイランドまで25分かかる。しかし、渋滞での遅れはバスのダイヤ上では考慮済みのようで、大阪梅田には殆ど遅れなく到着する。

バスは湾岸線、淀川左岸線を通り、福島区の大開で一般道へ。野田阪神、新福島を通過。この辺りでおろしてくれれば、自宅に最も近いのに…

梅田には定刻より10分遅れの18時20分に到着。

みやげ

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JR高松駅構内のセブン・イレブンで購入した「一六タルト 抹茶」(865円)と、室津PAで購入した「讃岐和三盆せんべい」(756円)。

高松で愛媛名産を買い、淡路島で高松名産を買う…。